そんな世界に転生したら俺は誰にだって……②
ライラには純粋な信仰心があり、そして俺にもまた俺の信じるべき心の在り方でティマリール神を、たまりるを推しているのだ。こればかりは誰にも否定させない、大丈夫、俺は間違っていない。そう言い聞かせて俺は今日も教会へ足を運ぶのだ。
講堂に入ると、右側隅っこに見慣れた白髪のおじいさんが座っていた。
彼は、俺がここに通い始めた頃から見かけるおじいさんで、要は古参勢というヤツだ。こちらからは存在を認識しているし、当然向こうも俺を知っているだろうが、会話は一度もしたことがない、というちょっと気まずい関係でもある。
勿論、俺は意地でも話しかけないスタンスで横を通り過ぎて、これまたいつも通りに、ティマリール神像の手前に腰を掛けて礼拝を行う。
そうだ、俺はここにたまりるを眺めにきているんだ。ここであの爺さんに話しかけることこそ、目の前のたまりるに失礼だ。そうは思わないか?
「────そこの少年よ、ちょっといいかい?」
どうもこのおじいさん、そうは思わないらしい。
遂に、遂に声を掛けられてしまった。距離を取っていた期間を思うと、あまりにも気まず過ぎる。
「はい……アノ、何か御用デ?」
ややカタコトで振り返ると、爺さんは手をこまねいて俺を呼んでいた。白髪の爺さんは髭やら何やらで顔の大半が白い体毛で覆われており、表情が全くと言っていいほど読み取れないのが妙に怖い。
無視するわけにもいかず恐る恐る近付くと、彼は腰かけているベンチの横をポンポンと叩いた。まさか横に座れと?
「少年は若いのに随分信心深いことよ、大変感心である」
「はぁ……どうも。じゃあ横、失礼します……」
横に座ると、爺さんは髭をもこもこと動かしながら話し始めた。相変わらず表情は読めないが、どうも機嫌は良さそうではある。
「そこで聞きたいことがあるんじゃが……お前さん、────ティマリール神様を見たことはあるか?」
背筋が凍る、とは、こんな時に使うんだと知った。
爺さんの柔和な調子で放たれた質問に、俺は明らかな動揺をしてしまった。
「えっ? いや、それはどういう……」
それは一体、どういう意味で言ったのだろうか?
うろたえた返事になってしまったが、どうやら好都合だったかもしれない。神様を見たことがあるか? なんて、元いた世界じゃマトモな人間のする質問じゃない。
もしくはこの世界では神様は何らかの形で顕現することがあるのか。いや、それも周知の話なのか?
もしかしてこの爺さん、たまりるの話をしている可能性もある? それに、俺のことを何か知ってる? それはもしかしてマズいこと?
「ほほっ、すまんすまん。お前さんのような若いモンが毎日礼拝なんて珍しくての。こっからはボケたジジイの世迷言だと思って聞いておくれ」
裏で思考を走らせている俺のことなどつゆ知らず、楽しそうに髭を弄る爺さんは、そのままゆっくりと話を続けた。
「神様の信仰なんて、今や老い先短いワシのような、老いぼれの生き甲斐程度の世の中よ。まぁ、それも仕方ないがの……。だが若いうちから信仰心が生まれるのも、有り得ない話ではない」
ふぅーっ、とため息と息継ぎをないまぜにしたように息を整えると、爺さんは懐かしむように視線を上げた。
「ワシはの……ティマリール神様を見たことがあるのじゃ。ワシがまだ若く、何も知らず、のうのうと日々を生きていた頃の話……もう碌な記憶などないのに、その時のことだけは……はっきりと覚えているのじゃ」
淡々と語る爺さんの言葉に、俺はただ黙って耳を傾けた。
「昔、とある森に入った時の事じゃ。その時に見たあの方はあまりにも神々しく、人のような造形をしていても、人ならざる存在であることはすぐに分かった」
「あの頃のワシはあまりにも無知で、愚か者で、そんなワシに何故、彼女が見えたのかは分からん。ただ、後に文献を漁ったところ、彼女の姿はティマリール神のそれと全く同じだったのだ」
「そこからは随分と信心深い男になったもんじゃ。まぁ……その時代にティマリール神を信仰する人間などおらず、変わり者扱いされたがの……」
つらつらと出てきていた昔話がふと止まったかと思うと、彼はこちらに顔を向けた。
「お前さんもティマリール神様に入れ込んでいる様子だったから、ちと気になっておったんじゃ。お前さんもそういった経験があるのではないか、とな」
ここまで聞けば、この爺さんがたまりるの話を振っている訳ではない、というのは分かる。そして『神様を見たことがある』という発言は、この世界であっても稀有であるということも。
語り口は確かに本気っぽいし、それが原因で若い頃から信仰的というのもおかしい話ではない。しかし年寄りの耄碌と言われればそれまで、ホントにボケてて全てがただの妄想という可能性もゼロではない。
「……いや、さっきの質問はなかったことにしておくれ」
少しばかり返答をしあぐねていると、すぐに遮られてしまった。
「今のは妄言じゃったな。ただ、ワシが建てたこの教会にお主が通ってくれていることが、今は何よりも嬉しいんじゃ」
「えっ!? ここ建てたのお爺さんなの!? うっそ、マジっすか!?」
おいおい、語りたがりなただの古参かと思ったら、この教会の建設に携わっているというじゃないか。
この人はもう運営だ……、運営と呼ぶ他ない。
「あの……運営さんが建てたってことは、随分と昔からこの村にいるんですか?」
あまりにも自然な運営呼びを試みたが、すぐさま「運営……?」と怪訝な様子で返された。
「運営……ほっほっほ! なるほどそういう……そうじゃのぅ、ここを建ててから随分と経ってしまったわい」
運営じいさんはすぐに機嫌を戻して髭を弄った。
「永いことこうやってお祈りをしておるが、もうお前さんのような神信力も残っておらん。あの日の出来事も、どこか夢のように思ってしまっておるのかもしれんのぉ」
「その……神信力って、お祈りだけじゃダメなんですか?」
「うむ……詳しく分かっておるわけじゃないがの、神信力はティマリール神の力を借りることで発揮できる、とされておる。どれだけティマリール神様と繋がっておるか、これに尽きるのかもしれんが……」
すると今度は落ち着いた様子で、俺に言い聞かせるように語った。
「ティマリール神様はいつでも我々の味方じゃ。それはここに毎日通うワシらも、たまに来てくれる村の子供たちも、ティマリール神様も知らない外の人間にも、平等にな……。信仰は強要されるものではないが、信仰によって彼女の御心を感じ取れるのならば、それはどれだけ幸せなことかのぅ……」
彼が視線を上げたように見えたので、俺もそれに合わせて正面のティマリール神像を見上げた。
この人は今でも信じているのだ。ティマリール神に会った時の記憶も薄らいで、神信力も使えなくなったとしても。
俺は少しばかり自分を省みた。神信力の存在を知ってしまい、その為の礼拝になっているところも、少しはあったのかもしれないな。
無償の愛を捧げていたはずが、どこかレス待ちの姿勢になっていなかっただろうか。いや、レスを貰って嬉しい気持ちは否定できないけれどね。嬉しいじゃん、推しからのレスとかファンサって。ところで俺、今何の話してる?
「……すみません、自分……まだまだでした」
自戒を込めて独り言のように呟くと、運営じいさんは再び機嫌良く笑った。
「真面目じゃのぅ、少年。……まっ、気楽にやりなされ」