そんな世界に転生したら俺は誰にだって……①
俺ことマルコが住んでいるロッカ村は、この世界の辺境にある非常に小さな集落で、小さな子供も何人かいるものの、学校のような施設は存在しないようだ。この村に住む人間はそのほとんどが農家として暮らしており、学校などの教育文化は見受けられなかった。
ちなみに、マルコという少年は長らく精神的に不安定な状態だったらしい。そして教会まで共にした老夫婦は、捨て子だったマルコを育ての親として見守ってくれていた、とのことだ。
この世界に転生してどれくらい経っているのかは思い出せないが、元々のマルコの人格があったとしたら、それはどうなってしまったのか? 考えて答えが出てくるとは思わないが、彼らが愛した少年がどんな人物だったのか、少しばかり想いを馳せてしまう。
せめてマルコを救って育ててくれた二人が、俺の新しい両親が、誇りに思う息子になろうと俺は決意を胸にした。
さて、俺が過去の記憶を取り戻して幾ばくかの時が経った。記憶を取り戻した頃は生前よりも若かったようにも感じたが、今ではそれなりに体も大きく成長した気がする。そんな俺が今まで何をしていたかと言えば、
「たまりる……変わらず可愛すぎるぜ……」
めっちゃ拝んでた。めっちゃ拝んでたし、めっちゃ祈ってた。だって推しが神様になっちゃったんだ、ほな拝むか……と帰結するのは当然だろう。
そんな息子を、両親はどんな気持ちで見守ってくれているのかと言えば、それは大層温かい目で俺を送り出してくれていた。
ティマリール神像を見たことで元気が出た、となれば、息子の礼拝を断る訳にはいかないようで、寧ろ毎日行ってこいと言わんばかりに笑顔で送り出してくれる(二人も農業を営んでいるので、勿論仕事の手伝いはした上で、の話だ)。
「相変わらず熱心ですねー、感心感心っ」
いつものようにティマリール神像に祈りを捧げていると、奥からシスターライラが満足そうに近付いてきた。
普段から、というか毎日教会に通う人はかなり珍しいようで、いつからか彼女とも少しばかり打ち解けた仲になっていた。
「こんにちは! いやー心が洗われますよホントに、この時間さえあれば人間生きてけるんじゃないかなって思っちゃいますね」
「そんな修行僧みたいなこと言わないでくださいよ……。というか、その言い回しも何百回聞いたか分かりませんし」
優しい微笑みを顔に貼り付け随分と呆れた声で窘められてしまった。何百回は言い過ぎでしょうよ、話を盛って冗談かますのはオタクの悪癖では?
と思ったが、同じようなネタを繰り返し擦るのもオタクの悪癖だ。つまり、ここではっきりとしているのは、俺が紛れもないオタクってことだけだ。
「でも最近は本当に調子が良いんですよ、体調を崩すこともかなり減りましたし」
あの日この教会で記憶を取り戻してからは、今までと変わらず両親と生活をしていたが、たびたび体調を崩して寝込むことがあったのだ。長らく病人のように生きていたマルコはその影響で体が弱まっていたのだろう。
ところが、最近はそういったこともなく健康そのもの、むしろ自然と力が湧いてくるぐらいだ。
これは毎日のようにたまりるを摂取したことによる虚弱体質改善、滋養強壮といった作用が働いているだろうし、少なくとも第二類医薬品くらいの効能は間違いなくある。神様になったり、薬になったり、たまりるは忙しいお方だ。
それを聞いたライラは先ほどとは違って楽しそうに笑って手を合わせた。
「マルコさん! それはもしかしたら信仰心が高まってきた証拠かもしれませんよ?」
信仰心が高まる? 毎日何時間も祈りを捧げている俺ほど、たまりるへの信仰心が高い奴はいないだろ。
「確かにそこは疑いようもないんですが……いや違いますよ。信仰心っていうのは、実際に私たちを助けてくれているんです」
すると彼女は息を軽く吸ってから、人差し指と中指を立てて顔の前に掲げた。
「白魔法────念動浮遊!」
彼女の言葉に反応したかのように、俺の体が薄っすらと白く光った。
「えっ? ……何? 何っ!?」
すると俺の足は地面から離れていき、俺はその場で完全に浮き上がってしまった。
「うおっ! えっナニコレ! ちょっと怖い怖い……いや面白い……? いやダメだ、そんなことないわ! やめてやめて!」
体が浮いているというあまりにも非現実的な体験に体をばたばたと動かすと、彼女は自信ありげに鼻を鳴らして腰に手を当てた。
「どうです? これが信仰心を力に変える神信力、”白魔法”です」
「分かった分かった! 分かったから降ろして! 降ろしてくださいっ!」
フワフワとした浮遊ではなく、地面に接していない空間に座っている感覚は、不思議を通り越して不安と恐怖に変わっていた。彼女の顔ほどの高さにしか浮き上がっていないものの、俺はあまりの恐怖で彼女に懇願した。
ライラもある程度は満足したようで、俺はゆっくりと地面に降り立つことができた。
「信仰心が高まるということがどういうことか、分かっていただけましたか?」
「そ、そうだね……、いや凄いな……本当に……」
この世界に来てしばらく経つが、遂に本物の魔法まで目の当たりにしてしまった。思い返せば農業が主なこの村だからか、これといって異世界特有の何かがあった訳でもなかった。文化の違いを知った程度で、この世界に慣れた気になっていたようだ。
それにしても、こうやって毎日たまりるに祈りを捧げているだけで魔法が使えるようになるなんて……。とはいえ、今までも彼女は俺たちを笑顔にする魔法を行使してきた訳だし、そんなに驚くことではなかったかもしれない。
「つまり……こうやって毎日お祈りすることで? 超人的な力を手に入れることが?」
期待に胸を膨らませて彼女に窺ってみると、
「いえいえ、残念ながらマルコさんが期待するほどの効果はありませんよ? 私だって、物心ついた頃からここで働いていますが、やれることは限られていますし」
そして彼女は、指を振りながら機嫌よく教えてくれた。
「元々は魔物たちが行使する神信力────”黒魔法”に対抗するために編み出されたものなんです。彼らは魔王神の力を借りて発動しているらしいのですが、まぁ魔王神は存在しているかも分からないですし、そもそも魔物と戦うなんてことも今はあまり必要ないんです。そういった背景からも神信力は廃れてしまっているのですけど」
「へぇ〜、……ん? 戦う必要があまりない……ってことは、魔物は実際に存在しているってこと!?」
すると彼女は驚いたように口を手で覆った。
「そりゃあいますよ……って、マルコさんは村からほとんど出たことがないんでしたっけ。この村の近くにはほとんど出ませんが、珍しいものでもありませんよ?」
うぇ〜、マジかよ。それって結構危なくない? 魔物って聞いて安全なイメージは全く無いんだけど。
「確かに魔物は他の動物たちと違って気性が荒い性質もありますね。でもこの村は教会のおかげで魔物の侵入を防いでくれているんで、村の中で襲われることはまず無いんですよ」
すると彼女は、いつものように両手を組んでティマリール神像に祈りを捧げた。
「神信力はティマリール様の力を分けて頂いているのです。今のこの村ではあまり盛んとは言えませんが……それでもなお神信力が使えるのは、ティマリール様が信心ある者の幸せを願ってくれているということに他なりません。ティマリール様は今も私たちを見守ってくれているのです」
その後も彼女は神信力について教えてくれた。
信仰心が高くなると、まず体質改善といった体内への働きが第一段階として現れる。これは俺の体が調子を崩さなくなったことで何となく理解した。
更にそれが進むと先ほど実践していた『物を浮かす』や『他人のちょっとしたケガを治癒する』といった、外的な要素に触れられるようになる、とのこと。
教会があるこの村で育った大人は勿論、小さな子供たちにもそれは浸透しているらしいが、よほど信仰心が高くないと第二段階まではいかないらしい。
「この教会も今となっては、普段から礼拝されるという方は数少ないですからね、信仰歴を考えれば既に神信力が発現しているマルコさんはかなり特殊だと思いますよ?」
いやーそれほどでも! と返すと「いや褒めている訳ではないんですが……」と断りを入れられつつ、彼女はティマリール神像を見上げる。
「神様を信仰するということが正しいわけではありません。ですが、その存在を信じることで救われる人がいるのならば、それはどれほど素晴らしいことでしょうか」
真剣な表情でそれを口にする彼女の横顔はとても美しく、ティマリール神像の前だというのに、その時ばかりは彼女に少しだけ見惚れてしまった。




