狐処
湯気の立つ団子と、深緑の抹茶パフェが並ぶ小さな甘味処。ほんのりと木の香りがするカウンター席で、二人は肩を並べていた。
「──あ~~~ん……あまぁ~~~~い♡ おいひぃ~~♡」
ユラが目をとろんとさせながら口をあける。差し出されたスプーンの上には、抹茶アイスと白玉がちょこんと乗っていた。恥ずかしげに小首をかしげるその仕草に、シンヤは思わず笑ってしまう。
「いや、抹茶だぞ。……そんなに甘くないって」
そう言いながらも、スプーンをユラの口元へと運ぶ。ユラは小さな口でぱくりと受け取ると、ほっぺたをふにっとふくらませて、目を閉じた。
「……でも、シンヤと食べると、あま~くなるんだもん♡」
そんなことを言うもんだから、シンヤは思わず視線を逸らしてしまった。ふと、脳裏に浮かんだのは──まだ小さな子狐だった頃のユラ。震えながら顔を上げ、ご飯をねだるように寄ってきた、あの姿だった。
「まったく、お前ってやつは……」
目の前のユラは、耳をぴこぴこと揺らしながら、満足そうにお団子にかぶりついている。その姿に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「ここもすごいな。一度に何でも注文できそうな場所でさ。いちいち移動しなくていいし、助かるよな」
シンヤが店内を見渡す。食事処は広く、屋台風の甘味処から軽食の店、人間の喫茶店や異種族娘による接客付きの屋内食堂まで、ジャンルごとに分かれて整然と並んでいた。店と店の間にはゆとりがあり、ゆるやかな通路の先には分かりやすい案内板。誰が来ても迷うことのない、客目線に立った完璧な導線設計。
「うぅ~……もう一個食べたい……でも、でも……」
隣でユラが唇をとがらせ、じっとシンヤのパフェを見つめている。その目は、完全に「ねだり目」だった。
「……はいはい、もう一口だけな」
シンヤが差し出すと、ユラは嬉しそうにしっぽをふりふり、小さな声で「やった♡」と囁きながらまたぱくり。頬にうっすらアイスをつけたまま、にへらと笑って見せた。
そして──。
「あっ……!」
ふと立ち上がったユラが、通路の先に掲げられた看板を指さす。
「“狐耳カフェ『狐処』”だって! ここ、わたしの仲間が働いてるよ!」
きらきらと目を輝かせ、ユラはシンヤの袖をぐいっと引く。
「行こっ、ねっ、シンヤ! あの子たち、すっごく頑張り屋で可愛いんだから!」
その声に、抹茶の苦味がほのかに残るシンヤの口元が緩んだ。
「……そっか。なら行ってみようか、“狐処”にな」
そう言って立ち上がると、ユラはにこにこと嬉しそうに尾を揺らし、軽やかな足取りで先を行く。
まるで、子狐が自分の大事なものを見せたくてたまらないような──そんな愛おしい後ろ姿だった。
賑やかな食事処を抜けた先に、小さな行列ができていた。淡い木造の店構えに、ほのかに香る焼き油と甘いみたらしの香り。暖簾には「狐処」の文字──可愛らしい狐耳の印が添えられている。
看板メニューには団子や甘味だけでなく、香ばしい狐うどんや、ふわふわのパン、さらにはがっつり系の丼ものまで揃っている。まさに“なんでもある”、そんな懐の広い人気店だ。
昼時ということもあり、客足は途切れず、出入りのたびに賑やかな「コンッ!」という掛け声が飛び交う。これは──客が店員を呼ぶ合図。どの客も自然とその言葉を使い、キツネ娘たちも「はい、コン!」と笑顔で応じる。まるでその空間全体が一つの“狐劇場”のようだった。
そんな様子を、店の外の通路から、ユラはしっぽをふりふりと揺らしながら楽しそうに眺めていた。
「うわあ……すごい! あの人、わたしの仲間だった子だよ!」
ユラが前脚──いや、手を前に突き出して、ひょいと指差す。視線の先には、狐耳をピンと立てた若い娘が、きびきびと料理を運びながら笑顔を振りまいていた。
明るい橙色の髪、記憶にある優しい声。かつて同じ店で働き、ユラが失敗した時もそっとフォローしてくれた、頼れるお姉さん狐だった。
「へえ……あの子も引き抜かれたのかもな」
シンヤが目を細める。確かに、狐処の制服はユラの店とは違う仕立て。より“魅せる”ことを意識した、可愛らしくも機能的な意匠だった。
だが──次の瞬間。
ユラの尻尾が、ぴたりと止まった。
「……あの人、ちょっと変。あんなに笑ってたかな……。もっと、自然だったのに……」
かすれるような声で、ユラが呟く。目を細めて見つめるその先で──
「っと……」
どさ、と控えめな音がした。店の裏口から出てきたキツネ娘が、食後の皿を片付けていたキツネ娘とぶつかったのだ。幸い、皿は木製で割れることもなかったが──それでも、娘は謝るでもなく、視線を合わせることもなく、まるで何もなかったかのように踵を返した。
そのまま、別の客の元へ料理を運びに行く。
入れ違うように、もう一人のキツネ娘がその場の皿を拾い、淡々と片付けていく。
その一連の流れは、あまりにも機械的だった。
「……あの人、絶対にそんなミスする人じゃなかったのに」
ユラが寂しそうに目を伏せた。しっぽも、しょんぼりと垂れている。
「わたしが団子を落としちゃった時、笑って拾ってくれたの。『大丈夫だよ、あたしのも落としちゃおっか♪』って──そう言ってくれるような人だったのに」
シンヤは腕を組み、店内をもう一度見渡した。
──客の「コン!」に反応して、狐娘たちは笑顔を見せる。見せるけれど、それは“決められた位置”で、“決められたトーン”で。“決められたタイミング”で。
「流れ作業になってる、ってのは……本当だったか。ついていけなきゃ、入れ替えられるってわけか」
娘たちは笑っている。だが、それは媚びた笑顔。魂の抜けた笑顔だ。
厨房から出てくる娘、配膳に走る娘、笑顔で注文をとる娘──そのどれもが、「誰かの理想」に沿うように“演じている”。マニュアル化された完璧な接客。けれど、その裏にあるのは「ふるい落とされないために」保たれた、ぎりぎりの笑み。
愛想を保つために感情を使いながら、作業は機械のように求められる。
「……こんなの、精神おかしくなるだろ」
シンヤがぼそりと呟いた。
ユラは、しばらく何も言えなかった。
ただ、じっと仲間の背中を見つめていた。その尻尾が、どれだけ頑張っても“ふりふり”と揺れなくなってしまった、あの子の背中を。
「わたしなら……笑えないかも」
ぽつりと、ユラが漏らす。いつも明るく、誰よりも尻尾で感情を伝えるこのキツネ娘が、今だけはそっと唇を噛んでいた。
──高いサービスの質。その裏にある、押しつぶされた個性と心。
目の前にある“成功した店”の風景を、ユラは複雑な想いで見つめ続けていた。




