まだ見ぬ娘
「まだ夜は長いな、他のも良い店だった」
ぽつりとシンヤが呟いた。テーブルには空きグラスと食べ終えた皿がいくつか、どこか満ち足りた空気の中で、彼は思い出すように目を細めた。
「――あのミミズ娘のお店、小柄で薄桃色の肌、常に少し湿っていて、動きはゆったり。瞳はどこか虚ろで優しい。……あの泥パックのしとやかさ、癖になったな」
ティルが頷く。
「分かるよ、あれ。肌、つやつやしちゃったよ僕」
「えっ……?」
リアが思わず頬に手を添えると、ティルは満足げに続けた。
「泥の粒子が細かくて、毛穴まで浄化されるような感覚だった。カサつきも全部もってかれた」
「ワシなんか、寝落ちしかけた」
モグが腕を組んでどっしりと頷く。
「泥って、あんなに気持ちが良いとはな。炭鉱のぬかるみを思い出して……なんだ、妙に懐かしくてなぁ。故郷の匂い、よぎったわ」
「……無口だったけど。優しい手つき。ぬめっとした感触、しっとりした肌。とても丁寧だった。……なんか、ずっとそばにいたくなる」
ユラがぽつりと口を開く。
沈黙が一瞬、心地よく流れる。
シンヤがゆっくり目をひらいた。
「あの儚い風貌、一凛の花のような可愛らしい姿じゃないか……決めた!
記事のタイトルは――『泥に咲く花、ミミズ娘の献身日和』」
彼は淡く笑いながら言葉を紡いでいく。
「地味で無口だけど、泥パックで美肌効果抜群。控えめな気遣いが、汚れだけじゃなく、じわじわと……心までも溶かしてくる。……こんな感じだな」
静かに、3人の体験者たちが頷いた。
その様子を見ていたリアが、少しだけ視線を伏せながら頬に手を添える。
「私も……今度、行こうかしら」
夜の空気が、少しだけ柔らかくなった気がした。
次いで、モグが口を開いた。
「ゴブリン娘の店も、なかなかだったな。ワシのゴワついてた髪、良い感じにすいてくれてな。あの手先の器用さ……ドワーフに匹敵する、いや、下手すりゃ超えるかもしれん」
彼の頬が、ほんの少しゆるむ。
「手際がよくてね、まるで楽器を調律するみたいだった」
ティルが目を細め、指先で空をなぞる。
「最初は子どもみたいな外見って思ったけど……目元がキリッとしてて、仕事に入ると別人なんだよね。あのギャップ、ずるいな。
エルフの芸術職にも通じるものを感じたよ。彼女のハサミ捌きは、もう……音が違った」
「耳かきのとき、意識飛びそうになったよ俺。いや、一回転半はしたな、完全に。
しかも、終わった後に『はい、完璧ヨ』て得意げに笑うんだぜ。あれ見たら、また通いたくなるな」
シンヤが首を振りながら笑うと、皆の笑いが漏れた。
「……ちょっと拗ねた顔、可愛かった」
ユラがぽつりとつぶやく。
「肌が薄緑だから……顔、赤くなるとすぐ分かるんだよね。こっちが照れちゃうくらい。
耳の先まで真っ赤になって、慌ててハサミ持ったまま後ずさってね」
「うむ、あれがたまらんというヤツだ」
モグが笑った。
皆の間に、ほのかに温かい間が流れる。
すると、モグがどっかりと腰を据えたまま、力強く宣言するように言った。
「『細指の魔法、ゴブリン職人の癒し処』――これでいこうか。小柄でチョロチョロして見えるが、器用さは完全に職人級。
耳かき、爪切り、髪結い……その繊細な所作に、リピーター続出だ。気になるあの人とのデート前に、ぜひどうぞ! ……どうかな?」
シンヤが、目を細めて頷いた。
「悪くない……いや、いいな。想像して、もう行きたくなった」
「デート……ね」
ぽつりとリアが呟く。グラスの中で氷がひとつ、静かに転がった。
「今回の記事の見出しはこうだ――『ぴくぴくの美学、ムカデ娘の百足庵』」
皆が静かに耳を傾ける中、ティルは淡々と、しかしどこか誇らしげに言葉を続けた。
「見た目で怖がられがちだが、同時多点マッサージはまさに匠の域。足がぴくぴく動く照れ姿にハマる人も続出、と。最後はこう締めてある――“羽のように動きまわれたあの頃に、戻りませんか?”」
さらにティルは続ける。
「ちなみに記事にはこんな描写もある。『つややかに光る漆黒の体節と、数十本の脚が床を這う様は圧巻。しかし彼女の動きには一切の無駄がなく、息を呑むほどに美しい。
何より、施術中に見せる恥じらいのぴくぴくが、言葉では言い表せぬ破壊力』――とね」
静かに、だが確かに場があたたまる。
「……正直さ、最初はギョッとしたよ。足、多いし」
シンヤが頬をかきながら笑った。
「でもな、あの“ぴくぴく”した時、ちょっとだけ、いや――かなり可愛いと思ってしまった。余すところなく感情が出てるというか……なんか、ズルいなって。
あと、目がさ、意外と優しいんだよな。つり目なのに、笑うとちょっと伏せがちになって……あれでまたドキッとする」
笑いながら、皆の視線が自然とモグに向かう。
「ワシも、最初は怖かったぞ。手足が多すぎて、どこを見りゃいいのか分からんかった」
モグは肩をすくめて、どっかりと腰を下ろす。
「でもな、マッサージが始まったら、まず笑ってしまった。くすぐったくてな。それがいつの間にか……とろけてた。あの技は、本物だ。
脚も背中も、首の付け根まで、ぴたっとフィットして動く。……あれは一人の仕事じゃねぇ、軍勢の連携みてぇだったわ」
「……分かります」
ユラがぽつりと漏らした。
「わたしも、最初はビクビクしたけど……触られるたびに、毛先からぞわぞわして、でも不思議と気持ちよくて……」
言い終えると、思い出したようにそっと頬に手を当てる。
「なんか、またお願いしたくなっちゃうんだよね……♡ あの娘の、真面目な顔が浮かんでくる。
髪の毛をひとつに結んで、眼鏡をちょんと引き上げるときの、あの無表情に近い真剣さ。……でもぴくぴくって、可愛い声が漏れるともう……ずるい……」
静かな空気の中で、リアがグラスを持ち上げた。
「……醜いって、何なのかしらね」
その声はどこか遠く、冷たさを帯びていたが、どこか自問のようでもあった。
その言葉に、シンヤは少しだけ目を伏せてから、ぽつりと答えた。
「……たぶん、俺たちは“理解しようとすること”すら、どこかで怖れてたのかもしれないな」
誰に言うでもなく、誰にも届くように、静かにそう言った。
テーブルの上で、ひとつ氷が音を立てて崩れた。……それはまるで、少しずつ氷解していく心の音のようだった
最後に口を開いたのは、ユラだった。
「……最後に行ったのは、ダンゴムシ娘の“まる寝処”だったんだけど――」
ゆっくりとグラスを置き、ユラはどこか名残惜しそうに目を細める。
「……あの寝落ち、シンヤのそばでうたた寝するのと同じくらい、気持ちよかったんだよね」
その一言に、場が静かになる。
そして彼女はふっと笑って、そっと一枚の紙を取り出した。
「見出しはこうだよ――『ふわふわ甲羅の夢宿り、ダンゴムシ娘のまる寝処』」
ティルが小さく声を漏らす。
「……いいタイトルだね。見た目は地味だけど、あの甲殻の内側はまるで繭だ。包まれる安心感……母のぬくもり、というやつだね」
ユラはこくりと頷いた。
「そう。“丸まって寝よう”っていうキャッチコピーも可愛かった。あの娘、自分の甲羅の中に腕ごと引き入れてくれるの。ぬくぬくしてて……撫でてくれて……あのまま時間が止まってほしいって思っちゃった」
そっと両手を胸元に当てて、ユラは恥ずかしそうに笑う。
「……どこか懐かしい気持ちがしたの。思い出せないけど、でもたしかに知ってるぬくもりっていうか……」
ティルが静かに頷く。
「まさにその通り。ユラちゃん、君にもレビュー王の素質があるよ」
その冗談めいた言葉に、思わず皆が笑った。
そしてシンヤが、テーブルに手を置いてゆっくりと立ち上がる。
「……これで、記事はできたな」
誰にともなく言うその声は、静かだが力強かった。
「見た目が怖い? 異様だ? ――そんなのは幻想だ。誰かが勝手に決めつけた枠にすぎない。実際に会って、触れて、感じてみれば分かる。そこにはちゃんと……その娘なりの美しさや、魅力があるんだ」
彼はゆっくりと、皆の顔を見渡す。
「俺たちは、証明した。いや――これからも、証明していく。すべての異種族娘には、魅力がある。それを見つけるのが、俺たちの仕事で……楽しみなんだよ」
笑って、シンヤは拳を軽く握った。
「だから、また行こうぜ。次の“まだ見ぬ娘”に、出会うために」
誰からともなく、「おう」「もちろん」と声が上がる。
店の外では、夜風が静かに街を撫でていた。




