ぬめりの極致
「ここからが、本番ですよ~♡」
ミィナの身体がふたたびとろけ、広がっていく。ゼリー質の触手――まるで細い水の糸のようなものが複数、ゆっくりと浮かび上がった。それぞれの先端には、小さな泡のような球体がついており、まるで意思を持つようにふわり、ふわりと空中を舞っている。
「……あれが触覚か」
ティルが低くつぶやいた。
「ただの物理刺激じゃないな。音も……くるぞ」
ミィナがそっと指をくちもとにあて、「静かに、力を抜いてくださいね……♡」と囁くと、その声と同じ音色が、ふいに――耳元で、響いた。
「んっ……っ!?」
モグの肩がびくりと跳ねた。
スライムの触覚の一つが、彼の耳元にふわりと触れた瞬間、そこから「ふともも、気持ちよかったですかぁ……♡」というミィナの囁きが、まるで至近距離でささやかれたかのように響いたのだ。
「な、なんじゃこりゃ……!? 耳に……直接……くるっ! 声がっ……生っぽい、近い……」
さらにぬめりを帯びたゼリーが、耳たぶの後ろ、首筋にそっと触れる。
「ひあっ……!」
リアクションがあまりに素直で、ティルが思わず吹き出した。
「モグ、想像以上にピュアだったんだね」
「うるせぇわい……くっ、ぬめりが……声が、頭の中に響いてくるんだ……こりゃ……ずりぃ……っ」
一方、ティルの耳にもひとつの触覚が伸びていた。
「エルフさんの呼吸、静かで……好きです♡」
「……っ」
ティルは目を閉じ、息を整えるが、吐息の端が震えていた。
「これは……音の定位がずれてる。空気の振動じゃない……耳朶の内側に直接響く……」
さらに、触覚がそっと額に触れ、ぬるりとした水膜のような感触が眉間をなぞる。
「ゾクゾクする……これはやばい。身体がとけそうだ……。情報が、過剰すぎる……!」
ミィナの声はどこか恍惚としていた。
「シンヤ様には……特別モード、です♡」
彼の肩にふわりと巻きついたゼリーが、耳元に沿って上昇していく。そして、ぬるりとした舌のようなぬめりが、耳の後ろをやさしく撫でた。
「いつも、気遣ってくれて……嬉しいです♡ 今日は……たくさん甘えてくださいねぇ……」
その声が、物理的な距離を無視して、まるで“耳の内側”でささやかれたかのように響く。
「……っは」
シンヤは小さく息を漏らした。
「すげぇな……声が……入ってくる。頭ん中が……蕩ける……」
触覚は、耳、うなじ、鎖骨、そして背中へ。ゼリー質のぬめりが、呼吸に合わせて動きながら、絶妙な湿度と温度で包み込んでいく。
微細な振動が加わり、脳の奥をくすぐるような不思議な快感がじわじわと全身に広がる。
「これが……“本番”……か……っ」
「ちょ、ちょっと……ほんとに……このままじゃ……」
モグが顔を赤くしながら、スライムのふとももを握りしめたまま震えていた。ティルも呼吸を整えようとするが、触覚が首筋を撫でるたびに、足先までぞわりと反応してしまう。
「……んん、理性が……」
ミィナは恍惚とした声で囁いた。
「まだ、終わりじゃありませんよ♡」
「「「 ああぁああ~~ん♡ 」」」
部屋の光がゆっくりと明滅する。揺れるゼリーの壁が、ぬるく甘く、まるで呼吸するように光っていた。
「今夜は、たっぷり癒されてくださいねぇ~……♡」
「しゃいこうひゃった……(最高だった)」
「ふにゃぁ……もう無理……」
「感覚が、拡張しすぎて……帰れるかな……」
店の入り口。ゼリーの幕がやわらかく開き、三人の男たちが、魂が抜けたような表情でふらふらと出てくる。
モグは肩から腰まで力が抜け、まるで赤子のようにふとももクッションを抱えて歩いている。ティルは片目をうっすら開けてはいるものの、脳がまだ夢の余韻に浸っているようで、杖を地面に引きずっていた。
「ぜ、全身が……ぬくもりとぬめりで……再構築された……感じ……ふへへ」
シンヤもまた、髪がしっとりと乱れたまま、だらしなく笑っていた。
「……ミィナ、また来る。これは……週一、いや、二日に一度ペースで通いたいな」
スライム娘たちが店先で手を振り、きらきらとした瞳で送り出す。
「「 またのお越しをお待ちしております〜♡ 」」
――が、空気が変わったのはその時だった。
「おい、こっち来いって言ってんだろ……へへ、こっちの触覚のほうが感度高ぇんだろ?」
低く、濁った声。振り返ると、スライム娘の一人が壁際に追い詰められていた。相手はがっしりとした体格のオーク。筋肉の鎧をまとい、皮のベルトを乱雑に締め、鼻息荒く女の身体をまさぐろうとしている。
スライム娘は怯えたように肩をすくめ、触覚を細く縮めていた。
「……あの、触覚は……勝手に掴まれると、痛いんです……」
「へへ、いいじゃねぇか、ちょっとくらい。柔らかいから気持ちいいに決まってんだろ。サービスってのは、こっちが好きにできるってことだろ?」
言い終わらぬうちに、オークの肩に、がしりと手が置かれた。
「やめとけ。壊れちまうだろ」
静かな声だった。
オークが振り向くと、そこには――さっきまでふにゃふにゃになっていたはずのシンヤが、すでにいつもの理性ある表情に戻っていた。瞳は鋭く、声は低い。
「女が嫌がってるってのに、何してんだよ。ルール、読めなかったか?」
「……なんだ、お前。客だろ? 俺にも権利がある――」
その瞬間、シンヤの指がわずかに動いた。見えなかったが、オークの腰に提げられたベルトがばつん、と外れ、ズボンがずり落ちた。
「いっ……!? お、おい、なにしやが……」
「この店は、癒しを求める場所だ。戦場じゃない。言い分があるなら、服を着直してからゆっくり話を聞こう。……ただし、他の店でな」
オークの視界の端に、いつの間にかモグが立っていた。巨大なハンマーを持って。
「おい、兄ちゃんの言葉が聞こえねぇってんなら、代わりにワシが聞かせてやるが?」
さらに反対側からティルが静かに構えている。
「我ら、ギルド所属。公正契約保持者。営業妨害および異種族への暴行未遂とあらば、介入は義務になるよ」
オークの顔色が変わった。もごもごと口を動かし、結局、逃げるように店を後にする。
シンヤはふぅと息を吐き、怯えたスライム娘に小さく頭を下げた。
「悪かったな。こっちの監視が甘かった」
娘はゼリー越しに微かに頬を染め、ぺこりと頭を下げた。
「……助けていただいて、ありがとうございます……っ」
「触覚、大事なんだろ? 心の声、伝える場所だもんな」
「……はい」
その言葉に、モグがぼそりとつぶやいた。
「……お前さあ。女に甘やかされてデレッデレなのに、こーいう時だけはかっこいいよな。ずるいわ」
ティルが笑いながら頷く。
「女好きってのは、守りたいって気持ちが根っこにあるんだろうね。いや、異種族を“仲間”として見てるってことかな」
シンヤは肩をすくめた。
「ま、好きだから大事にしたいってだけだよ。種族関係なく、誰だって“されたいように扱われる”権利があるだろ?」
月の光が店のガラスに反射していた。
スライム娘たちは安心したように、再び微笑んでいる。
「さて……帰るか。今夜は、よく眠れそうだ」
そう言って、三人は背を向ける。
ゼリーの幕が静かに閉じ、柔らかな光の中に、再び癒しの空間が戻っていった――。