退店
唇が離れる。静寂が落ちた空間に、互いの息だけが残る。
「……ユラちゃん、ホントに?」
シンヤがぽつりと尋ねると、ユラは頷いて――
「ユラ、って呼んで……シンヤ、シンヤぁ……♡ 今まで、ずっとこうしたかったの……」
嬉しそうに頬をすり寄せてくるその様子は、まるでかつての子狐そのまま。
シンヤの膝にちょこんと乗っかり、柔らかい尻尾がぴょこんと揺れる。
――そんな、甘い時間を。
「なーーーにしてるんですかーーっ!?」
唐突に響いたのは、怒りと呆れが同居したキツネ娘の声だった。
「だ、だだだっ、違うんだこれはっ!?」
シンヤが即座に跳ね上がりそうになったが、ユラが離れてくれない。
彼女は未だ幸せそうに、甘えるように胸に顔を擦り寄せている。
「おさわり、ダメだって言ったのに、最低ですっ!」
「ま、待って! キスは見られてない、よな!?」
シンヤは焦って振り返るが、キツネ娘はじと目で見下ろしていた。
膝の上、跨るユラ。肩に回した腕、耳に指を絡める尻尾。
――ぱっと見、アウト。
「信じてたんです! 噂では女好きでも、根は誠実だってっ!」
「ちょ、ちょっとユラ! 説明して、今の状況だけでも!!」
助けを求めるも――
「……シンヤぁ……うれしい……えへへ……♡」
子狐のように甘えるばかり。頬には涙が浮かび、にっこにこ。
「泣いてるじゃないですかーーっ!!!」
追い討ちのキツネ娘の叫びが炸裂する。
そして、奥から現れるモグとティル。
「新人の娘に手ぇ出すなんて……」
「これは異種族倫理協定第十八条に明確に違反してる」
「違う! これは誤解だ! 俺はただ、助けて、で、名前呼ばれて……で、ユラが、で、泣いて……!」
シンヤの言葉はもはや散文詩のように意味を失っていく。
「うう……ミヨンちゃんを返して……!」
「よぉし、連れ添いも連帯責任ですっ。ふたりとも、お店から出てくださーい!」
キツネ娘がキリッと指を指す。
「え、あ、ちょっと待ってくれ! ワシはこのモフモフをふともものように……」
「僕もまだ耳のふにふにタイムが残って……」
「――退店ッ!!」
ぽすんっ、と尻尾で押され、ユラは離れ、シンヤとモグ、ティルは一緒に追い出された。
「……えーっと……これ、どうすんだ俺……」
夜の風がしんみりと、誤解だけを残して吹いていた――。
尻尾で軽く押され、ぽすん、と店の外に出された三人。
扉がぴしゃりと閉まり、見上げれば満月が冷たく照らしていた。
店内では、ユラを中心にキツネ娘たちが壁のように立ち並び、彼女を守るように囲んでいる。
その真ん中で、ユラは小さく手を振った。
「……また会いに行くから。絶対だから……!」
涙を浮かべつつ、それでも精一杯の笑顔を見せて。
だが、シンヤは――
「……えっと……また……うん……?」
何を返せばいいのかわからず、言葉は風に流された。
背後ではモグとティルが静かに距離を取っている。
シンヤに向ける視線は、どこまでも白い。
そして、閉ざされた扉の向こうからはキツネ娘たちの無言の敵意が痛いほど突き刺さってくる。
「……もう俺、一回死んだほうがいいのかな」
「あのキツネ娘のフワフワ……ふともも界の革命だったのに……」
「まさか、耳の断絶宣言を受けるとは……」
三人は誰からも寄り添われぬまま、とぼとぼと夜道を歩いていった。
――そして、ギルド。
「……で、そんなわけなんだが」
カウンターに突っ伏したシンヤが、乾いた声で語る。
その横ではモグとティルがビールをすすりながら、いまだにショックから立ち直れていない。
ギルドの受付に立つリアは無言だった。
そして、コト、と注文した料理を出す――が、
器は雑に置かれ、中身はいつもの半分。野菜が焦げてる。スープもぬるい。
「………………」
リアは無言のまま、奥へと引っ込んでいく。
「いや、あの、リア? リアさーん?」
返事はない。
――やがて、厨房の奥からひとことだけ。
「……さいてー」
鍋の音が、カン、と乾いた音を立てた。
「うわあああああああ!!」
シンヤは崩れ落ち、椅子から滑り落ち、カウンターにすがって泣いた。
「一部始終を語るその口から、誠実さがまるで感じられないのがすごい」
「だいたい、どうしてお前だけモフモフの中心で愛を叫べたんだ……」
「ぐすっ……ちがっ……本当にっ、ちが……っ……!!」
シンヤの声は、誰にも届かなかった。




