お酒の味
カフェのように設えられた空間に、柔らかな光が降り注ぐ。
ソファとテーブルが並び、お客たちは思い思いの姿勢でくつろぎ、笑い合っていた。
奥には小さなステージがあり、軽やかな音楽が響いている。
その中央で、数人のキツネ娘たちが歌い、舞っていた。しなやかな動きに、お客の歓声が飛ぶ。
手拍子が湧き、声援が重なり、空間は華やかな熱気に包まれていた。
その喧騒のなか――
わたしたちは、半個室のようなソファ席に案内された。
シンヤとそのお友達、そしてわたし。三人分の座席に、三人のキツネ娘がそれぞれ寄り添うように座る。
わたしは、シンヤの隣。
柔らかなクッションに身を沈めながらも、背筋は自然と伸びていた。緊張していた。
視線が、こちらに集まっているのを感じる。
誰かがひそひそと、「ミヨンちゃんが……!」と囁いた。
けれど、その反応は一瞬だけ。
他のキツネ娘たちは、すぐに笑顔を取り戻し、目の前のお客の接待に戻っていった。
わたしも、気にしないふりをして、目の前のグラスに酒を注ぐ。
それだけで精一杯だった。何かを話そうと口を開きかけて、またすぐ閉じた。
シンヤのお友達――あのごつい腕のドワーフと、耳の長いエルフの人は、それぞれのキツネ娘とすっかり打ち解けていた。
お酒を酌み交わし、笑い、肩を揺らし、楽しそうに盛り上がっている。
わたしだけが、取り残されたような感覚だった。
けれど、それでもいいと思った。
こうして、彼の隣に座っていられるだけで、今は。
シンヤは、グラスを手に取り、口に運んだ。
それから、周囲の様子を見渡して――微笑む。まるで、心からこの空間を楽しんでいるように。
その横顔に、ほんの少しだけ、安堵した。
……と。
ゆっくりと、彼の視線が、こちらに向けられた。
わたしの仮面に。
それから、揃えた耳の先、膝の上にたたんだ尻尾。
毛並みを、じっと見るその目が――とても、懐かしかった。
わたしは、また声を失っていた。
でも、もうすぐ。
きっと、このときがくるのを、待っていたんだ。
やがて、シンヤの口元が、やわらかく動いた。
「……ミヨンちゃん、だっけ?」
その声音は、どこか探るようでいて、柔らかかった。
「ここ……なんていうか、他の店とちょっと違うなって思ってさ」
彼はそう言いながら、空間全体に目をやる。
ステージの歌声、くつろぐ客たちの笑い声、寄り添うキツネ娘たち――それらをまとめて包むように。
「癒しっていうのかな。普通の店は、女の子が可愛いとか、接客が上手いとか、そういうのが売りで……。でも、ここは違う気がするな」
言葉を選ぶように、少し間を置いてから続ける。
「なんていうか、自然に笑えるんだ。お店全体が一体になってるっていうか……。それが、心地よくてさ」
わたし――ミヨンは、シンヤの言葉を聞きながら、こくりと小さく頷く。
噂で知っている。彼がどんな店に通っているのか、どんな話をしているのか。
でも、嫌じゃなかった。
むしろ、その“好きなもの”に、わたし自身が少しでも重なれているのなら、と思っていた。
「シンヤさんの噂……知れ渡っていますよ」
わたしは、少しだけ声音を落としながら言う。
「女好きの、権化だって」
彼は目を細め、肩をすくめるようにして苦笑した。
「マジかぁ、はは……まぁ、否定はしないけどさ。ミヨンちゃんには、まだ早いかもな」
そう言って、茶化すように笑う。けれど、声にはとげがなかった。
「今日はさ、ただ“見る癒し”を味わいたくて来たんだよ」
グラスの縁を指でなぞりながら、彼は視線を戻してくる。
わたしは、そっと問いかけた。
「わたし……うまく、お喋り……できていますか?」
仮面越しでもわかる。わたしの声が震えていた。
シンヤは、少しだけ驚いたように目を見開いてから――笑った。
「ちっちっ」
指を振る仕草。おどけているようで、どこか優しい。
「会話ってさ、内容がすべてじゃないんだ。俺は、話し方、目線、しぐさ、間――全部ひっくるめて“女の子と話す”のが好きなんだよ。
なんていうか、女にしか出せないモノってあるだろ? 見逃すのって勿体ないと思うね」
わたしが、口を閉じて黙ると、彼はさらに言葉を重ねた。
「だから、俺は……ミヨンちゃんと話すのが楽しい。今、すごく。お酒の味がさ、どんどん変わっていくみたいなんだ。
最初はほろ苦いんだけど、ミヨンちゃんと話したらほんのり甘くなって、今はとろける? ……て感じだ」
わたしの胸の奥で、何かが小さく鳴った。
――くす。
声にならない、けれど確かに微笑んだ。
つられ尻尾が揺れる。仮面の奥、わたしの唇が、ふわりと綻ぶ。




