しろいの儀
二人が通された店内は、不思議な静寂に包まれていた。
木造の梁と白壁、ところどころに配された燭台の炎が淡く揺れている。空気は澄んでおり、冷たいわけでも暑いわけでもない。
だが、その静けさには、生きた者とは別の時が流れているかのような感覚があった。
「ここ……まるで、誰もいない墓の中にいるようだね」
ティルが低く呟く。
「けど、怖くはないだろ」
シンヤは目を閉じ、ゆっくりと息を吸い込んだ。
「……ただ静かで、落ち着く。すべてを手放したくなる」
そんな二人に、ネネが軽やかな声で振り返った。
「昔はね、この肌も冷たさも“気持ち悪い”とか、“不潔だ”とか……たくさん言われたんだよ」
その口調には明るさがあるが、奥底には確かな痛みがあった。
「でも、おしろいができて……人間と同じ肌色になって、体温も“ぬくもり”も手に入ったら、お客さんが来てくれるようになったの。
“触れてもいい”って思ってくれるようになったのが、すごく嬉しくて……それから、お店もどんどん賑やかになっていったんだよ!」
ネネは笑いながらも、手をそっと胸に当てる。
その仕草に込められた喜びと感謝が、空間の温度をほんのりと上げたように思えた。
「シンヤが作ってくれた、おしろいのおかげで私たちゾンビ族も、ちゃんと“生きてていい”って思えるようになったんだ」
ティルが少し驚いたようにシンヤを見た。
「……それが、君の癒しの本質か」
「俺はただ……触れることができれば、何かが変わると思っただけさ。あとは彼女たちの力だ」
かつて触れることすら、ためらわれていた彼女たちが、今こうして人を導いている。
そのまま、彼らは細い廊下を進み、一つの部屋へと通される。
“しろいの儀”の間
部屋は広く、床には薄い白灰色の敷布が敷かれていた。壁には古びた絵画のような装飾。天に昇る魂を描いたものが淡く光を帯びている。
天井からは黒い布が垂れ、まるで幕のように場を包んでいた。
中心には、ふたり分の座布団。そして、その前に低い香炉が置かれ、青白い香煙が立ち上っている。
「こちらへどうぞ」
ユリカが手を差し出す。その指先は冷たそうなのに、どこか懐かしい体温を感じさせた。
「ここでは、すべてを下ろしていただきます」
シンヤとティルが座に着くと、ネネが小さな壺を持って近づく。中には仄かに光る白い粉が入っていた。
「これが、“しろい”だよ。私たちゾンビ族の肌と同じ状態を、一時的にだけ体験できるようにしたもの。身体の熱も落ちるから……少しだけ、“死に近づく”の」
シンヤが微笑み、そっと目を閉じる。
ネネが粉を指先ですくい、まずティルの頬に優しく塗る。白い粉が肌に触れた瞬間、微かに光を帯びて肌に溶け込んでいくようだった
ユリカはシンヤの額へ、丁寧に、まるで大切な遺体を弔うように。
じわり……と、全身から熱が引いていく感覚が広がった。視界の輪郭が曖昧になり、感覚が遠ざかっていく。
「……あぁ……これが……」
ティルの口から、思わず漏れる吐息。
空気が、止まった。鼓動が、遠ざかる。
過去の失敗や、言葉にできなかった痛みがふと浮かび、心の奥にこびりついていた絶望が、音もなく顔を出す。
「……もう、いいのかもしれない」
誰が言ったのか、それとも心の声なのか。
その瞬間、ユリカがそっと背後からシンヤを抱きしめた。冷たいはずの腕が、確かに“温かい”。
「まだ、底へ落ちましょう」
耳元で、やさしい囁きが響く。
次いで、ティルの背にはネネの腕が回り、彼女は屈託のない笑みでこう言った。
「このぬくもりはまやかし……まだ深い深い悲しみに気づいてね」
そこには、死者だからこそ持つ死への優しさと、永遠を生きる者の静かな愛があった。
そしてふたりは、深く息を吸い込んだ。
まだ、生きている。それを思い出させてくれる香煙と、ぬくもりがあった。




