紳士の場
夜の街は、すでに人通りもまばらだった。
灯籠が揺れる門の下、しんと静まった空気の中――その姿はあった。
焔雪庵の扉が静かに開く。
中から一人の男が現れる。
――シンヤだった。
その顔は、まるで何かを乗り越え、すべてを受け入れた人間のような……どこか神々しさすら纏っていた。
「……ふぅ」
深く一息を吐く。
空気を味わうように、目を閉じた。
「……生まれ直したようだ」
ただそれだけを呟き、歩き出す。
「シンヤ様。またのお越しを、お待ちしておりますわ♡」
「記事、楽しみにしていますね……シンヤ様」
背後から響く、緋音と氷花の声は甘く、しかしどこか清々しさを帯びていた。
焔雪庵の門をくぐると、すでにモグとティルが待っていた。
二人もすでに体験を終え、それぞれ別人のような表情を浮かべている。
「……おう、シンヤ。無事か?」
そう言いながらも、モグの眼差しはどこか遠くを見ていた。
その眼に、普段のふともも狂ではない深みがあった。
「ふとももって……あんなに哲学的だったのか……」
ぼそりと、モグが呟いた。
鍛え抜かれたサラマンダーの脚線美。包み、挟み、抱かれるたびに魂が焼き清められ、氷で鎮められる。
「人生観、変わったな。もう、軽々しく“ふともも最高!”なんて言えねぇ……崇めるものだ」
「……崇拝に近いな」
ティルも静かに頷く。
その白銀の髪に月明かりが差し、どこか厳かな佇まいすらある。
「氷の手……あれは“感情の結晶”だよ。心が氷のように整列して、透明になる感覚がした」
「お前たち……別人かよ」
シンヤが笑うと、三人でしばし静かな間を共有した。
焔雪庵――そこはただの癒やしの店ではなかった。
火と氷に焼かれ、冷やされ、磨かれ、魂ごと整えられる場所だったのだ。
「……書くか。俺たちの整いの記録を」
シンヤの眼が、どこか鋭く光る。
夜の街に消えていくその背は、何故か堂々としていた。
数日後、ギルド内は、今日も依頼者と冒険者たちで賑わっていた。
だが、どこか様子が違った。
背筋を正し、礼儀正しく依頼を受け取り、丁寧に報告を行う男たち。
中には、依頼を受ける前に静かに目を閉じ「整い」を感じているような者すらいる。
「……なんなの、この雰囲気」
リアはカウンター越しに周囲を見渡し、思わず眉をひそめた。
見慣れた、くだらない冗談や下世話な視線を投げてくる冒険者たちはどこへやら。
皆が、なぜか紳士のように振る舞っているのだ。
――そして、その中心にいる男。
「……あんた、でしょ。元凶は」
リアは静かに近づき、帳簿をバンと机に置いた。
「焔雪庵のレビュー、また書いたでしょ? あんたの記事のあとから、妙に“キリッとした男”が溢れてるのよ。何か吹き込んだの?」
そう言って、顔をのぞき込むように問い詰める。
だが――シンヤは、まったく動じない。
「……リア。焔雪庵は、“己を磨く場”だった。ただ癒やされるだけじゃない。魂が、整うんだ」
低く、凛とした声。
どこか余裕と自信が混じり、いつもなら茶化して終わるようなやりとりすら、格調高く聞こえる。
「な、なによその言い方……キモい……いや、キモくないけど、いつもと違うし!」
思わず目をそらすリア。
その頬はほんのり赤く染まり、声の調子もどこか崩れていた。
「……やっぱ、あの店……なにかおかしい」
リアはぼそりと呟くが、シンヤは穏やかな笑みで一礼し、カウンターを後にした。
その背中を、しばし見つめるリア。
ふと、また誰かが静かにギルドへ入ってきた。
その男もまた、妙にキリっとしている。表情も、姿勢も、どこか悟りを得たようだった。
「ほんと……何なの、このブーム」
リアは頭を抱えながらも、どこか誇らしげに笑っていた。
(ま、記事書いてるのがうちの常連って思えば……悪くないかも)
その頃、シンヤはギルドの掲示板を見上げていた。
次はどこへ行こうか――
視線を滑らせる中で、ふと目に留まる新たな張り紙。
《“つむじ風の谷”に現れた、空を舞う精霊の踊り子たちの館――依頼兼、接触推奨》
風と踊り、宙を舞う異種族娘たち。
その名も、風精舞庵。
シンヤの口元が、わずかに緩む。
「……風、か。今度は、舞ってもらおうかな」
そう呟いて、静かに歩き出した。
次なる“異種族娘”を求めて。




