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天使と悪魔  作者: 星空暁
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『憎悪の種』5「見せてもらおう——お前が、生きるに値するかどうかを」

 将軍としてのマルセラス・ヴォーレンは驚くほど若く、年の頃は二十七、八といったところか。

 引き締まった体躯(たいく)に、頑強(がんきょう)かつ精巧に作られた鉄製の胸甲をまとい、金色の陽光を浴びて鋭く輝いている。

 縁には青銅(せいどう)の装飾が施され、両肩には帝国軍の鷲が刻まれた二重の肩当てが重なる。左肩から垂れるのは、鮮烈(せんれつ)な緋色のマント。

 そして右胸には、金メッキの鷲頭の飾り留め具。すべてが、彼の高貴(こうき)な地位を示している。


 ——()()だ。

 

 アシャーは冷静にその男を観察する。

 両手をきつく縛られていても、彼の思考は素早く巡っていた。

 北方(ほっぽう)の部族や村々が、帝国軍団に蹂躙されるのは日常茶飯事(にちじょうさはんじ)。だが、それでも山野の盗賊たちは、単独行動の帝国兵を待ち伏せすることがある。奪った甲冑(かっちゅう)や装備は戦利品として誇示(こじ)され、やがて部族の間で語り継がれるのだ。

 アシャーは、そんな噂や見聞(けんぶん)を重ねるうちに、ある法則に気づいた。

 帝国兵の装備は身分によって異なり、階級(かいきゅう)が上がるほど甲冑には青銅や金の装飾が施される。

 そして——緋色のマントを纏うことを許されるのは、貴族だけだ。


 本来、こんなことを子供が知るはずはない。

 だが、アシャーは他の子供とは違う。

 いつも人目を忍び、父や村の長老(ちょうろう)たちが会議を開くたびに、影の中でその会話を聞いていた。

 記憶の中には、帝国にまつわる断片的(だんぺんてき)な言葉が散らばっているが——

 今、それらは静かに、そして確実に結びつき、一枚の鮮明な絵を形作ろうとしていた。


 アシャーはゆっくりと顔を上げ、再び目の前の将軍をじっくりと見つめる。

 マルセラスの亜麻色(あまいろ)の髪は肩まで伸び、毛先はわずかに波打っている。淡い金色の光を帯びたその髪は、深い紫の瞳と対照(たいしょう)を成す。

 髪の一部は優雅に束ねられ、細く編み込まれた三つ編みの先には、小さな銀の飾りが揺れている。

 だが、最も印象的なのは瞳だった。

 冷酷にして鋭く、まるで相手の奥底を見透かすかのように—— 威圧感がある。

 この視線を正面から受け止められる者はほとんどいない。

 誰もが戦慄(せんりつ)し、思わず目をそらしてしまう。

 

 もちろん、アシャーを除いては。

 マルセラスも、それに気付いたようだ。

 彼は眉をわずかに上げ、視線をアシャーの顔に向けた。

 

 少年の頬には乾いた血の跡が残り、額の傷口からは小さな血の粒が滲み出ている。彼は今、デックの死体のそばに拘束されており、その姿はあまりにも無力で小さく見えた。

 ——だが。

 その瞳は、異様なほど強い光を湛えている。

 哀れみを()う色も、恐怖の気配も、そこにはなかった。

 あるのは、年齢にはそぐわぬ冷徹さ。

 

「……お前の目は——狼の目だな」

 マルセラスが低く呟いた。


 少年の髪は、深い茶色——ほとんど黒に近い。それ自体は、北方の村では珍しくもない。

 だが、その瞳だけは違った。

 冷たい翠色。

 まるで、夜の闇に潜む狼の目——鋭く、獲物を狩る瞬間を待つ獣のような光を宿している。


「……この兵士——お前が殺したのか?」

 マルセラスはちらりとデックの遺体を見やり、感情を読み取れない低い声で訊ねる。

「——そうだ」

 アシャーは、一瞬の迷いもなく答えた。

 マルセラスの眉がわずかに動く。次の瞬間、口元にかすかな笑みが浮かんだ。


「お前、何歳だ?」

「十歳」

 冷たい声で、短く返す。

「十歳の子供ごときに、我がエテリア帝国の兵士が殺されるなどあり得ぬ……よほどの腑抜けでなければな」

 マルセラスの声は淡々としていた。

 だが、「腑抜け」という言葉を聞いた瞬間、周囲の兵士たちは一斉に身を強ばらせ、息を詰めた。

 

 ——将軍が(しか)っているのは、俺たちだ。

 たかが子供一人に手を焼き、挙句の果てに殺された。

 それは帝国軍の名に泥を塗る大失態だった。


「確かに腑抜けだな」

 アシャーはゆっくりと顎を上げ、真っ直ぐにマルセラスを見据えた。

 そして、冷ややかに嗤う。

「もっと兵を鍛えておいた方がいいんじゃないか?」

 

 その瞬間——

 場の空気が凍りついた。

 兵士たちは一斉に息を呑む。


 ——このガキ、正気か!?


 マルセラス・ヴォーレン。

 帝国が誇る、鉄血の将。

 冷酷無慈悲なその男に、真正面から侮辱を叩きつけた者など、未だかつて存在しない。

 だが——

 マルセラスは怒るどころか、むしろ興味を惹かれた。

 ——たった十歳の子供が、恐れるどころか、挑むような目でこちらを見据えている。

 

「俺の兵が()された。その汚名(おめい)、すすがねばならんな」

 マルセラスは静かに言いながら歩み寄ると、膝を折り、アシャーと視線を合わせる。

 まるで、珍しい獲物を品定(しなさだ)めするかのように——。

「どうだ、ひとつ賭けでもしてみるか?」

「……賭け?」

 アシャーは一瞬だけ眉を動かし、目を細めて男を見つめた。

「そうだ、決闘だ」

 マルセラスの声には、わずかな愉悦が滲んでいる。

「お前には、この中隊で最も強い兵士と戦ってもらう。勝てば奴隷の身分を(ゆる)す。だが、負ければ——」

 彼はわざと一拍置(いっぱくお)き、その声に冷酷な刃を滲ませた。

「この場で()にしてやる」


 周囲の兵士たちが、一瞬息を呑み、その後ざわめき始めた。

 

 が、アシャーは微塵も怯むことなく、マルセラスの紫の瞳を真っ向から見据える。

「決闘?——いいね」

 静かに、しかしはっきりとした声で応じた

 その瞬間、マルセラスの口元が、僅かに歪んだ。

「ふっ——」


 彼は低く笑い、ゆっくりと立ち上がる。そして、手を軽く振ると、冷然と命じた。

「こいつを立たせろ」

 兵士たちが即座に動き、アシャーを地面から引き起こす。

「アロスに、準備を」

 続けざまに命じると、再びアシャーに視線を戻し、口角をわずかに吊り上げた。


「さあ、見せてもらおう——お前が、生きるに値するかどうかを」


 

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