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天使と悪魔  作者: 星空暁
4/15

『憎悪の種』4「地獄に、落ちろ」

 ——()()に、落ちろ。


 デックが再び頭を仰け()らせ、高笑いしたその瞬間——

 アシャーの身体が、闇を切り裂く閃光のように飛び出した!

 まるで悪魔が解き放たれたかのように、鋭く、迅速(じんそく)に。

 手に握りしめた金属の破片が、影の中で冷たい輝きを放ち、一直線(いっちょくせん)にデックの咽喉を貫いた。

 「ドンッ!」鈍い音が空間に響き渡る。

 アシャーの体当(たいあ)たりでデックが床に叩きつけられるや、彼は瞬時に覆いかぶさるように体重を預けた。デックの(えり)鷲掴(わしづか)みにし、自身の体勢を錨のように固定する。

 迷いのない動作で金属片を廻し、刃先を垂直(すいちょく)に向け直す。その目には冷たい光が宿り、全身の重量を刃先へと乗せていく。


「ゲッ——!」


 デックの喉から、短く断末魔の音が漏れた。声帯(せいたい)が破壊されたため、正常な発声(はっせい)はすでに不可能だ。白目(白目)()いた眼球が痙攣(けいれん)し、泡混じりの血を吐きながら、爪がアシャーの前腕(ぜんわん)に浅い傷跡を残す。

 だが、すでに遅い。

 金属片は確実に気管を貫通し、噴水のように鮮血が吹き出す。瞬く間に服を赤く染め上げた。


 アシャーは、その動きを止めなかった。

 氷の湖のように冷たい瞳で、ただ目の前の光景を見つめている。歯を食いしばり、両手で金属片を更に深く押し込む。

 その手にはわずかな震えもなく、まるで機械のような正確さで動いていた。


 デックの開いた口からは断続的な音が漏れるが、もはや言葉にはならない。血が彼の喉から勢いよく噴き出し、まるで破裂した水道管のように飛び散る。温かい血飛沫がアシャーの頬や腕を濡らし、その鉄臭さが鼻腔を満たした。

 デックの体が最後の痙攣を終え、虚空を見つめる瞳に光が消えた。


 その瞬間、アシャーは息を吐き出した。

 それは疲労でも安堵でもなく、一種の解放感だった。


 ——様見ろ。


 デックは目を見開いたまま、魂を失ったかのように天を仰いだ。


 アシャーは荒い息を漏らしながら、血糊で滑る金属片を引き抜き、掌に食い込ませるように握り直した。鼓動(せんこ)が戦鼓のように耳元で響き、胸が激しく上下するのを必死に落ち着けようとする。

 目の前を素早く見渡し、脱出のチャンスを探し始める。

 周囲の帝国兵たちはまだ驚愕(きょうがく)したままで、明らかに先程の刺殺のショックから立ち直っていない。誰も声を発さず、ただ動けずに固まっている。

 アシャーは、西側の隙間を見逃さない——守備が手薄だ。


 迷うことなく、その隙間を目指して飛び出す。心の中で唯一考えていたのは、突破することだけだった。

 だが跳躍(ちょうやく)と同時に、冷たい鎖帷子(くさりかたびら)頸部(けいぶ)に絡みついた。その冷気は皮膚に焼き付くような感覚を残し、呼吸を奪う。三本の鉄腕が獅子奮迅(ししふんじん)の勢いで四肢を拘束し、体重ごと床へ叩きつけた。

 アシャーは息が詰まり、一瞬視界が白く霞む。金属片を握りしめた手も動かせないほど強く押さえつけられた。


「くっ……!」


 さらにもう一人の兵士が背後から飛びかかり、アシャーの首に腕を巻きつけた。荒々しい動きで、まるで鉄の輪のように喉を締め上げる。瞬間、胸が圧迫(あっぱく)され、肺が締め付けられ、息が詰まるような苦しさが襲った。

 視界が暗転(あんてん)しかけるが、アシャーは奥歯を噛み締め、意識を手放すまいと耐えた。

 同時に、周囲の帝国兵たちも一斉(いっせい)に動き出す。

 雷鳴のごとく響く足音が四方から迫り、兵士たちが殺到(さっとう)する。そのうちの一人が鞭を振り上げ、容赦なく振り下ろした。アシャーはとっさに身をひねって避けるが、鋭い鞭の先端(せんたん)が空気を裂き、背中をかすめる。

「ッ……!」

 肌が裂ける感覚とともに、熱い血が飛び散った。


「動きを止めろ!」

 誰かの怒声(どせい)が響き渡る。

 右側の兵士が強くアシャーの腕を掴んだ。その瞬間、鋭い痛みが肘から肩へと突き抜ける。まるで骨が引き裂かれるかのような感覚に、体が反射的(はんしゃてき)に震える。

 そしかし、アシャーは声を漏らない。

 それでも、抗う隙がみるみる奪われていく。

 アシャーは全身の力を振り絞り、激しくもがいた。両足を蹴り上げ、束縛(そくばく)を振りほどこうとする。だが、周囲を取り囲む帝国兵たちは(きた)え抜かれた戦士たちであり、その動きには寸分の狂いもない。首に巻きついた腕の力は緩むどころか一層強まり、呼吸はさらに浅くなる。


 そもそも、デックが刺殺(しさつ)されたのは、油断と奇襲の要素(ようそ)が重なったからだった。

 帝国兵たちは一瞬だけ混乱したが、それも束の間だった。瞬く間に陣形(じんけい)を立て直し、その布陣(ふじん)はまるで鉄壁(てっぺき)そのものだ。それは何世代にもわたり磨き上げられた将軍たちの知略(ちりゃく)の結晶であり、一度完成すれば誰一人として突破(とっぱ)することはできない。

 この鉄壁こそが、帝国軍がこれまで無敗を誇ってきた所以(ゆえん)だった。

 次の瞬間、アシャーは背中から地面に叩きつけられた。

 泥と血が混ざり合いながら服へと染み込み、その冷たい感触が肌へ広がっていく。それでも、その瞳には猛獣(もうじゅう)さながらの光が宿っていた。

 敵意と闘志(とうし)は決して消えることなく、その瞳奥で炎となり激しく燃え盛る。

 強引に引きずられる中でも唇を噛み締め、その姿には屈服(くっぷく)という言葉など微塵も見当たらない。


「クク……このガキ……」

 兵士たちは顔を見合わせて苦笑(くしょう)した。こんなにも痩せ細った少年がここまで激しく抵抗するとは、誰も予想していなかった。

 その姿はまさしく、逃げ場を失った狼が、最後まで牙を剥くかのようだ。

「この小僧、なかなか骨があるじゃねえか」

 一人の兵士が冷笑(れいしょう)混じりに呟いた。

「骨がある?ただの死に急ぐ奴隷に過ぎねえよ」

 別の兵士が吐き捨てるように言い放つ。

「いい度胸だな、小僧。すぐに十字架(じゅうじか)(はりつけ)にされる苦しみを味わわせてやる!」

 兵士が嗜虐的(しぎゃくてき)な笑みを浮かべながら鉄剣(てっけん)を振り上げた。その刃先が冷たい光を放ち、アシャーの喉元へと迫る——


「何が起きている?」


 その声が響いた瞬間、兵士たちは動きを止め、一斉に硬直した。

 声は決して大きくなかったが、その響きには圧倒的な威厳(いげん)があった。驚愕と恐怖が顔に浮かび、全員が声の主を振り返る。


 そこには、マルセラス(Marcellus)ヴォーレン(Voren)将軍が立っている。


 彼の鋭い眼差しは戦場に漂う血臭さえも凍らせるようで、その存在感は場の空気を一瞬で支配した。堂々とした歩みで前へ進むと、兵士たちは反射的(はんしゃてき)に道を開けた。

 誰も口を開こうとはしない。(いや)——開けなかった。

 彼の存在は、まるで揺るぎなき山そのものだった。

 見る者すべてを押し潰すかのような威圧感が漂い、静寂(せいじゃく)の中で重々しい空気が辺りを支配する。

 風さえも、その場で凍りついたように感じられた。。


 喉元にはまだ兵士の剣先が迫っている——だが、その剣を振り下ろす者さえも、今や動きを止めている。

 アシャーは泥まみれのまま地面に伏していたが、その瞳だけはヴォーレンを鋭く睨みつく。



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