『神殺しを名乗る者』 6 「彼こそが、最も鋭き「刃」だ」
「先ほどの議論で、諸君も理解したはずだ。浮島征服が、いかに困難な任務かを。
凡庸な指揮官を送り込めば、徒労に終わるだけだ。
帝国の貴重な資源を浪費し、取り返しのつかない損失を招くことになる。――その時、失敗の責任は誰が取る?」
責任問題に話が及ぶと、それまで不満げに呟いていた者たちも口をつぐみ、場のざわめきは次第に消えていった。
「こうした困難な戦いこそ、真に戦功を挙げた者を抜擢すべきではないか?」
マルセラスの視線は鋭く、まっすぐトゥリアを射抜いた。
「アシャー・シンクレアは、ロレンティスの戦いでわずか一個小隊を率い、敵軍一万の包囲網へと突撃した。
そして――生還したばかりか、西部戦線をも守り抜いたのだ。
この胆力と知略こそ、今の帝国に最も必要なものではないのか?」
彼は一拍置き、語気をさらに強める。
「それどころか、十五歳の時点で彼が討ち取った敵兵の数は、すでに一万を超えている。もし彼が貴族だったなら、この功績だけで十六歳にして将軍の座についていたことだろう」
「だが――あいつは奴隷だ!」
ファビは怒声を上げ、持っていた杖を床に叩きつけた。
鋭い音が元老院の大広間にこだまし、重苦しい沈黙が広がる。
「これは決して越えてはならぬ一線――
氷と炎が交わることなどあり得ぬように、貴族と奴隷は決して交わらぬ!
奴隷を将軍に据えるなど、それはエテリア共和国の根幹を揺るがす暴挙だ!」
「ファビ殿、あなたはアシャー・シンクレアの出自ばかりにこだわっておられる。
だが、軍を掌握しながら無能を晒し、戦線を崩壊させ、数千の兵を死なせた貴族の将官たちを、我々はなおも信じるべきなのか?
それとも――帝国の領土を失うまで、あなたはなおも『伝統』を守ろうというのか?」
マルセラスはゆっくりと場を見渡し、低く響くが、揺るぎない声で言い放った。
「もちろん、アシャーよりも適任の者がいるというのなら、喜んで耳を傾けよう。
しかし、見つからないのなら、これ以上無意味な議論で帝国の決断を遅らせるべきではない。
今は――エテリアの存亡が懸かっているのではないか?」
議事堂内は、重い沈黙に包まれる。
貴族派と穏健派の元老たちは、互いに視線を交わすも、誰ひとりとして口を開こうとはしない。
やがて、トゥリアが静かに息を吐き、沈黙を破った。
「……マルセラス将軍。確かに貴殿の言うことにも一理ある」
その瞬間、議事堂の空気がわずかに揺れた。
トゥリアの険しい表情の奥に、鋭い光が宿る。
「戦場での功績を鑑みれば、アシャー・シンクレアが比類なき戦士であることは疑いようがない。
しかし――この決定は、あまりにも異例すぎる……」
言葉が終わらぬうちに、ファビは杖を強く握りしめ、苛立ちを隠そうともしなかった。
「前例がないからこそ、認めるわけにはいかんのだ!」
しかし、今度は彼の怒声に同調する者はほとんどいなかった。
マルセラスの言葉はすでに多くの者の胸に楔を打ち込んでいた。
「……マルセラス将軍、あなたもよくご存じのはずだ。
かつて奴隷だった者を将軍に任命するという決定は、元老院の任命の伝統を覆すだけでなく、軍の昇進秩序そのものを揺るがす。
あなたがアシャ・シンクレアを高く評価していることは理解している。
だが、あなたの部下たちがその決定を受け入れるかどうかは、また別の問題ではないか?」
トゥリアは鋭い眼差しをマルセラスに向け、揺るぎない口調で言い放った。
――どれほど美辞麗句を並べようとも、この軍略家の考えなど、お見通しだ。
そもそも、アシャー・シンクレアはただの兵士ではない。
マルセラス自らの手で赦免し、その手で百人隊長にまで引き上げた男――彼こそが、マルセラスが戦場で振るう最も鋭き「刃」。
果敢に戦い、数々の戦功を挙げ、軍内に揺るぎない名声を築き上げた。
もし、アシャー・シンクレアが奴隷でなかったなら、たとえ平民の出であったとしても、その名声ゆえに「第二のマルセラス」として認められていたことだろう。
しかし、だからこそ、アシャー・シンクレアの存在が貴族たちの眠れぬ夜を生んでいる。
彼が将軍に昇進すれば、それはマルセラスが軍に再び「釘」を打ち込むだけではない。
これまで独占されていた昇進の道を打ち破り、平民はもちろん、奴隷にすらより高い地位への道が開かれることになる――かつて、貴族だけのものとされた地位さえも。
このまま進めば、ヴォーレン家の勢力はまるでウイルスのように広がり、やがて元老院は完全に形骸化し、貴族たちは手も足も出なくなるだろう。
――マルセラスの思い通りにさせるわけにはいかない!
トゥリアは机に手を置き、提案を口にした。
「では、こうするのはどうだろうか?
まずはアシャー・シンクレアを大隊長に昇進させる——これでもすでに史上破格の抜擢となる。
もし彼に本当に将軍の才があるなら、今回の浮島遠征で証明されるはずだ」
その言葉が終わるや否や、ファビは憤然と声を荒げた。
「もしその奴隷が大隊長になれるなら、エヴァンデは将軍になって然るべきだろう!」
トゥリアは、静かに笑みを浮かべた。
――思った通りだ。
すかさず頷き、言葉を継ぐ。
「それは良い案ですね。これなら、元老院や軍内部からの反発も抑えられるでしょう」
貴族派と穏健派の元老たちは、即座に一斉に同調した。
政界に数十年とどまる古狸たちは、その意図をすぐさま見抜いたのだ。
もし浮島の戦争が失敗すれば、マルセラスは決して無傷では済まされない。彼らにとっては、それを口実に彼を非難し、権力の均衡を揺るがす絶好の機会となる。
逆に、戦争が成功したとしても、功績を手にするのは当然ながら将軍であるエヴァンデだ!
状況はすでに明らか、トゥリアは内心でほくそ笑みながら、マルセラスの表情をじっと観察する。
しかし、予想に反して、この軍事の天才は微動だにせず、相変わらず余裕の笑みを浮かべていた。