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天使と悪魔  作者: 星空暁
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『神殺しを名乗る者』 5 「規則というものは、破るためにある」

 元老院大広間には、絶え間ない議論の声が響き、重苦しい空気が漂っていた。


「……アシャー・シンクレア、だと?」


 ファビは怒りを滲ませ、その名を忌々しげに吐き捨てた。


「マルセラス・ヴォーレン……たとえ我々が浮島征服の計画に同意したとしても! 共和国へのこの侮辱……断じて許されん!」

 それどころか……今度は奴隷を将軍に据えるつもりだと!? ふざけるな!」

 

 エテリア帝国において、将軍(レガトゥス)とは、一個軍団(レガトゥス)を率い、数千の兵を統率する存在である。

 それは栄光に満ちた地位であると同時に、元老院にとって最も警戒すべき脅威でもあった。

 対外戦争(たいがいせんそう)においては、軍団単位での出兵が原則とされ、その任命には厳格な伝統が敷かれてきた。そして、元老院は決して平民にこの地位を許さなかった。膨大な兵を掌握する将軍という存在は、いずれ暴徒を率い、矛先(ほこさき)を内に向ける危険を(はら)んでいたからだ。

 対それこそが、エテリアの鉄の掟であり、貴族たちが何よりも警戒し続けるものだった。


 将軍の座は、元老院の厳格な審査のもと、代々名門貴族のみに許されてきた。さらに、その地位に就くには、一定の戦功と政治的な経歴も求められる。

 ——平民には、その道すらない。

 ほとんどの者はネロのようにファランクスの歩兵として戦場に立つしかなく、ほんの一握りの者だけが運よく騎兵に昇格し、「馬」を所有する特権を得る。

そして、百人隊長(ケントゥリオン)——それが、平民に許された最高位。

 だが、その先へ進むことは許されない。

 大隊長の座も、そのさらに上の将軍の地位も——貴族だけに独占され、平民には決して手の届かぬものだった。

 

 その象徴とも言えるのが、エヴァンデの存在だ。

 貴族派の彼は、マルセラスの軍には属さず、別の貴族派主導の軍団に籍を置いている。だから、彼はアシャーの直属の上官ではないが、軍の序列上では上位にある。

 たとえ戦功ではアシャーに遠く及ばずとも、この帝国においては、身分こそが絶対なのだ。

 

 一方、元老院軍事委員会の最高司令官マルセラス・ヴォーレンは、複数の将軍を束ね、帝国北方の要塞に駐屯(ちゅうとん)する軍勢を統率している。

 長年にわたるブラノック遠征を経て、彼は帝国総兵力の約50%を掌握し、莫大な戦利品と財を蓄えてきた。

 今や、彼の手には圧倒的な軍事力と膨大な資源が集まり、覇権を握りつつあった。


 この将軍の威名は、すでに帝国全土に(とどろ)いていた。

 だが、本当に恐ろしいのは——彼が軍事の天才であるだけでなく、人心掌握にも長けていたことだ。


 彼の象徴的な施策(しさく)の一つが、戦場で得た戦利品の公平な分配である。この方針により、彼の軍は極めて忠実となり、いかなる戦場でも彼に従うことを厭わなかった。

 さらに、マルセラスは代々ヴォーレン家に受け継がれる雄弁(ゆうべん)の才を持ち、混迷(こんめい)する帝国の内憂外患(ないゆうがいかん)、そして貴族の腐敗を前に、土地改革(とちかいかく)を高らかに提唱(ていしょう)した。すなわち、耕作不能となった貴族の土地の一部を退役兵士や貧民に分配すべきだと。


 それは貴族への宣戦布告に等しかった。

 しかし、下層民衆の圧倒的な支持を集めた。

 

 ヴォーレン家の台頭は、一朝一夕(いっちょういっせき)のものではなかった。

 数十年前、マルセラスの祖父が帝国の軍制改革を断行(だんこう)した時から、ヴォーレン家は庶民の間で不動の信望を築き、新たな政治勢力「平民派」の象徴となった。そして今、その勢力はマルセラスの手によって、かつてない頂点へと達しようとしている。

 今や、帝国の民にとって、マルセラス・ヴォーレンはもはや単なる将軍ではない——英雄そのものだった。


 軍隊、財力、そして民衆の支持——それらすべてを兼ね備えた男は、もはや王となるに足る実力を持っている。

 

 これこそが、今の貴族派が彼をこれほどまでに恐れる理由だった。

 穏健派のトゥリアでさえ、マルセラスが致命的な脅威であることを理解していた。遅かれ早かれ、この野心家は元老院に巣食(すく)う貴族を一掃し、血統による世襲支配(せしゅうしはい)を歴史の闇へと葬り去るだろう。

 ただし、彼はファビのように愚かしく猛獣を無謀に挑発することはしない。政治とは、あくまで均衡(きんこう)を保つ芸術なのだから。

 

 だが、この場においてさえ、トゥリアは眉をひそめ、厳しい表情で異議を唱えざるを得なかった。


「アシャー・シンクレアがかつて奴隷だったという点はさておき——

 百人隊長は、平民が(たっ)()る最高位の軍階だ。それを飛び越えて将軍に任命されるとは、前例がないな」


「まったくその通りだ!」

「奴隷を将軍にするなど、共和国への侮辱ではないか!」

「これを許せば、エテリア帝国の威厳は地に堕ちるぞ!」

 

 貴族派、穏健派の元老たちは一斉に同調(どうちょう)した。

 さらに、マルセラス率いる平民派の新興貴族(しんこうきぞく)の中には、明らかに戸惑いの表情を浮かべている者が数名いた。その様子からは、この決定に賛成しかねているものの、ここで公然と将軍の顔に泥を塗るわけにはいかないという葛藤が見て取れる。

 そんな中、マルセラスはほんのわずかに微笑み、手を上げて場を鎮めた。


「規則というものは、破るためにある。非常時には、非常の措置が必要だ」


 そう言って一拍置(いっぱくお)き、鋭い視線で集まった元老たちを見渡しながら続けた——

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