第9章
前回の章で煉獄によって焼かれる痛みについて少し言及した。これはよくよく考えてみると「るまた」であることがわかる。殺という漢字の部首である。
つまりは殺しのやり方ということになるが霊は様々な殺しのやり方を心得ている。
るまたは要するに「る」と「また」に分かれる。
「る」は留ということであり「らりるれろ」の「る」は現世に身体を留めていることを表す「る」なのだ。身体というのは仮の姿であり不滅ではない。現世に身体を留めることはまさに「る」がなせる業である。この「る」をまたぐから「るまた」ということになりまたぐのは死者の国である。殺しとは身体を持った人間を留めていることからまたがせて殺しの魔法にかけることである。
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王権は監視社会の中にいる。それは霊と呼ばれる見えない世界の存在である。宇宙人というのはいかにも吾輩には比喩的に映る。世界の人が信じているような地球外生命体つまりは地球よりも高度な存在といった輩は存在しない。これは答えである。これからの人類の歴史が証明するだろう。いくら観測してもそれらは現れない。それもそうである。吾輩は公理を知っている。それは王権に仕える霊から授かった。しかもこの答えにはある種純粋的な本物感がいつだってある。世にはびこる偽物の霊能者は王権とは違うのである。
王権の恐ろしいところは大宇宙を小宇宙に内包してしまうことである。これらは密接に関係している。最も大宇宙で可笑しなことはブラックホールである。これも勿論小宇宙でもある。それが本物の鬱である。鬯ともいい神話などでは女性の性器の名前が宛てがわれている。問題はこれを明らかにすることだった。人間には男性器が少なくても1つはあるのだ。それがのどちんこである。小宇宙におけるブラックホールはここにくる。のどから落ち込み全てを飲み込んで重力場をつくる。これは現象であり本人以外何も観測しないだろう。しかしこれは体験者にとっては周囲の視線や気配といったものが須らく変わってしまうものでありいかにも異常である。いかにも神話的な世界である。なにせ全てを飲み込む訳であるから神話でいうメドゥーサ状態なんてまだまだ甘い方でありもっと深刻な状態までになってしまう。しかしこれはありふれたことなのだろうか。否違うのだ。王権のブラックホールだけは一般にはわからない。最も深刻である。ペンローズの言う宇宙検閲官仮説は言っていることは高級にして捉えるべきである。ブラックホール内にとどまるように特異点がありそこから外れないように特異点を監視しているというのがそれだ。これを王権でやるのが祖霊と呼ばれる霊である。彼らは王権が若いときから監視している。その監視は徹底的であり実をいうと上座部仏教が起こったのはこの監視が上手すぎるからである。話はそれたが戻ろう。特異点がもしブラックホールから離れていたらそれは宇宙法則がバラバラになることを意味する。がしかしそれは起こらない。ブラックホールの特異点がブラックホールから外れていることを裸の特異点というわけであるがこの名称はすごいと思う。王権においても裸の特異点は存在しない。それはブラックホールは確実に特異点に向かって落ちていくものでありこれは抜けることは不可能であるからだ。つまりはのどちんこに向かって重力場が変わるのだからだ。が可能性はある。王権は賢いために逃げ道を常に考える。しかし思考を制御するのは祖霊である。これは変わらない。我々には自由意志があるが基本的には無いと思ったほうがいい。人の絶対値はある程度予想できてしまうからだ。祖霊はそのことをよく知っている。逃げ道に対しては裸の特異点にならないよう祖霊が配置しなおす。のどちんこにかかるように。結論から言えばのどちんこに起こるブラックホールは可笑しな力すぎて対抗は無理である。