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第49章

迫害が意味するのは人の弱さだ。宗教的かどうかに関わらず人は脆さを露呈する。

霊と関われば少なからず弱さは付き物だ。

そう言ったときに必ず関わるテーマがある。それが袋である。

迫害は甚大な影響を及ぼすがそれはなぜか。

精神は堅牢だが霊が関わると再構成されるため破壊が起こる。それが人を不安定にさせる。

母親のことをお袋というのは迫害からの逃げ道として袋に入ってやり過ごすということである。

袋小路という言葉があるように霊界での道というものは袋か穴かどちらにしか逃げ道はないのだ。

このような法理もある。

それが髑髏ドクロを袋と見る見方である。

フクロとドクロ、似た言葉だが霊的に見れば同じことである。頭の骨のことを髑髏というのはそれはそうだろう。脳を包み込むフクロのように脳漿を守っている。霊的に関わることが迫害を意味するのなら考えるために必要な脳を守るものとして髑髏を袋と考えシェルターとするのである。それは死からの迫害によって髑髏を毒袋とする考え方であり現実で起こる地雷的な迫害に対しても毒には毒を以て制すの言葉のように適応を始めるのである。現代において忌避すべきは毒ではなく電気である。それが電気袋という考え方であるがこれは不要である。電気での交信は神経系を異常に発達させ不要な情動へと繋がる。毒袋と違って現実での応用策は無くただ交信を続けるのみである。インターネットはそれを支援するが電気袋は最も虚弱で感応しやすく危険な袋である。こういった袋を持つ虚弱者は大抵実家にいてお袋に逃げるがいつまでも自立しないだろう。子供じみており虚弱なままである。

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仮名という文字があってカタカナと平仮名がある。

聖書や仏典に載っている金玉の言葉は錦糸で出来ている。ああいうのはまさに金の魚が泳いでいるところを掴んで書き上げたという感じがある。

この魚というのが肝なのだ。例えば吾輩のこういった著述は魚を取って文字に起こしている。無意識には魚の大群が至るところにいるというわけだ。こういった文法で書き上げる著述はサカ`ナ`という仮`名`である。金玉も泳いでいるが大体は現実と同じことを言って戻ってくるのだ。当たり前な事柄に。

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