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第47章

心身という言葉が代表するようにこの身という言葉は地なのか天なのかどちらに所属するのかという問いがある。デュナミスと捉えれば話が早い。この可動態は地に属しながらも天のプログラムが作動するようなニュアンスで語られる。物事の胚が内包されるようなまだ発芽前の段階であるがここはまるで天の領域のようだ。神という言葉が示すのは一体なんなのか。神は下身というノタリコンが応用できる。下とは地のことであるがこれは下すということである。天と地の連結ポイントとして人を選び天の意志をくべる調停としての人である。その別の表現として紙がある。発芽前の天の様々な流動する意思、目的を地へと書き連ね現実態へと残すために紙がある。このことから神(王)は天の代弁者である。

身は天でもあり地でもある言葉である。

身体ということばを我々は多く使うが身体は肉体のことだとわかるがこの「身」はシンと読むことから神でもありまた地にも属することがわかる。

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王の称号としてすめらぎがある。「すめ」という言葉から最初の開祖が歩む道は道徳的に過大である。対極から対極に行くのが進化なわけであるから居宅での大いなる作業は決まって自分で作らなければならない。それは成長段階では家がないことを意味するだろう。現代で言えば労働層に位置することになるがその後きっかけで皇のように住めるようになる。

位置エネルギーを使った不動のような重大な案件(人の人生)は容易に不動にならないが彼らはヴァルハラによって勝たされているので泉からの力を得るだろう。泉は青春が齎す莫大な力であるが「いずみ」という言葉を濁さなければ「いすみ」である。居宅での大いなる作業にとって最も不可欠なのが椅子である。椅子に座って作業をする、これだけのことにとんでもない課題があるのだ。しかし安定した不動性を持ってくるのに試練は不可欠なのだろう。

「いすみ」が示すのはデュナミスとしての可動態の潜在性である。椅子の力を持つ不動はまだ発芽前である。それは天の領域であるのは「椅子身」ということからもわかる。

椅子身はまだ発芽前である。

現実態へと起こすのにはどうしても手段がいる。手段はいくらでもある。

我々が王を崇拝するのはその王が何世代続くにせよ初代の血脈を求めるからである。それは最初の泉だった。最初の泉には信仰が集まりそれが連綿と続けられてきたのである。

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