第43章
現代においては衆生は資本主義を隠れ蓑にして存在している。科学は世界を見る一手法に過ぎないことがわからない人にとってはこれは理解しがたい。かつては神が信じられてきた。この神に見捨てられた島という表現が正しいのか否かは人によって異なるだろう。
衆生が存在することを前提に話せば(これは当然のことである。)方位戦について少し話が書ける。我々は現実を生きる際必ず方位除けが必要となる。霊的に言えば避雷針であったりあるいは対極に位置する存在である。それはそのまま女性という意味である。あるいは女性にとっては男性。十代を生きる若者にとっては早いうちから成熟するとその人は方位除けを達成している。外から見ればこれは二色と呼ばれ意識に差異ができる。二色はそのままニシキヘビのような印象を与え近寄りがたい。それは邪であると言える。霊的に関わる種族はたてしまである。しかし南の種族のとってはよこしまが生きる指針なようでここに人生がある。例えば方位戦でいう「南」には衆生が住み着きづらい。しかし彼らはヨコシマを通して二色を呼び寄せるのである。人生にはこんなことはつきものである。転校生だったり後から来たものというのは問題ばかり起こしうちわ揉めを呼び込む。彼ら自身が問題ばかり起こすのだが衆生によって呼び込まれた要員であるといえる。何度も何度も環境を変える度に要員が来るようなら寄越すなと願ってたところで衆生は寄越します(よ’こ’し’ま’す)
と言わんばかりに発生するのである。
それほど島国では霊的なマナが不足して一部の連中だけがそれを摂取し運用されているようだ。地が群れを作って生活しても寄越します(よこします)現象は起こるのである。




