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第32章

イギリスの東インド会社設立1600年。オランダは1602年。いずれにせよこの時代には株式という概念は普及していたようである。

日本はその頃江戸時代最初期の頃である。

妖怪という存在は非常に社会と密接に関わっている。衆生にはキャラがつくことはあり得ない。これはずっと言ってきたことであるがそんな責任は衆生は負わない。しかし負わなければいけない人も当然いる。

そんな中、衆生がキャラを使って妖怪の姿を見せたことがある。1つ目小僧である。勿論有名な意匠である。

1つ目小僧の役割というのはこの株式と関わっている。あまり知られていないだろう。一つ目小僧は掛け軸を上げ下げして注意されると「静かにせい」と言って自らの仕事に戻る。掛け軸の上げ下げである。この掛け軸というのは株式のことである。掛けるものつまり投機に関わる日常の物品として掛け軸が真っ先に筆頭である。1つ目小僧は株式に関わる人の投機意識に干渉して上げ下げに関わる存在である。現代においては少し違った形を見せるようである。かの時代においては株式に関わるような人物はおそらく高尚である。不動を身に着け居宅に佇んでいただろう。しかし現代では株式はもっと一般化されたものである。形を変え車の運転というところにこの1つ目はいるのである。当然ながら3つ目のような人物は車の運転に関わるべきではない。第三の目を持っていると見なくてもよいものを見て危険である。不思議なことにこういった第三の目を持っていたりあるいは千の目を持っていても1つ目小僧の力により1つ目となるのである。モノアイは物事を簡略化し意識を固定化させる。同時に副作用として運転という領域においてだけ攻撃的にもさせるのである。1つ目小僧の力である。

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結局のところ天への献上品は何がいいのだろうと考えたことがある。所謂いわゆるお供え物である。こういった考えになったのは吾輩の衆生が「何でもいい」と下賜したからであった。

しかし考える必要もなく答えは出ている。古くからの社会通年上受け継がれてきたものである。それは果物である。これが最上であるのは果という字が裸(衤+果)つまり「はだか」を意味するからである。これは衆生という肉体を持たない存在にとっては霊的入れ物としての最上という意味である。これだけではない。果物くだものと言うのはつまりは管物くだもの、天と地を繋ぐ管として考えられつまるところ管を通ってすべてのことが下賜されるのである。

いずれにせよBODYを形成するに至るにあらゆることは管を通っている。考えてもみたい。母体にいるときから栄養というのは管を通り身体に入り胎児を成長させる。生まれた後も食べ物は消化管を必ず通る。こういった理由わけで衆生という思念体あるいは霊的世界において存在するあらゆる霊は果物を重宝するのである。



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