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第28章

あくびというテーマは非常に興味深い。

一概にあくびが心理学的生物学的に解明され尽くしたわけではないことはわかる。

一説には酸素が不足したときに酸素を取り込むために行うという説が強力だった。

宗教学的に考えてみれば新たな視点を提供できると思う。

あくびは欠伸あくびでありこれはけつである。一般に日本社会ではこれを前線では戦えない不要な習性だと捉えていたと思う。例えば学校ではあくびなどが出れば吾輩などは真っ先に欠席(ABSENT)を繋げるだろう。宗教開発者にとって欠がもたらすのは悪の火、悪火でありそれは開発者自身のヴァルハラ思想にとっていかにも邪悪、不浄である。もっと例えるなら仕事中、接客業やテレビの仕事などでは断りを入れることがあってやることもあるだろうが基本的には飲むという行為を避けている。飲むにも食偏に欠という意味が付随しており社会はこの行為も人前でやるべきではないと広く信じさせている。ヴァルハラ思想では決まって善を持ってきて純粋というものを追求する。開発者は未開発である場合この欠を避けようとするだろう。同時に社会も日本社会は大乗であるために例えば欠席などという社会レールから外れる行為に対し敵視している。総じてヴァルハラ思想は正義という矛を持っているため純粋にこだわるあまり欠には落ちない。

割礼などの社会制裁を受けた場合事物と状況は変わる。

割烹という言葉があるように割り算が入ると事物はオートマチックに今までの負債を精算し始める。極から極へ移動する進化体となるのだ。料理をしない人生が動じない継続的調理習慣となったり欠を忌避していた当人はこぞって欠ばかりするようになる。

欠自体は悪いものでは決してない。しかし一部の前線支持者がこれを良しとしない。

開発者はすでに大乗を終えているので上座部的に生活を再建する。ここで多くの欠をするのである。人間とは話をしないため(ここでは多くの会話相手が衆生という特殊な生態系である)自然と放屁やくしゃみ、物音を建てるなど大乗が行うことを良しとしないことを平然とする。しかし考えてみたい。大乗が行き過ぎると自然調和に反する。これはヴァルハラ思想でも同様である。高潔や社会的模範を求めるあまり自らする便にも目も向けずそのまま流してしまうほどである。便はけつから出るものであるが便の状態を確認する人と確認しないでまるで自分はしていない生き物かのように振る舞う人もいるのである。これはいかにも自然に反している。

大乗の考え方では天部の上に菩薩があると考える。しかし上座部では天部に留まるべきだと信じるだろう。天部には障りがあり大乗が忌み嫌う。これが事物の根幹である。天部に留まるべきである。欠というものは障りの一つだと言うことは説明はいらないだろう。(ほかにも障りには多くの種類がある。今後、述べたい)行き過ぎた大乗社会は不要な犠牲を生む。障りだろうがなんだろうが法が社会にある限り障りを受容し自然に反しない生き方をするべきである。

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