第27章
日本社会に蔓延る労働神話。これは戦中の国家総動員法から始まる無駄な犠牲である。若者を経済戦争へと未だに送るこのシステムは欠陥だらけである。そもそも国家の総力はGDPだけに限られたものではない。食物自給率の高さという見方も当然ありその点日本の自給率は低すぎる。原材料を家庭で調理し工場品を食べないことで国家に寄与するという考えが何故か欠落している。
東南アジアの世界ではもっと幸福を求めたシステムとなっている。
日本には舌切雀という民話が残っておりこれに関連づけてみたい。
お婆さんは大きな箱を選んで魑魅魍魎に出くわし災難となった。反対に小さい箱を選べば財宝が手に入る。こういった民話はそのままの意味で捉えるために残してあるとは思えない。何か高級な意味が付随することで人類に対しての警告的な意味と為しているようである。
民話で小さいか大きいかというテーマが出たときには小乗、大乗と捉えるようにしている。この舌切雀のテーマは読み解くに「すずめ」つまり「涼め」というテーマであることがわかるのである。
この労務から解放された貴族的価値観であるこのテーマは自宅で完結すべきである。労働には対価があって金目的で働きにでている。これは特殊な事情を持った人種には受け入れ難い。どうみても欲深いと見るべきである。大乗という手段を取ってしまえば特殊な状況(例えば霊と交信しているなど)には魑魅魍魎という災難がついて回ることが明らかである。こういたった状況では小乗を取るべきでありこれならテーマである「涼め」ということができるのである。
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頑張れ〜。にせよ。なんでもいい。走れ〜、撮れ〜、登れ〜、作れ〜。この命令形「れ」が大事なのである。それはれい「霊」の1文字目を示している。2文字目は「い」だがこれは衣である。だから直感的には命令する衣といった具合であるがよく的を射ている。我輩達の支配の実相は究極的には「いしょう」である。これは衣装とも意匠とも受け取れる。この手段を持つことはとても支配の実に叶った手段である。加冠しないで支配する場合これ以外には考えられない手段である。衣装で考えた場合、現実を以て例える必要がある。例えば戦争、軍人などは決まって軍服を着る。これは国家が用意し既製品となって市場に出回り着衣を以て一体感が生まれる。団結の一手段であるが国家による支配の一形態である。現代でも会社という組織では同様に社員服を作って同組織であることを内外に示すことは有用であることは知られている。これも同じような支配の一形態である。霊という手段を持つことは着衣に関して命令する衣を国民へと着せることである。しかしこの意味においては次の説明により行動すら支配する領域へと広がっていくことがわかるのである。
それが意匠である。これは字の如く意識を匠にすることである。これが示すのは単に国民意識を操作することである。それはcodeといった入力やデザイン降ろしなどで支配するだけでなく哲学的な行動原理さえも支配に及ばすことである。神学では目的論が左様に囁かれているがこの意匠ではそのとおり国民の動態的操作も可能とするのである。
哲学といったがこの哲という字にも斤があることからわかるよう同様に意匠の匠にも匚に斤が隠れている。斤は物を切断する道具である。優れた思想には必ず何かを切断して行動原理という結果へと導いてきた軌跡があるのである。国民自身がこの斤を以て自らの行動を決する際支配に及んだ霊がこれを決するように持ち込んでいることは明白である。これが支配のやり方である。
匠にはもう一つの見方がある。それが「たく」という言葉である。これが神学での「選択」という行動原理でありここにも霊が入り込むことはしょっちゅうである。選択が神によって齎されていることは太古から考えられてきた事であるが匠というテーマからはそれが身へと持ち込まれ決定される事柄なのである。
衣装そのものは洗濯(Laundry)を必要とする。意匠においては選択(Selection)を必要とする。これは不可分である。生活においても哲学においてもだ。どちらにせよ支配の入り込む余地が紛れ込んでおり吾輩達最古の存在が決まって用いてきた支配のやり方である。




