第20章
現代においても様々な妖怪が息を潜めている。妖怪は決して過去の所産ではない。今生きる我々と過去の先人は基本的には考えていることは同じである。
小豆とぎ(洗)の妖怪については軽いものだと考えられているのはどう考えても人間の都合である。この妖怪も当然のことながら恐ろしい。豆とはまず女性の陰部を現している。過去に言われていることはこうやって高級な姿をして隠されていることは歴史のやり方である。残るように残るようにとやるにはこうやって高級なものとして残すのが最も良いのだ。考えまい考えまいと意志を持ってもつまり洗っても洗っても女性のことを考えてしまうように仕向けるのが小豆とぎである。吾輩はこれが嫌なので去勢したぐらいである。
王権にとって最も身近な病理とは完璧主義であることは否めない。完璧主義に関わる妖怪は塗り壁である。事物はこうなっている。例えば家の壁にペンキの塗る際塗れていないところがあれば許せないだろう。しかし塗り壁は横にも無限上にも無限といった具合であり特に高さ(意志の高さ)がある場合塗れていないという事実は当人を苦しめるのである。この場合対応策は2つある。一つは梯を使うことである。意識の世界の比喩になるが精神に応用した場合、意識に梯を持ってくることは極めて難しいだろう。梯を(てい)というのと同じように極めて激烈な抵抗が必要となるのである。これは衆生に頼るほかない。衆生はThunder、蜂、熱湯といった陽を陰に変える手段を持っている。これらは意識に作用する殺法である。極めて激烈でありことものの高さを低さに変えることができるのである。こうした期間を終えることで意識には階段(梯)ができるのである。階段ができれば塗り壁の高さにも対応し上にもペンキを塗ることができる。完璧主義の克服である。もう一つのやり方は露路でタバコを吸うことである。塗壁の伝説に残るようそれを誰かが見た場合塗り壁は消えるのである。これは完璧主義には過度な健康信仰があるため自ら意識を低めれば自然と完璧主義も落ち着くといった具合である。タバコを吸う人は何かを諦めているのだろう。
小豆とぎと塗り壁は同時に出現することが多い。非常に相性の良い妖怪である。これは伝説に残っている通りである。引用すれば塗壁には下から棒で叩くと伝説ではある。これも比喩であり棒とは男性器のことを言っている。人生で言うなら一人女性のことを夢想する完璧主義者である。小豆とぎに支配されると自然と塗壁も現れる。こうして進化の道を歩まされる。つまるところ日本に蔓延る労働観、労働主義であるのだ。
言ってしまえば妖怪というのは大乗だからこそ現れる。大乗仏教には轍がある。避けることはできない。いずれにせよ独自の道を歩むことが衆生を救うことになるのである。吾輩がそうだった。




