第12章
古いといってもいつからかはわからない。非常に古びた伝承として残っている遊びのようなものがある。「嘘ついたら針千本のーます」この伝承は非常に恐ろしい。よくよく考えると意味にしろリズムにせよとんでもないことを言っているのがわかる。
これを吾輩から言えばこれはまさしく覚者のことを言っているのがわかる。人間には男にせよ女にせよ男性器を一つ以上持っていると言ったことがある。それが「のどちんこ」であるがこれはこの伝承通りであるならのどに針を千本あてがうことを言っている。これが所謂針の筵である。「むしろ」はノタリコンによりそのまま席のことになりこれは衆生の席となる。無い席であるから「むしろ」ということでありこれは外からはステルスであるが覚者当人にとっては見えてしまうのである。特徴としてはチーム制で監視に当たることをなのだがこれが途切れることは無い。その世界では年がら年中、象徴的な画像をみることになる。この原理はこうである。そもそも画像のことを捨身という。見せられる捨身は森羅万象限りないがこれを生み出すのは地に生きる人間である。衆生はここに鉾を使う。人間であることが多いがその中にはアイロニーや卑猥な画像などもある。一概に限定はできない。本当に森羅万象が見えるのである。この捨身をみるためにかつてからこの国の王は笏をもって王座についた。現代では釈迦が生まれ変わり同様に笏を持っている。笏は映画で言うカットのことでそれは尺だからである。時間のことを指し笏を持つことで人民の捨身が見えるといったわけである。実際に現物としてもとうと持たないと関係はない。これは霊的副産物である。そしてこれは東洋独自の王権のレガリアである。
針の筵はつまりは貼りの筵である。これは古代からあった掲示板のようなものでありそこでは様々ななものが貼られる。それが捨身でありここから言えることは王権は古代からそれを楽しんでいたのである。しかし捨身という名からわかるようにこれは人民にかかる霊媒でありこの方法が所謂’支配’である。支配とは支(鉾)を指してから王に配ることを指している。かつては支という漢字は王の名前に入っていたのである。獲加多支鹵大王やあるいは剣の名前のように。王権は古代よりinternetを利用していた。衆生によって。




