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フーテン


 丘の上に立ち並ぶ団地の外周道路で、小学校からの帰宅途中である友哉は心配そうな顔で言った。

「明日は朝の四時半にうちの前で待ち合わせよう」

「わかった、頑張って起きるよ」新田が答える。

「本当に起きてよ」

新田には起きれずに待ち合わせに来なかった前科がある。釣れた魚を見せる相手がいないと楽しくない。

「大丈夫だって、目覚まし時計を2つセットして寝るから」

「2つとも無意識で止めたら同じことだぞ、起きようとする意志の問題だ」

「意志ある,意志あるよ俺!」

なんか適当な感じだなあと思いつつも信用する事にした。

「とっとと家に帰って早めに寝とこう。じゃあね」

 新田と別れて、どれも同じ作りである団地の中にある祐也の家につくと、祐也は早速ルアーの入ったタックルボックスを開けてチェックをする。と言っても、疑似餌であるルアーを眺めているだけである。ルアーには種類がいろいろあり、 魚や昆虫の形を目立つようにデフォルメした物もあるし、リアルなミミズの形のもある。祐也が好きなのはリアルな魚の形のミノーというルアー。鱗のキラキラ感や模様の塗装が物凄く綺麗だからである。一通り眺めて満足したところで、早めに風呂に入って夕飯を食べたらすぐに寝ることにした。枕元にはロッド(釣竿)が立てかけてあり準備は万全である。


 翌朝、友哉は家族がまだ寝ている時間であり、音をたてぬよう慎重に玄関のドアを閉める。団地のドアは普通に閉めるとかなりうるさい。六月の終わりだが、朝の四時半はまだ日は上っていない。新田が寝坊して来なかったらどうしようかと少し心細くなる。家の前の道路で待っていると、坊主頭に帽子をかぶった新田が眠そうな顔でやって来て言った。

「おはよう、ちゃんと起きて時間どおり来ただろ俺」

「意思ある男で良かったよ」

「俺には意思もあるし、計画性もあるし、何だってあるんだよ」

「謙虚さが無いと思うんだが」

「それは、わざとだよ。世界に出ていくには謙虚さなど無い方がいいんだ」

「え-と・・まあとりあえず行こうか」

 新田が世界で何をするつもりなのか気にならなくもないが、問いただすのは又の機会という事にして、駅に向かって歩き始めた。

 駅に行くには団地のある丘を下った後、隣の丘の斜面にできたばかりの住宅街を上り、逆側の斜面の林の中を下ってから、古い住宅街の中の細い道を進むのだが、そこで友哉達は後ろから来た車にクラクションを鳴らされた。二人でならんで歩いていた為に、車が通ることができなかったようである。

 新田は人がいいので「すいません」といいながら頭まで下げている。

 友哉は一方的に鳴らされるクラクションが大嫌いで

「こんな所を通るほうが悪いんだ。」と言った。

 それほど大きな声で言ったつもりはなかったのだが、運転手に聞こえてしまった。

「そうかー悪かったなー」と言いながら笑って横を通り過ぎていった。

 友哉はびっくりしたが、(面白いおっちゃんだなー)と感心した。

 新田は「余計なこと言うなよー、降りてきて怒られたらどうすんだよ」と困った顔をしていた。

 少し気まずい雰囲気になりながらも二人は駅に向かって進み、住宅街を抜けて少し広い通りに出た。すると突然、道路沿いにある駐車場から出てきた男に声をかけられた。

「おい釣竿もってんな、どこに釣り行くんだ?」さっきの車の運転手であった。

「津久井湖です」新田が驚いて体が硬直しつつも素直に答えた。

「行くのに時間どれくらいかかるんだ?」

「電車とバスで一時間半位です」

 新田が答える。聞かれたら何でも答えそうだ。友哉としては、面倒だから早く話を切り上げて駅に向かいたかった。しかし驚くべきことが起こった。

「一時間半か、じゃあ俺も行くわ。いいだろ?」

「いいですよ」

もちろん答えたのは新田である。しかも自分で言っておいて、(あれ、何言ってんだ俺)みたいな顔をしている。

「一時間半では着かないですね、かなり遠いですよ」

 友哉は慌てて言った。からかわれているだけかもしれないが、面白いおっちゃんだけに本気かもしれない、付いてこられたら気になって釣りが楽しめない。

「暇なんだよ、遠いとこ行きたいんだ」

「釣りは見てるだけじゃ退屈ですよ」

「家で暇してるよりいいだろ。景色のいいとこで日向ぼっこでもするよ」

「景色たいしたことないです」

 友哉は会話しながらも少しずつ駅に向かって歩き出したが、おっちゃんが離れていかない、とうとう駅に着いて一緒に電車に乗りこんだ。おっちゃんは友哉達の対面に座り、ツッカケと靴下を脱ぎ、足をシートに乗せて足の指の間を手で弄ぐり、その手をシートに擦り付けた。そしてコンビニのビニール袋から缶ビールを取り出し飲み始めた。

 友哉は顔をしかめた。家に帰りたくなっていた。しかし、新田はメンバーが一人増えた事にもう慣れたようで、

「今日は釣れそうな気がする。俺はバスプロになる男」

 などと言い楽しそうである。新田みたいな性格だと人生楽しいのだろうと羨ましかった。

電車の乗り換えの為に小田急線の町田駅で降りて、JRの町田駅まで歩いた。おっちゃんはツッカケの踵を地面に擦りながらチンタラ歩いている為に遅い。

 友哉達と距離が開いてきた。JRの町田駅の入り口で右に曲がった為に、遅れているおっちゃんの姿が見えない。

 友哉は、今がチャンスだと思った。急いで切符を買い、新田に「ダッシュしてホーム行くぞ」と言ってから走りだしたが、すぐに新田に追いつかれて腕をつかまれた。

「おじさん待ってないと、かわいそうだよ」と窘められた。

(かわいそうって・・・)新田は足がすごく速い。しかし誰にでも誘拐されてしまいそうだ。

 結局おっちゃんを振り切ることができずに、JRの電車の中でも足の指の間の掃除を見せられつつ橋本駅に着いた。「何もない田舎の駅だな」とおっちゃんがうれしそうだ。そこから更にバスに乗り、ダムの上を通過し津久井湖に着いた。

「おー、こんなとこあったんだー」

 おっちゃんが少し感動している。友哉はなんとなく良いことをしたような気分になる。

湖畔に下りてすぐに友哉と新田はロッドにリールをセットし釣りの準備を始めた。おっちゃんはズボンの裾をまくり浅瀬に入り歩きだした。

「冷たくて気持ちいいぞ、あっ手長海老がいた」

 おっちゃんが一番楽しそうである。

 友哉と新田は、おっちゃんを放置することにして、少し離れた水深が深いところでキャスティングを始めた。すると「遊泳禁止ですよ」という大きな声が聞こえた。

 声のしたほうにいってみると、おっちゃんがパンツ一枚になり泳いでいた。声の主の若い男はボートに乗っている。

「バスボート」

と呼ばれるブラックバス釣り専用のボートである。

 友哉と新田はおっちゃんが泳いでいることよりも、バスボートにびっくりした。テレビの釣り番組でしかみたことがない本格的なボートである。その辺の高級車より高いはずだ。

「浅いし,水はきれいだし、何で禁止なんだ?」

 おっちゃんが言った。

「その先、急に深くなっているので危ないんですよ」

「ふーん、わかった。そんなことより、すげーボートだな、こいつら乗せてやれよ」

「えっ、まあ別にかまわないけど…」

「よし、おい、乗せてもらえよ、俺はここで日向ぼっこしてるから」

「えっ、いや、悪いですよ」

 友哉が今起こっている事をあまり理解出来ずに言った。

「俺のことは気にすんな、魚釣れたら後で見せろよ」

「いや、ボートに乗せてもらうのが悪いなと…」

「なんでだよ、ボートのほうが釣れるぞ、なあ、坊主頭は乗りたいだろ?」

「乗りたいです」

 新田はいつも正直だ。

「いいよー乗りなよ。一人でやるより楽しいから」

 若い男が、ボートを水深がある場所で岸に着けた。新田がまず乗り込む。友哉はもう成り行きまかせで続いた。

 おっちゃんが「がんばってこいよー」と言いながら手を振って、また泳ぎ始めた。

「だめですよ泳いじゃ!」友哉が叫んだ。

「あっそうか忘れてた、もう泳がん」言った後、おっちゃんは少し思案顔になり、「しかし、そんなウソ餌より、ここにいっぱいいる手長エビを餌にしたほうが釣れるんじゃないか?」と言った。

「・・・・・」

 ルアー釣りをやる人間にとって言われたくない事実である。

 ボートは岸から離れていき、おっちゃんの姿が遠くなっていく。

「確かに生き餌のほうが釣れるけど、自分で作ったルアーで釣れるとやめられなくなるんだよな」

 ボートの若い男が、タックルボックスに入っているルアーを眺めながら言った。

「自分でルアー作るんですか!すげー」

 新田が興奮して大声をだす。感情表現が豊かな男である。

 友哉はルアーを凝視する。素人が自分で作ったようにはとても見えない。「本当にこれ自作のハンドメイドルアーですか?」疑うようなことを言ってしまった。

 すると、やっぱりなという感じで笑いながら、若い男ががタックルボックスからルアーを取り出して「ここを見てくれ」と言い、ルアーの魚でいうエラにあたる部分を指さす。”katou”と銀色のエラに刻まれている。逆側は"yukio"となっていた。厚いクリヤー塗装の被膜の下である。

「これ俺の名前、加藤幸雄」

 あわてて二人も名乗った。

「あっ僕は井田友哉です」

「僕は新田英次です」

「よろしく井田君、新田君、これあげるから使ってみてよ」

 加藤がルアーを友哉に差し出した。友哉が戸惑いながらも受け取る。新田が不満そうな顔をしている。加藤がもう一つルアーを取り出し新田に渡すと、新田が満面の笑みになった。

 友哉は持っているルアーを顔から10センチ位の距離に近づけて、じっくり観察した。釣具屋にいけば小学生には手の届かない額の値札がついて、ショーケースに飾ってあるような出来栄えである。今日初めて会った人に、こんな物を貰っていいものなのか不安になる。

「ルアー見てばかりいないで、釣り始めようぜ」

 加藤が言ってキャスティングを始めた。ロッドを振る姿が決まり過ぎている、もしかしてバスプロの人なのかもしれないと友哉は思った。よく見ると顔もかっこいい。友哉は貰ったルアーをラインに結び、根掛かりさせて無くさないように慎重にキャストした。 

 この日は2時間ほどボートに乗せてもらい、友哉と新田は一匹も釣れず、加藤は3匹釣った。スレまくっている津久井湖で3匹釣るのはすごい「加藤さんは絶対プロの人だ」と友哉は新田に耳打ちした。同じ条件でこうも差がでると悔しかった。

 ボートに乗せてもらった場所に戻って岸に下してもらった。友哉がボートの加藤に向かって礼を言う。

「今日はありがとうございました。ルアー大切にします。」

「どういたしまして。一人でやるより楽しくて良かったよ。」

 新田も礼を言う。

「ありがとうございました加藤プロ」

「えっプロ?」

 加藤さんが、きょとんとした顔をしている。

「いや、気にしないで下さい。本当にありがとうございました」

 友哉は言いながら、プロではないのにこんなボート乗っているのなら相当な金持ちだなと思った。

「じゃあな、気を付けて帰れよ」

 加藤さんが言い、ボートは津久井湖の上流の方へ向かって行った。ボートを陸に引き揚げられる場所があるらしい。

 友哉と新田がボートが小さくなるのを眺めていると、存在を忘れかけていた人が岩陰から現れた。

「おう、釣れたか?」

 友哉と新田は揃って「ボウズです」と言った。

「えーそうなのか、俺は素手で手長エビ20匹は獲ったぞ、ほら」

 おっちゃんが指さした先には岸辺に30センチ位の水溜りがあり、透明な手長エビがうじゃうじゃと蠢いていた。

「うまそー」

 新田が水たまりを覗き込んで言った。

「おう、うまいぞ、お前持って帰っていいぞ」

「入れ物ないし・・・料理の仕方わからないからいらないです」

「油のなかに突っ込んで揚げるだけだろ、まあいいや逃がすか」

おっちゃんはエビをすくって水溜りから湖に移しながら「大きくなれよー」と言っている。

「やさしいね、逃がしてあげて」新田が言った。

 友哉は、手長エビはあのサイズで大人だから大きくならないよ、と言いたかったがやめておいた。新田の性格の良さを間近に見ると、自分が捻くれた嫌な奴に思えて仕方がない。

 橋本駅に向かうバスの中、友哉は加藤にもらったルアーを眺めながら、連絡先を聞いておけば良かったなと後悔した。またボートに乗りたいし、ルアーの作り方も教わりたい。一体何者だったんだろうか。

 橋本駅に着くと、おっちゃんが「おう、なんだ町田駅行きのバスあるんだ、俺はこれで帰るぞ」と言ってあっさりと姿を消した。

「おっちゃんみたいのをフーテンていうんだよ、たぶん」新田が言った。

「フーテンだね」 フーテンの意味は分からなかったが、友哉は相槌を打っておいた。

 二人は電車の方が安いので、来たときと同じく電車で帰った。


 翌日、学校に行くと友哉と新田は加藤に貰ったルアーを見せびらかした。ルアー釣りをするクラスメートは多かったが、団地っ子である為に貧乏でおこずかいが少なく、安物のおもちゃみたいなルアーしか持っていない。

「すげーきれい、鱗とか目とかちょーリアル」

「もったいなくて使えねー」

「部屋に飾りてー」

 嬉しいリアクションを皆してくれる。友哉と新田は優越感に浸っていた。

「ちょっとみせて!」

 一人の女子が突然割り込んできて、ルアーを持って眺めていた生徒から其れを奪い取った。井上美優という名前で、友哉とは小学校三年生の時から六年生の現在まで同じクラスである。髪型はショートカットで、サッカーをすれば男子をドリブルで三人抜きするような活発な、というか、おとなしくないタイプである。ルアーをしばらく眺めた後、「これどうしたの?」と聞いてきた。真顔である。

「昨日、津久井湖に釣りに行って知り合った人に貰ったんだけど」

 友哉は顔を赤くして、ツッケンドンな言い方で返してしまった。井上は暴れん坊なイメージのせいであまり気が付かれていないが、すごくかわいい。

「髪の毛サラサラでかっこいい人?」

「えっ、確かにサラサラで、まあ・・そこそこかっこよかったけど・・・知ってるの?」

「うん、たぶん幸雄君、私の家の近くに住んでたの、私もルアー貰ったんだ」井上はルアーのYUKIOとサインが刻んである部分を指さしながら言った。

「すごい偶然、住んでたっていうことは引っ越したの?」普通であれば興奮気味にしゃべる場面であるが井上が相手だと友哉は大人しい。

「そう、二年位前に引っ越して、今はどこに住んでるのか知らないんだ。井田は幸雄君の電話番号とか知ってる?」 

「いや名前しか知らない、聞いておけば良かったって俺も思ってるんだけど」

「そうなんだ・・」井上が残念そうな顔をする。

 それを横で見ていた新田が無責任な事を言いだす。

「津久井湖に釣りに行けば加藤さんに会えるよ」

「会えるかな?じゃあ一緒に行ってくれる?」

 えっ?新田と井上で釣りいくのか?友哉は思わず新田を睨む。

「いいよ、友哉も行くよね?」

「えっ、あーいいんじゃない」などと友哉は言いながら、やはり新田は良い奴だと思った。

「いつもどうやって行ってるの?」

「町田行きのバスは始発が遅いから、玉川学園駅から小田急線で町田に行って、町田からJRで橋本駅に行ってそこからバス」

 友哉は井上と視線を合わせられず、明後日の方を見ながらぶっきらぼうに答える。

「乗り換え多くて面倒くさいね、自転車で行こうよ」

「自転車?何時間かかるかわからないよ、道もわからないし無理だよ」

 友哉は体力に自信がないし、何より極度の方向音痴である為に反対したが、新田が余計なことを言い出す。

「隣のクラスの桃田とか自転車で津久井湖行ったらしいよ」

「じゃあ自転車で行ったことある人を誘って一緒に行って貰おう」

 井上はスポーツ万能で体力もあるので、自転車で行く気満々である。

「桃田を誘ってくるね」

 新田は行動が速い、何も考えずに動く、少し迷惑なこともある。友哉としてはなるべく少人数で行きたいのである。

 しかし、桃田は同行を快諾し、更に話を聞きつけた者から「俺も行く」との一方的な参加表明が多くあり、結局10人で自転車で津久井湖まで行くという、小学生にしては大規模なイベントになってしまった。経験者の桃田によれば二時間弱で津久井湖に着くらしい。日曜日の朝四時半に団地のバスロータリーに集合という事になった。


 早朝の人気のない団地のバスロータリーにぽつんと一人、友哉である。心配性である為に集合時間の二十分前に到着してしまった。自分がはやく来ただけなのだが誰もいないので不安になっていた。

 しばらくして、シャッターの閉まった商店街の店の方に自転車のライトが三つ見えた。隣のクラスの桃田と長内と丸山がやってきた。この三人は最近なんだか不良っぽい感じになってきて友哉は苦手であった。

「まだ友哉しか来てないのかよ、十分前には集まれよなー」桃田が不機嫌そうに言う。不良は時間に厳しいらしい。

 桃田は映画「スタンドバイミー」に出ている俳優のリバーフェニックスに憧れて坊主頭にしているが、どちらかといえば少林寺拳法の映画に出てきそうな感じである。

 お互いに特に何も話すことがなく気まずい時間が流れる。すると、バス通りの方から井上とその親友の冴木まりがやってきた。

「少し遅れちゃったかな?」

 井上が友哉の近くに来て言った。

「大丈夫だよ、五分前だし、まだ四人来てないし」

 友哉は井上が桃田たちの所ではなく自分のそばに来たことが嬉しかったのだが、井上と目を合わせることはできない。傍から見たらむしろ不機嫌そうな表情になっている。

「井田、なんか変だよ」

 冴木がするどい。友哉は慌てて話題をそらす。

「冴木も釣りするんだね、女子でやるのは珍しいよね」

「やったこと無いんだけど、美優ちゃんが行こうって言うから」

「へーそうなんだ、初めてだとビギナーズラックあるかもね」

「ついてきただけだから釣れても困る。魚さわれないし」

「釣れたら針外してあげるよ」

 友哉が無理からに会話を続けていると、井上が「井田、まりちゃんにやさしいねー」などと言い出す。

「・・・・」友哉はだまってしまった。

 井上には自分に気がありそうな男子をからかって遊ぶようなところがある。そして、からかわれた方はますます気になってしまう。

 会話が途切れたところで、商店街の方から同じクラスの今田、大沢、佐々木の三人が来た。集合時間の五時を三分ほど過ぎていた。まだ新田が来ていない。

「もう時間過ぎたから出発しようぜ」

 桃田がイライラしながら言う。友哉は焦った。

「新田の家に迎えに行ってくるから、みんなはここで待っててよ」

 友哉が自分から意見を言うのはめずらしい、友哉は他の連中とはそれほど仲良く無いので新田がいないと浮いてしまいそうで困るのである。

「全員で行けばいいんじゃね」桃田が言う。

「行き違いになるかもしれないから、一人で行ってくるよ。新田の自転車なかったら戻ってくるから」

 そう言うと友哉は新田の家に向かって自転車を漕ぎだした。しばらくして気配を感じて振り向くと井上が追いかけてきた。

「私も行くよ、待ってても暇だから」

 友哉は二人きりになり舞い上がりまくり、三秒ほど沈黙してから「・・・冴木は?」と言った。

「桃田と話してるから置いてきた」

「へーえ、桃田と冴木、仲がいいんだ 」

「なんか、まりちゃん最近、少しやんちゃな人が好きみたい」

 冴木は大人しいイメージしかなかったので友哉は意外であった。

「女子って少し不良っぽい男が好きな人多いね」

「私はそんなことないよ」

「えっ・・・」

 会話が途切れ、何かしゃべらなくてはと考えているうちに新田の家に着いた。

 新田の家は団地の二階にあり、一階のエントランスに駐輪場がある。果たして新田の自転車は止められたままであった。

「そのマウンテンバイク新田のだよ」友哉が自転車を指さし、早朝なので小声で言った。

 井上も小声で「かっこいい、新田らしいねスポーティな感じで」と言った。

「いや、かっこいいとかじゃなくて新田まだ寝てるってことだよ」

「あー、どうしようか、こんな時間じゃピンポン押せないし」

「玄関のドアの郵便受けのところから呼んでみよう。出てくるかもしれない」

「うーん、そんなので起きるかなー」

 井上は納得していないようであったが、友哉は階段を上がっていった。しゃがんで郵便受けの入り口のところを内側に押し部屋の中を覗いてみる。

「明かりついてないね、やっぱり寝てるよ」

「なんかドロボウみたいだよ、警察呼ばれないかな」

 井上はそう言いながら何だか楽しそうである。しゃべるときは友哉に顔を近づけてささやいてくる。

「新田、釣り行くぞー、起きろー」

 友哉は井上のささやき声にやられてどぎまぎし、結構大きい声で呼んでしまった。

「声大きいって」

 井上がびっくりして友哉の肩をひっぱたいた。友哉もびっくりして飛び下がり尻餅をついた。

「びっくりしたー急に叩くなよ。」と言いながら友哉は触られてドキドキしている。

「急に大きい声出すからでしょ、こっちがびっくりしたよ」

「ごめん、ボリューム間違えた」

「ボリュームって何よ?」

「いや、だからボリュ、声の大きさ」

 などと言い合っていると部屋の中からガタガタと音が聞こえた。二人はドアのほうを凝視した。ゆっくり少し開いたドアの隙間から新田が顔を出した。ボウズなので寝癖はついていないが、枕の跡が顔の右側に付いていて、目が五ミリほどしか開いていない。

「下で待ってて,すぐ下りていくから」

 そう言ってドアを閉めた。声も低く、今起きたばかりという感じである。

「寝起きの新田ホラーっぽいね」井上が言った。尻餅をついている友哉の隣にしゃがんで友哉のシャツの袖を引っ張っている。

「うん。いつもの新田とぜんぜん違うね」

 友哉はそう言いながら立ち上がり、階段を下り始めた。友哉のシャツをつかんだままの井上も、引っ張られる形で下りた。井上は意外と怖がりなようだ。友哉は

鼓動が速くなる。

 しばらく待っていると新田が下りてきた。

「ごめん、目覚まし時計、無意識で止めたみたい」枕の跡は消えていないが、目は開いており、いつもの新田であった。

「桃田が怒ってるから早く行こうぜ」友哉が言った。

「うわー桃田怒ってるんだ。行くのやめようかな」

「いや、そうしたら余計怒るだろ。いいからとにかく行くぞ」

 待ち合わせ場所であるバスロータリーにむけて自転車をこぎ始めた。まだ暗い日曜日の早朝、あたりには三人のほかには誰も見当たらない。異次元に小学生が取り残されるというストーリーの漫画があったけれど、そんな感じだなと友哉は思った。冒険をしているようで気分が高揚した。しばらく団地の中の細い道路を通った後、団地の商店街を突っ切り、団地のバスターミナルに着いた。

 桃田は冴木とまだ話していて機嫌がよさそうだ。むしろ他の連中が待たされて少しいらいらしている。

「本当ごめん、起きられなかった。次は目覚まし時計四つセットする。ごめんなさい」

 新田が両手を合わせて、頭を下げて皆にあやまる。

「気にすんなよ、早朝の釣りの待ち合わせだと、誰かしら起きれないで来ないもんだよ」

 桃田がそう言って場を収める。他の連中は、桃田がそう言えば、うなずくだけである。冴木はそれを見て満足そうである。

「日が昇る前に着きたいから少しとばしていくぞ」

 そう言って桃田は自転車のスタンドを蹴り上げ、バスロータリーの外へ向かって自転車をこぎ始めた。"朝まずめ"と言って、日の出の前後一時間くらいが魚がよく釣れる時間なのである。それを過ぎるとスレている津久井湖では釣るのは難しい。

  桃田、長内、丸山が先頭グループで、次に井上と冴木、続いて友哉と新田、最後に今田、大沢、佐々木の三人という順番で進む形になった。まずロータリーの前の坂道を一気に下り、次は長い上り坂である。友哉は早くも付いていけるか不安になってきた。郊外の団地はたいてい丘の中に立っていて、坂道ばかりなのである。

 前を見ると、桃田らの先頭グループはペースが速く少し離れてしまっている。新田はいつのまにか井上と冴木を抜いて四番手の位置にいる。体力があり余っているようだ。友哉と井上、冴木が連なって走ることになった。残りの同じクラスの三人、今田、大沢、佐々木は少し離れた後方にいる。

 団地だらけの地域をぬけると、町田街道に出た。日中は交通量が結構あるのだが、今は貸切状態である。桃田が車道の真ん中でハンドルから手を放し、両手を上にあげて叫び声をあげる。見ていて気持ちよさそうなので次々に皆が真似をする。小学生で声が高いのでサルが集団で吠えているようだ。友哉も真似をして両手をあげ、ついでに顔も上を向き星空が視界に入った。時間的なものなのか住宅街から少し離れたからなのか、星の数がすごい。道路の真ん中で視界を遮るものもないのでプラネタリウムのようである。そのまま上を向いて走った。

「飲む?」と井上が声をかけてきた。見ると水筒を手に持っていた。

「んー、飲む」友哉が答えると、井上は自転車をこいだままで水筒の蓋を友哉に渡した。

「星きれいだね。井田、星好きなの?」言いながら、井上は蓋に水筒の中身をそそぐ。

「うん、星座とか知らないけど、見るのは好き」

「ふーん、私も詳しくないけど見るのは好きだな」

 井上は上を向いて星を眺めている。友哉は蓋に注がれた液体を顔をあげて飲み干す。スーパーで安く売っている、袋入りの粉を水に溶かして作るスポーツドリンクの味だった。

「やたら美味いねこれ」

「そう?普通のだよ。粉を水に溶かすやつ」

「だよね、だけど美味い」

「・・・・・」

 どうにも会話が続かないが気まずい雰囲気というわけではなく、むしろ感覚を共有できているような不思議な時間だった。


 しばらくして橋本駅付近で町田街道を左に曲がり、橋本駅から津久井湖行きのバスの通る道に出た。知っている道なので友哉はほっとして、津久井湖に着いたような気分になった。しかし、きついのは此処からだった。ダムが造られるだけあって山の中であり、進めば進むほどに坂道しかないということになった。友哉はすぐに脚力の限界を感じた。前を行く桃田のグループや新田でさえ立ち漕ぎで進んでいる。井上と冴木はよろけながらも遅れずについて行っている。後ろを見てみると今田のグループの姿が見えない。慌てて友哉は先頭の桃田に叫んだ。「後ろの三人ついてきてないぞー」

「あー、まじかよ、もう日が昇っちまうぞ」桃田が苦い顔をする。

「友哉もう道わかるだろ、俺ら先にボート屋にいってボート借りておくから、友哉は三人を待って後から来いよ」

「わかったそうする。みんな先に行っててよ」

「私も残ろうか?」井上が友哉の顔を覗き込みながら言う。

「いや、いいよ先にいってよ」友哉は顔を赤くして逃げるように言う。

「言ってみただけだよ、先にいくもん」井上が機嫌悪そうに言う。

 友哉はまずいと思ったが時すでに遅く、井上は冴木と先に進んで行ってしまった。友哉はドギマギすると何でも断ってしまうアガリ症な自分が本当に嫌になった。

 車も人もまったく通らない暗い道路で友哉は待っていた。五分ぐらいはもう経っているはずだ。不安になってきたので来た道を引き返して今田グループを捜しに行くことにした。苦労して登って来た坂道を下っていく。また登らなければならないと思うと憂鬱だった。坂を下りカーブを曲がったところで街灯の下でしゃがんで何やら自転車をいじっている三人を発見した。

「どうしたの?」

 友哉が言いながら近づいてみると、大沢の自転車のチェーンが外れてシャフトとスプロケット(歯車)の間に挟まって取れなくなってしまったようだ。

「こいつ犬の糞よけようとしてバランスくずして転んで、チェーン外れちまったんだ間抜けだろ?」

 今田が説明してくれた。しかも大沢は足を擦りむいている。

「なんか散々だね。気が付かずに犬のうんち踏んでた方が良かったのかも」

 と、友哉が言うと佐々木が

「世の中には知らないほうが幸せって事のほうが多いものだよ。だから俺は勉強しない」

 と、かっこよくわけわからん事を言う。

 友哉はリュックからリールを取り出し、そこからラインを引出し適当な長さででカットしたものを三本束ねた。それをシャフトと歯車に挟まっている部分のチェーンに通してラインの端と端を結んで輪っかにした。そこに踵をいれて蹴った。一撃でチェーンは取れた。

「さすが教師の息子」今田が言った。

 確かに友哉の父親は教師である。いつもは「教師の息子のくせに頭悪いな」と言われている。つまり今田は馬鹿にした感じで言っている。

「何がさすがなんだよ関係ないだろ」友哉はむっとして言った。

「誉めてんじゃないかよ、こういうサバイバル的な事では頭いいよな」

「結局バカにしてる気がするんだけど」

 友哉はさらにいらいらして顔が真顔になった。と、そのとき道路脇の植え込みから見慣れぬ動物が出てきて悠然と四人のすぐ横を通り過ぎようとし、友哉と目が合い立ち止った。

「ハクビシンだ!」友哉が驚いて言う。

「なに?ハクビシンって」今田は動物を凝視している。

「この動物の名前」

「なんでそんなの知ってんだよ、さすが教師の・・」

と、その時、佐々木がハクビシンを捕まえようと手を広げて近づいた。するとすばやく近くの木に飛びつき登り、さらに電線に飛んでぶらさがった状態でスルスルと進みあっという間に見えなくなってしまった。

「なんかすげーの見た気がする。今日もうお腹一杯だな」佐々木が言う。

「しかし相模原ってすごい田舎だよなー野生動物いて」

 今田が言って皆がうなづく。町田も狸や蛇がでて似たようなものなのだが、町田の住人の間では相模原は町田よりだいぶ田舎だということになっていた。

「えーと、自転車直ったから行こうよ」大沢が申し訳なさそうに小さい声で言った。

「そうだね、急がないと日が昇っちゃうよ」友哉が言うと、今田が「待たせると桃田に悪いからとっとと行くぜ」と言って、先頭を切って走り始めた。今田は自分が周りの人間よりも上だと思っているようなところがあり命令口調である。友哉は、かっこつけ野郎が!と思いつつ後を追った。


先に進んでいた桃田達はボート屋に着いて、店でボートを借りるためノートに住所と名前を書いた。今回の釣りは岸からではなく、ボートで釣りをすることになった。もちろん手漕ぎのボートである。桃田がボートのほうが釣れるし、何より漕ぐのが楽しいからと提案し、もちろん皆が賛成した。

ボートの定員は一艇につき三人で、桃田が割り振りを独断で決めた。

「ボート漕ぐの大変だから女子は別れてボート乗って、男二人がボート漕ぐから」

「私はボート漕ぎたいけど」井上が言う。

「わかった。じゃあ冴木と長内と俺が同じボートで、井上は漕ぐならだれかと二人でもいいな」

「いいけど、私と真理ちゃんと誰かでもいいんじゃ、あっ、そうか!」

「何がそうかなんだよ」

「ううん、いい案だと思うよ、うん」

「今田達はどうせ三人一緒がいいんだろうから同じボートにして、新田と丸山は相性良さそうだから一緒な」

「えっそう?相性いいかな。まあ新田はボート漕ぐの速そうだから一緒だと嬉しいけど」丸山が言う。

「じゃあ残り、友哉と私で同じボートだね」

 新田は何か言いたそうだったが、桃田が「じゃあそれで決定だな」ということで話を終わらせてしまった為に何も言えなかった。

 ボート屋で椅子に座り、しばらく菓子など食べて待っていると、友哉、今田、大沢、佐々木がやって来た。

「ごめん、こけてチェーンはずれちゃって直すのに時間かかった」大沢が桃田に謝る。

「それよりハクビシンとかいうの見たぞ、野生動物」今田が興奮気味に話す。

 桃田が無表情で椅子から立ち上がりながら

「ハクビシンなんて家の近くにもいるぞ、珍しくないだろ」と言った。

「えっそうなの?」

 今田はショックを受けて、友哉、大沢、佐々木を見た。三人もショックだったが顔に出さないようにし、今田から目を逸らした。

「ボートの割り振り決めておいたから。友哉は井上とで、あと三人は同じボートな」

 桃田が有無を言わさず四人を見渡しながら言い放った。友哉は井上のほうを見て目が合った。

「なに、いやなの」井上がからかい気味に言う。

 友哉は慌てて首を左右に振ったが何も言えず無言である。

「ふーん、まあいいや、よろしくね。私、ボート漕ぐの得意だから井田は漕がなくてもいいよ」

「漕ぐって。ボート漕ぐの面白そうだし」

「井田ボート漕いだことないんだ」

「手漕ぎボートは初めてなんだ。エンジン付いたのは、この前に加藤さんに乗せてもらったけど」

「幸雄君のボートか、いいなー私も乗りたいな。今日、会えたらいいな」

 すっかり友哉は忘れていたが、加藤さんに会うのが井上の目的であった。

「会えたとして、どうするの、何か伝えたいことでもあるの?」

「気になるんだ友哉」

「いや、すごく会いたいみたいだから、普通に何でだろって思っただけだよ」

「だけなんだ、残念」

「えっ?」

 と、聞き返した時には井上は背を向けてボートがある湖畔に下りるべく歩き出していた。

 湖畔には桟橋が浮かんでいてボートがいくつも繋がれている。ボート屋のお爺さんの指示に従いそれぞれボートに乗り込んでいく。お爺さんがボートを押さえてくれているのだが、それでも足を踏み入れると激しく揺れた。加藤さんのバスボートと比べるとおもちゃのようで頼りない。

 それぞれボートに乗り込むとバラバラの方角に漕ぎだした。近くに別のボートがいると魚に警戒される為、なるべく離れた場所で釣りをしたいのである。

 が、しかし新田と丸山のボートが友哉と井上が乗るボートについてくる。漕いでいるのは新田である。

「せっかくいっしょに釣りに来てんだから近くで一緒にやろうよ」 新田が友哉と井上のボートに向かって声をかけた。

「仲いいね、友哉と新田」井上が言った。

「まあ、そこそこ」

 友哉は言いながら、たしか新田はスポーツが得意な女子がタイプだと言っていたのを思い出していた。

「私ちょっと本気出して漕ぐね」

 井上が言い、漕ぐペースを上げた。見る間に距離が開いていった。新田も懸命に漕いでいるが、うまくいかないようだ。脚力はあっても腕力はないのかもしれない。

「おー、新田に勝った。私ってすごくない?」

「すごいと思うけど、こんな湖の真ん中じゃ釣れないよ」

「ごめん。ボートレースじゃなかったね。でも気持ちよかった」

井上がいい笑顔で髪をなびかせながら言う。そういえば井上はいつも笑顔だなと友哉は気が付いた。友哉のほうはわざと感情を表に出さずに無表情でいることが多い。そのように意識していないと、悔しいことがあるとすぐに涙目になって馬鹿にされるからである。しかし、つられて笑顔になった。そしてなぜか警戒された。

「何その意味ありげな表情、なんか企んでる?」

「・・・・・ボート漕ぐの代わるよ。疲れたでしょ?」

「うーん、じゃあお願いするよ。向こうの崖の下いいポイントだと思うから、あそこ行こう」

「わかった崖のほうに向かうよ」

 友哉はオールを受け取り、どのような表情でいればいいのか悩みながらボートを漕ぎ始めた。一生懸命にオールを水に入れ前後に動かしているのだが、どうにもボートのスピードが遅いしオールを動かす時の水の抵抗が重くて漕ぐのが大変である。

「友哉オールを深くまで沈ませ過ぎだよ、もっと浅くていいよ」井上が見かねてアドバイスをくれた。

 友哉は言われた通りにオールを沈める深さを少し浅めにした。すると負荷が軽くなり漕ぐスピードが上がり、ボートのスピードも速くなった。漕ぐたびに水面がボートの後方に移動していく。ボートを漕いでいると体が前後に動く為なのか体感スピードが速い。モーターボートと違い静かで滑るように移動していく。

「うわっ、すごい気持ちいい。ボート漕ぐの楽しいね」

「でしょー、わかってもらえてうれしいよ、うん。で、進行方向が崖からずれてるから左手だけ少し漕いでみて」

「あっ、ごめん夢中になって方角気にしてなかったよ」

「利き手のほうが力あるから少しずつずれてくんじゃないかな」

「おおっなるほど」

 井上なんだか色々とすごいなあと友哉は感動して見つめてしまった。

「なんか見つめられてる私」

「あっ、いや、違くて後ろだよ。新田がまた近づいてきたよ」

とっさに言って誤魔化した。実際にかなり近いところまで新田のボートが来ている。

「本当だ。まあ、ある程度離れていれば問題ないんじゃない。釣れたら見せびらかしてやろうよ」

 井上は気にしていない様子であったが、友哉は少しでも釣れる確率を上げたかった。それと、新田が近くに来ると監視されるような気がしていやだった。

しばらく漕ぐと水面から枯れた木が突き出て日影が出来ている場所があった。ダムが出来た時に沈んだのであろうか。友哉は水中の木の幹を覗き込みながら考えた。潜ったら沈んでしまった家とかあるのかもしれない。沈んだ家には悪いが魚にとっては良い住処である。

「このへん良さそうな感じだよ。木が沈んでいて魚が居ついてそう」

「本当だ、こういうの見るとダム湖なんだなって思うね。すごいよね川をせき止めてるんだから・・・。もしダムがバーンって壊れたら、すごい勢いで海まで流されるかな?」

 井上が楽しそうに友哉を見て言う。

「多分、海につく前に岩にぶつかって沈んでしまうと思う」

 友哉が真顔で言う。

「沈むなんてマイナス思考だな、もうちょっと夢のある想像をしようよ。ハワイに流れ着くとかさ」

「・・・・・」

 友哉は言われたことを、まずはそのまま受け取ってしまう。ハワイに流れ着くってありえるのだろうかと本気で考えてしまう。少し時間がたってから、つっこみを入れるところだと気がつくが、時すでに遅く井上は口を尖らせて不機嫌そうである。あわてて友哉は言った。

「ごめん、ハワイについて考えてた」

「はあ?友哉、変だよ」

 あきれたような、楽しんでるような、複雑な顔だった。

「やっぱり変かな俺」

 友哉は自分でも自覚がある為、よほど変なのかと心配になった。

「うん。でも面白いから変でいいんじゃない」

「俺、面白いの?」

「とりあえず私は楽しいよ」

「本当?そうなんだ。ふーん」

 井上が楽しいのであれば変でもいいかと、妙にすっきりした気分になった。

「ここは深いからワーム使った方がいいかもね」

 井上は言いながらジグヘッドというフックに重りが付いたものにワームをセットした。

「俺もワーム沈めて、上下させてみる」

 友哉はワームは生き餌のようなルアーのような中途半端な気がしてあまり好きではないのだが、沈んでいる木に沿ってワームを沈めていけば釣れそうな気がした。釣り番組でそういう光景を見たことがあった。井上が釣れて自分がボウズだと格好が悪いのでワームを使うことにした。

 二人はそれぞれ別々の木の近くにワームをキャストした。友哉はワームを沈めながらラインを見つめていた。湖底に到達するとラインが緩むのでそれを見極めるためである。すると先にキャストしてリールを巻き上げていた井上がニヤニヤしながら声をあげた。

「重くなった。釣れたかも!」

「まじで!一投目じゃない!何だかなー」

 思わず悔しい気持ちが口にでてしまった。友哉は見つめていた自分のロッドのラインから目を離し、井上のほうを見た。確かにロッドの先が水中にに引っ張られている。しかし引っ張られ過ぎという感じもする。

「もし魚だったらかなりの大物だ」

「なんか嫌な言い方だなーでも、魚じゃない気がしてきたよ、私も」

 井上がリールを巻くのを止めた。ロッドはしなっているが、引いている様子はない。何か重い物がぶら下がっている感じだ。「やっぱり魚じゃないな」と、言いながら、残念そうに再びリールを巻き始めた。しばらくすると何か黒い物が見えてきた。最初は藻かと思ったのだが、水面に近くまできて正体が分かった。髪の毛だった。

「うわっ、きゃあっ」井上は叫んでロッドをボートに置いてしまった。

友哉は人間は苦手であるが幽霊や正体不明なものには恐怖は少しも感じないので、それが何であるかすぐに分かった。リールを巻き上げてみると思った通りカツラであった。

「ただのカツラだよ」

 友哉は、それをつまんで井上のほうに向けた。水がぼたぼたと滴って不気味な雰囲気を醸し出している。

「ただのって、何でカツラが釣れるの?もう帰ろうよ」

「崖の上でヘッドバンキングしてたら取れちゃったんだよ多分」

「何それ、想像したら怖くなってきた」

「頭振りながら何か叫んでそうだもんね」

 と、友哉が言ったところで「釣れたのー」という新田の大声が聞こえてきた。いいタイミングだったので友哉と井上は少しビクッとなった。いつの間にかすぐ近くに新田と丸山が来ていた。

 友哉は無言でカツラを新田のボートの方に差し出した。

「何それ、藻?」「ゴミ袋?」

 新田と丸山のボートまで少し距離がある為に髪の毛だとわからないようだ。友哉は手招きして彼らのボートが近づいてくるのをまった。

 丸山がすぐに気が付いた。

「これ髪の毛じゃん気持ち悪っ」

 新田の反応は少し違った。

「カツラだよねそれ、ということはマネキンの頭も沈んでいるんじゃない?俺、頭を釣りあげる」

「マネキンの頭を釣ってどうすんだよ」

「頭にカツラ乗せてあげるんだよ、髪の毛ないと寂しいでしょう」

 ボウズ頭の新田が言う。

「それよりカツラ沈めてあげたほうが早いんじゃない」

「なるほど!そうだねそのほうが正しい気がする」

 新田は納得してカツラを湖に沈めた。カツラが揺れながら沈んでいく。人が沈んでいっているようで気持ちが悪い。とりあえず視界からカツラが消えて井上は少し安心したようだが、

「もう場所変えよう」言うと、恐怖に凍り付いたような顔でボートを漕ぎだした。

 新田も慌ててボートを漕ぎだした。またもやボートレースのような展開となってしまった。新田はやはり井上のスピードについていけない、そこで丸山が新田に代わって漕ぎだした。

 丸山は桃田と仲がいいだけあって不良っぽく少し髪も茶色なのだが、名前のとおりに丸く太っていて、もしかしたら丸山の重さで遅いのかもなどと友哉は思っていた。しかし丸山がゆったりと漕ぐとボートのスピードが明らかに速くなった。やはりボートを漕ぐには何かコツがあるようだ。瞬く間に友哉と井上のボートに追いついき、そして追い越していった。新田が丸山に「もういい、スピードを落として」と言っているが丸山は漕ぐのをやめず、離れて行ってしまった。

「うーん、丸山漕ぐのうまいね。私けっこうボートには自信あったんだけどな」

 井上は下唇を噛んで悔しそうなのだがその表情がかわいい、もはやカツラのことは忘れたようだ。友哉は丸山にいろいろと感謝した。

 少し疲れたと言って井上はボートの上であおむけに寝転んだ。友哉も真似をして寝転んでみた。視界を遮るものがなく空が広くて、ボートがわずかに揺れていて宙に浮いているようだ。二人はしばらく湖の上で寝転んでいた。




 

 

















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