男の値段
この物語は、“月曜真っ黒シリーズ”でボツにしたものです(^^;)
「部長! お約束いただいた2年からもう4か月も経っています。私はいつ本社に戻れるのでしょうか?」
そう尋ねた男を“部長”は一瞥した。
「単身赴任のキミの事はもちろん気に掛けているよ。しかし人事はキミ一人を動かせばいいという事では無い。今、無理にキミを戻せば、キミは10期下の井上の部下になってしまう。私の同期にその様な者が居てはならんのだ!!我ら34期は我が社の中核となるべく日夜研鑽を続けている。キミが苦労しているのはそのアタマを見れば分かるが、キミもその礎になるべく、もうひと頑張りもふた頑張りもしてもらわにゃならん!」
男は額の上にバラバラ崩れてきているバーコードの髪を汗と共にかき上げ食い下がろうとする。
「もちろん頑張らさせていただきます! しかし……」
男の言葉には取り合わず部長は話を続ける。
「知っていると思うが、この前の同期会にはキミの奥さんも来ていたよ。相変らずの美貌で……キミが羨ましいよ」
「あ、いえ……」と男は頭を振って言葉を継ぐ。
「部長の奥様こそ、お綺麗でらっしゃいます……」
「キミ!“役員”に向かって『お綺麗』は不適切だろう!! もっとも“家内”は、そんな事では怒らないがね!」
部長は鷹揚に笑って見せながら男に釘を刺す。
「キミのそういう所がなってないんだ!! そういう事を得意先ではやらんようにな!!」
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単身赴任と言っても月々の家賃は自己負担の為、男の借りているアパートは会社のすぐ近くでは無い。
電車で15分ほど行った先からさらに徒歩12分(不動産広告で)掛かる。
この区間の6か月の定期代は46,170円だが、これについても“人事”では好ましく思われていない事を彼は知らない。
いずれにしてもこの帰りの電車の15分の中で、彼にはやる事があった。
彼は朝、自宅から持って出た“日経”はカバンの中にしまい込み、代わりにこげ茶のエコバックを取り出して電車の車両を頭からお尻まで歩いて行って、丹念に網棚を見て行く。
そして置き捨てになっている朝刊、スポーツ新聞、マンガ雑誌などを集めて回る。
たまに彼の心をくすぐる週刊誌などに出会うと、ほくそ笑みをかみ殺しながら周りをキョロキョロ伺い、サッ!とエコバックの中へ回収する。
こうやって電車を降りると駅の時計は9時前を指しており、彼はそのまま駅前のスーパーに直行しショッピングバスケットにエコバックとカバンを入れ、カートの下段に突っ込み、“お弁当お惣菜コーナー”の前へ進む。
そこは“サメたち”の棲み処で……店員がパックに『50%OFF』や『値下処分』のシールを貼るたびに“ショッピングバスケット”という大きな口で飲み込んでゆく。
男もワラワラと延びる手をかいくぐって何とか目的の弁当と惣菜をゲットし、仕上げに3リットルもある赤地に白丸の紙パックの日本酒をショッピングバスケットに入れる。
サッカー台で買った物をエコバックに詰め、風除室をくぐり表に出ると……
両腕にエコバックを下げ、右手には割とキレイ目の……見栄を張る為の雑誌を握り締め、左手に申し訳なさ程度の薄さのカバンを持つ。
荷下ろしの為に表に置かれていた運搬カーゴにはトイレットペーパーがうず高く積まれていたが、男はそれを見て、またほくそ笑む。
そう、今日は廃品回収業者の来る日。彼の日頃の努力が実を結ぶ日なのだ。
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「アイツ!同期会の事なんてひと言も書いてなかった!」
とは言っても妻が男の所へ連絡<メールだが……>を寄越すのは、男の所へ来た郵便物の内容画像や男のカード名義で買った通販の買い物などの必要最低限の事だけだ。
かつて男や“部長”の同期(34期)だった彼の妻は、同期の間ではもっぱら後に部長となる“イケメン”とできているとの噂だった。
しかし実際の所は、彼女はひょんな事から男と親密になり、男も他のヤツには取られたくないと言う気持ちが大きく働いてなんとか結婚まで漕ぎ着け、すぐに子宝にも恵まれた。
その娘も母に似て美人で中学時代から『ドクモ』などもやっている。
男が結婚してから程なく、“部長”は社長の娘に見初められてゴールインしたが子宝には恵まれていない。
これが、男が同期の中で優越感を覚えている唯一の事だが、実際は家族L●NEさえ(家族と言っても三人だが)蚊帳の外だ。
昨年末のメールも『私は美羽と実家へ帰るけど、あなたも来たければ来れば』だった。
うだつの上がらない上に地方に転勤の憂き目にあった男にとって妻の実家はますます敷居が高く、“針の筵”の年末年始を過ごしたくない彼は、結局一人アパートで年を越した。
“姫始め”どころか妻とは足掛け二年、顔も合わせてはいない。電話での会話すら無い。
「果たして単身赴任を解かれ、帰って来たとしてもオレの居場所はあるのだろうか?」
“早く帰りたい”と言う願いと同時にいつも頭を擡げるこの疑問を彼はレンジで温めたパック酒のお銚子で飲み下していた。
そんな“独り呑み”を今日も行わんとアパートの錆びた鉄階段をカツンカツン昇る。
彼の部屋の戸口には、集めた古新聞の代わりに真白なトイレットペーパーが段積みされているはず!!
しかし……
彼の部屋の前には何も無い。
出勤前に山積みした古新聞達は回収業者の案内の紙ごと消え失せているから、確かに回収はされたはず、なのに!!
引き換えに積まれるはずのトイレットペーパーだけが無い!!
盗られた!!!
彼はアパートの二階の通路を両手の荷物と共に野良犬の様にうろうろと行ったり来たりする。
どの家も灯が点いていて
ある部屋からは夕餉の香りが、ある部屋からシャボンの香りが、ある部屋からは団らんの声が灯と共に漏れ出している。
しかし彼の渇望する
あの白いトイレットペーパーはどこにもなく
やがてつくため息と共に
彼の脳裏に
会社のトイレに2段積みされていたトイレペーパーが浮かんだ。
しかし
こんな彼にも“価値”がある。
“値段”がある。
彼には5000万円の死亡保険が掛けられていて
彼が“ぽっくり病”で逝く事を願っている人間が
少なからず居る。
黒楓がこのお話のネタをボツにしたのがお分かりいただけましたでしょうか?
黒すぎるこのお話にお付き合いいただけて本当にありがとうございます。<m(__)m>
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