表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
短編集 女魔道士の正義  作者: 黒機鶴太
ビターホワイト
8/18

ビターホワイト



 今朝は剣技がメインだった。二人だけの早朝鍛錬が終わって、王思玲ワンスーリンはアイスキャンディをくわえる。腹の内から汗が引いていく。朝飯などいらない。

 上空で待機していた伝令の大燕がリウ師傅のもとに降りる。クライアントからの言伝を聞く師傅の横顔は凛々しく、相変わらず目は怖い。タオルで汗を拭きながら私に顔を向ける。


「思玲。今から日本に行ってくれ」


 師傅が赴くまでもない用件か。もちろん上客である日本の依頼は断れない。


「承知しましたが、内容は?」しかし今朝は暑いな。


「朝から衣服を脱ぐな。すべきことは手助けだ。あの国といえども、いまの世にそう異形は現れない」


 つまり下っ端の仕事だ。まあ化け物が暴れたなら、あなたが抹殺に行くわけですしね。


「すぐに発ちます」

 思玲は立ちあがる。式神をにらむ。「用件を教えろ」


 浮かぶ式神を引き連れて、住まいへ駆ける。


「シャワーを浴びていけ。岐阜だから、空港はセントレアだろう」


 それらはどこだ? 日本の地名など知る由がない。北海道だったらいいな。雪を見られるかも。


「ちゃんと聞いてますか?」


 喋りつづける大燕が鬱陶しい。思玲は一緒に浴室へ消える。



   ***



 雪が降らないだけましだ。俺は黄色い蛍光色で身を包み、中央道を一人歩いていた。真っ暗な山の中の人工的空間。二月十四日はじきに終わる。


 高速道路の工事現場に黄色いコーンを延々と並べたり回収したり、旗を振り注意を喚起するのが、いまの俺の仕事。すぐ横を大型トラックが猛速度(法定速度であろうと)で突き抜けていくのだから危険だけど時給はいい。仕事量も多い。今日みたいに冬の夜は氷るほどに凍える。夏の昼は経験してないが、その頃には高速道路工事専門の警備会社のバイトは続けてはいないだろう。例によって。


 緩やかなカーブに差し掛かり、俺はハイビームに懐中電灯の明かりごと飲みこまれる。トレーラー車は通過していき、また闇に戻る。ポケットからチョコレートの包みをだして頬張る。紙は路上に捨てる。発電機は見当たらなかった。


 数キロに渡り二十個以上点在する工事用発電機。その警備のために一晩中巡回するのも今夜で三日目だ。この数日で盗まれたのは七個目。元請けの工事会社もそろそろ問題にしそうだが、録画で車種まで判明している。ただ、ベトナム人(会社はそう決めつけていた)グループは斥候の車もあるようで、いまだ犯行現場に鉢合わせない。遭遇した際にどうするか指示されていないけど、ナンバーぐらいは控えよう。

 粉雪が舞ってきた。事務所のおばさんからもらったチョコレートをまた食べる。義理チョコなんてもらったのはいつ以来だろう。




 雪は路面にうっすら積もりだした。次のポイントの現場が見えた。黒いライトバンが停車している……。出会ってしまった!

 俺の中の怒りがマックスになる。外国の犯罪グループが相手だろうと、こっちは一人であろうと、全員捕らえてやる。

 ライトバンは俺に気づいていたようだ。規制してある車線で乱暴に切り返し、俺へとライトを向ける。


「貴様は関わるな! そこで待っていろ!」


 怒鳴り声が聞こえ、俺とライトバンの間に、長身の若い女性が飛びこんできた。車は彼女へと突進する。

 このままだと彼女を轢いて俺も轢かれる。俺は彼女を退けようとする。俺を払いのけて、女は手にした扇と小刀を交差させる。腰が抜けるほどの螺旋の光が、暴走するライトバンに直撃する。車は爆発する。


「あれこそ、もはや手がつけられぬ怨霊だ」


 彼女が振りかえる。眼鏡をかけた美人だ。二十代半ばか。俺よりちょっと若いな。その背後で車は跡形もなく消え去る。


「あ、あなたは?」


「王思玲。台湾の魔道士だ」

 彼女は俺のもとへとやってくる。「貴様は私が怖くないのか?」


 160センチ台の俺より背高い。両手に扇と護刀を握ったままだ。


「怖いもなにも呆気に……。今のはなんですか?」

「ここで自動車事故で亡くなった方の行く末だ。……小さい娘が同乗していて、その子の死にざまを目の当たりにしながらおのれも死んだ」


 思玲という女は俺をじっと見る。……二月半ばの岐阜県の山中というのに、彼女は半袖のポロシャツだった。


「寒くないの? 雪は本降りになるよ」


 俺の問いかけに、彼女が怪訝な顔をする。


「私は鍛錬しているから寒さなど平気だが……、貴様はさきほども怨霊の車から私を守ろうとしたな?」


 彼女は背中に目があるのか?


「当たり前だよ。これを着なよ」


 俺はレインコートを取りだす。彼女は受けとろうとしない。


「お前は変わった奴だな」


 俺への呼称が変わった。……俺はずっと地味に生きてきたけど、夜の高速道路で車が蒸発するのを目にして平気ならば、たしかに変人かもな。でも、そろそろ巡回を再開しないと。


「俺は仕事に戻るから」

 そうだ。助けてもらったお礼をしないと。俺はポケットに手を突っこむ。「チョコレートをどうぞ。こんな雪でも、少しは温まるよ」


 風雪は強まるばかりだ。彼女は戸惑いながらもチョコレートを受けとる。そんな顔されても……。バレンタインデーだろうが、男から女にプレゼントだって有りだろ。人生初めての女性への贈り物だろうと。

 俺は手を振り彼女に背を向ける。


「待て」即座に呼びとめられる。「雪が降っているのか?」


 振りかえると、彼女の髪にもうっすら雪がかかっていた。俺は呆れながらうなずく。


「お前に告げないとならない。日付が変わり、今日は七夕だ。日本の山といえ雪が降るはずがない」

 彼女は続ける。

「お前が死んだときは降っていたのだな?」




 俺の記憶は虚ろだが、たしかにあの夜も雪は降っていた。あの黒いライトバンは、俺の登場なんかに慌てて車を急発進させた。スリップして、そのまま俺へと――。


「お前を轢き殺した日本人どもは一月後に捕まった。だがお前は知るはずもなく、ここに居残りつづけた」


 俺のかすかな記憶。猛スピードで去っていく車。また事故を起こすだろと心配して、お前は絶対に許さないと誓いながら……。


「お前はこの半年で事故を三つ引き起こした。あの車と似たような車種を選んでな。……先日の事故で、ついに二人死んだ。四歳の娘は即死。その父親は病院でだ」


 そんな記憶はない。でも彼女は俺へと近づいてくる。ふたつのおぞましい武器を掴んだままで。


「父親は死霊となり、消すことなどできないお前を探し求めだした。お前よりはるかに厄介な怨霊となってな。……ふたつの霊を消滅させる。そのために、私は日本に来た」


 この人の言っていることはよく分からない。はやく仕事に戻らないと……。彼女は握りしめたままじゃないか。


「チョコが溶けちゃうよ」


 俺は微笑みかける。目前まで来た彼女は俺をひとしきり見たあとに、扇と小刀をショルダーバッグにしまう。チョコレートを口に放りこむ。


「生身の者には見えぬチョコだが旨かったぞ。そして、これが私からのお礼だ」

 彼女は胸もとから赤い玉のペンダントをだす。

「癒しと浄化の玉だ。これに触れれば、あなたは苦しまずに消えられる」


 女性からのプレゼントも生まれて初めてだ。……情けない人生だったけど、まだまだ今から始まりだったよな。俺はペンダントに手を伸ばす。触れるなり救われる。赦された。なのに思いだす。

 なにが苦しまないだよ……。


   ***


「お父さん、お母さん、ごめんな……」


 蛍光色の作業着をまとった怨霊は消滅していった。


「風変わりな悪霊でしたね」


 上空で式神が笑う。思玲も同感だった。襲いかかってくれたならば、もっと業務的に倒せたのに。


「完了したと、依頼主に伝えてこい」

 思玲は大燕に命じる。「その足で台湾に戻り師傅に伝えろ。七夕ぐらい空港のレストランで食事したいとな」


 式神の気配が消える。山中の高速道路は思玲だけになる。猛スピードの車のヘッドライトに一瞬だけ照らされる。

 どうせ師傅がレストランもホテルも予約するはずない。思玲は右手を開けて、見えるはずない溶けたチョコを舐める。


「苦いだけだな」


 何人もの魂を奪った忌まわしい場所を一瞥して、林へと消える。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ