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短編集 女魔道士の正義  作者: 黒機鶴太
今宵も狩りの刻
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今宵も狩りの刻

今宵も狩りの刻



 その雑貨屋は行き止まりの路地にあり、人を受け入れない佇まいだった。それでも興味を抱き入店した人は、二度と戻ってこない。そんな噂はまだ流れてない。

 志乃は空を見上げる。太陽は中天にある。つまり人の時間のピークだ。

「いってきます」と路地へ入る。


 扉を引くとチャイムが鳴った。志乃は気にせず狭く薄暗い店内に入る。……埃くさいな。血の匂いはしない。

 志乃は汚れたショーケースを眺める。西洋のアンティークを乱雑に並べた一角があった。陽の光を恐れて潜む気配は……陶器製の人形からか。ドレスを広げたレディとその娘のそれぞれに忌むべきものが隠れている。でも雑魚だ。私なんかに震えている。


「おかしいな」


 つぶやいてしまう。夜遊び(パトロール)で感じた忌むべき気がない。逃げたか、それとも気配を察せぬほどの存在……。

 ぞわっとした。陶器の母娘の一段上に、石膏を染めた小さな置物があった。黒い水牛の首から上だけなんて趣味悪いフィギア。


「どれかご所望ですか?」


 背後から声かけられて、今度はびくりとしてしまう。五十代ぐらいの痩せた男がいた。その営業の笑みはすぐに消え、怪訝な顔を無言でにらむ志乃へ向ける。


「……貴様は、こっちの世界の人間だな」


 気づくのが遅いんだよ。私も人のこと言えないけど。


「お前は妖魔だろ。いつから店主に乗り移った?」


「憑りついたとでも? この俺が?」

 男が口が裂けるほどに笑う。

「この姿の人間ならば、喰い殺したに決まっているだろ」


「どっちにしろ成敗だ」


「お前が? 私を?」

 その肌の色が青緑に変わっていく。

「だったらお前も食ってやる。……見れば見るほどうまそうだ。犯しながら耳朶から喰おう。首から血をすすろう」

 蛇のように舌を動かす。


「キモすぎ」

 志乃は左手に小刀をだす。二十歳のお祝いに師匠から譲られたものを研ぎなおしてある。


 魔物と化した男が志乃の手もとを凝視する。

「夜の闇が待ち遠しい」

 薄らぐように消える。


「あきらめのよい魔物だこと」

 また背後から声がした。「でも志乃の魅力に囚われましたね」


 姿を隠す結界に潜んでいた還暦オーバーの女性、すなわち師匠が現れる。


「弱くはなさげでした。逃げ足が速いのは多少は知恵があるから。……新月に襲われたら勝てないかも」

 魔物にまとわりつかれるのは嫌だから、ちょっとオーバーに伝えておく。


「そう? だったら今のうちに倒しておきましょう」


 師匠の右手に剣が現れる。150センチ代のおばさんにはバランス悪い長刀が青白く輝きだす。


「お前らは無害みたいだが、お友達を恨め」


 師匠がショーケースへ剣を二回振るう。蒼白の十字の光は、ガラスも陳列品も壊すことない。だけど陶器の二体のフィギアから悲鳴が聞こえた。


「わ、私の妻を……奴隷を……」

 店主の姿をした異形が再び現れる。「おのれ……」


「なんだ。これくらいで戻ってくるなんて、やっぱ低脳だったね」

 志乃がくすりと笑う。


「貴様の棲み処は地の底だろ。我が剣が送り届けてやる」

 師匠が剣を掲げる。店内が青白く照らされる。その義眼も照らされる。


「ぐえっ」


 その光を浴びただけで、妖魔が溶けていく。残滓が影のように床を這いずり消える。師匠が剣をおろす。


「さすが師匠っすね。でも、とどめを刺さなかった意図はなんですか?」

 志乃も手から小刀を消す。


「……刺せなかった」師匠がぽつり言う。


「え?」

「ついに私の力が衰えてきたようですね。――自分の身は自分で守る。志乃はその覚悟を持つときが来ました」


 意味を理解するのにちょっとだけ時間がかかってしまった。


「無理です! まだ無理! 永遠に無理! ずっと師匠に追いつけるはずないです!」

「だったら私と共倒れですね。……さきほどの妖魔は消滅せずとも深手は負わせました。数十年は地上に戻れないでしょう。その頃には恨みある私も、さすがに生きていないでしょう」

「師匠は百歳まで生きそうな予感がしますけど……」

「あなたの霊感はあてになりません。行きましょう」

「え?」


 狩りは密やかに。なのに志乃は、またも人の声を発してしまった。ショーケースに目を向ける。


「どうしました?」

「……気づかれないのですか?」

 息を潜める獲物の存在に。


「まだ何かが潜んでいるとでも? 志乃の霊感はあてになりません」


 師匠がドアを開けてでていく。

 志乃はもう一度ショーケースを見る。首から上の黒い牛のフィギア。


ぶるっ


「師匠! ま、待ってください!」


 志乃も店からでる。師の後ろ姿と日差しに安堵を覚える。……畜生、おじけついちまった。


 ***


 この時間になると商店街の人通りは皆無だ。一本隣の歓楽街は賑やかだろうけど。

 志乃は街灯が灯るだけの路地へ入る。鍵がかけられることないドアを開ける。


「見逃されるなんて思ってないだろうな? 臆病者の相手をしに戻ってきてやったぜ」

 真っ暗な店内。灯りはどこにもない。ショーケースをにらむ。

「正体を現せ」


「殺されるため、わざわざ夜に訪ねたか」

 牛のフィギアが西洋の言葉を発する。

「私はお前の精気に惹かれない。私はそんな下等なものを口にしない」


 精気? ……私は見た目で化け物にモテモテだと思ったら、そんな理由だったのか。エロ女じゃないかよ。


「お化けと会話したくねーし。その姿のまま切り刻んでやろうか?」

 志乃は左手に小刀を現す。


「だったら私の眷属と戦え。おいっ」


「はい」と、店内の奥から生気ない男がやってきた。……四十前後かな。志乃をじっとり見つめてくる。


「こいつは私との契約が完了して人ではなくなった。十年たっぷり色欲に溺れられたのだから後悔はないよな?」


「もちろんです」

 男が無表情で答える。死んだ魚のような目。


「だが私は慈悲深い。これから先を永遠に我がしもべとして過ごすのだから、特別にこの女を好きにさせてやる」

「寛大な心。ありがたき幸せ」


 男の顔が溶けていく。一つ目となり口が消える。手に鱗がはえる。


「……醜い姿に堕ちたな。業が深い証拠だ」

 こいつはおのれの業が魔を呼び、おのれの業により人でなくなった。


「私が人であったときに誰であったか、どんな快楽に溺れられたか、なにも覚えていない。我が主に魂を捧げた今だけが存在している」

 男が志乃へと歩む。一つ目になろうと好色の眼差し。

「だけど人でなくなったから分かることもある。お前はきっと美味だ」


「お前もうるさいな。黙らせてやる。成敗だ!」


 志乃が小刀を振るう。紅色の光が、一つ目の男の首へと突き刺さる。


「ひっ、あああ……」

 男の全身が溶けだす。絶望の声を残し、引きずられるように消えていく。


「ためらいもなく、人であったものを地の底に送り込んだな」

 牛の置物の声は感嘆にも聞こえる。「慈悲なき行為。神を冒涜する所業」


「知らないのか? 私たちはそれが許されている。そして貴様らは無慈悲も冒涜も許されない」

「ゆえに私を狩るというのか。――弱き人よ、ならば戦おう。敗れれば私の眷属となる。その契約のもとで戦おう」


「貴様が敗れたら羽虫にもなれずに消滅する。その契約のもとで相手してやる」

 志乃はくすりと笑みをこぼす。

「小刀でなく、この剣でな」


 その右手に長剣が現れる。掲げれば青く輝く。


「ほおお……剣の所有を許されていたのか」

「まあな」


 置物は感心してくれたけど、勝手に持ちだしただけだ。


――私の身に何かあったら、あなたはこれで人々を護りなさい


 それまでは使用厳禁の、師匠のものと対になる破邪の剣……。


ぞわっ


 石膏でできた牛が薄笑いを浮かべた。


「だが輝きが弱い。私の光をかき消せるか?」


 同時に室内が血の色と染まり、志乃は悲鳴を漏らしかける。……剣の光が悪しき光に飲みこまれ消滅した。さすがにうまくないかも。


「契約に基づき、今宵もまた人を狩る」


 フィギアから禍々しき気配があふれだす。目の前に2メートルを越える男が現れる。


「ひゃあ」


 今度こそ悲鳴をあげてしまう。黒い毛で覆われた巨体とひょろ長い手足。それでいて顔はタトゥーまみれの頭蓋骨だ。眼球は存在している。四本のツノがはえている。

 志乃は後ずさってしまう。


「私の本当の姿は気に入ってもらえたかな? お前の精気はひと啜りもしないから案ずるな。下僕とするために私の精を授けるだけだ」

 妖魔が蔑みの笑みを浮かべる。その体臭は腐臭。


「……輝け」志乃は剣を掲げる。「輝け、輝け、輝け!」


「年老いた狩りの者は現れないぞ。この血の色の光は、お前らが言う結界だ。外には何も届かない」

 妖魔が寄ってくる。蠅が落ちるほどの口臭。


「輝けよ! 照らせよ! 邪を祓え!」

 でも剣は光らない。


「殺されるではないのだから、あきらめて剣を降ろせ。お前のなかに私の精をたっぷりと注いであげよう。……あの老いた女は地の底に送るがな」


 志乃は背を向けて逃げようとして、立ちどまり振りかえる。

「……師匠を?」


「ああ。あの狩りの者は私の面前で息子を傷つけた。報いを与えないとならない。我が下僕となったお前と殺し合いをさせてやる。ははは……」


 志乃は師匠と初めて会った日を思いだす。拾われた日を。救われた日を。


「師匠は誰よりもやさしい。私なんかと戦わない」

「ならばお前に殺される」


 ならばこいつは終わりだ。


「師匠には百歳まで生きてもらう」

 まともに生きてこれなかった私にできる恩返しはそれくらい。

「私に守るべきものを与えたな。お前は終わりだ」


ひひひひひひ……


 血の色の光が志乃を蔑みだす。


「戯言をいうな。現実を教えてや――」

「成敗する」


 志乃が剣を掲げる。目を貫くほどの青い光が血の色を瞬時にかき消す。


「ひ、ひいいい」異形が腰を抜かす。


 志乃は剣を向ける。


「闇を照らす青白き光。跡形もなく消え去るがいい」


「あああ……」

 強き光を浴びながら、異形が溶けていく。




「ただのフィギアに戻れたね。もう人を狩る手助けはさせられないよ」

 牛のフィギアへくすりと笑う。よく見ればこれもかわいいかもな。買う気はないけど。



 *****



「志乃、聞いていますか?」

 師匠の呆れた声がした。


「は、はい」志乃は姿勢をただす。


 郊外の一軒家の庭先。近所からは、付き合いづらい義眼の母と美人の娘の二人暮らしと思われているだろう。剣を使った鍛錬中とは思わないだろう。


「また私にも感じられない存在に気を取られていましたね」

「はい。妖精の兄弟がいました」

「……それを聞いても、まわりの大人は誰も信じない。辛い時間を過ごしたでしょうね」


 師匠の眼差しは怖いだけ。やさしい言葉にも目を逸らさないでいるのが精いっぱい。……損なおばさんだ。


「聞いていますか? 不幸にもあなたの忌むべき資質は、私よりはるかにあります」

「はい。何度も聞きました」

「つまり、私より邪を祓う力があるはずですけどね。あなたがいつになっても異形に怯えるだけでは、私は隠居できません」

「守るものがあれば、私は強くなれます」


 人の世が守るものだらけなら、どんどん強くなれる。


「……きっぱりと言いましたね。その言葉を信じましょう。じきに独り立ちしてもらいます」

「えー、駄目ですよ。いつまでも一緒にいますよ。だって師匠を介護するの私以外にいないです」


 志乃はくすくす笑う。人知れず戦い続けて傷だらけの人は笑わない。


「素敵な笑顔ね。それまで生き続けたいのならば、しっかりと鍛錬しなさい。狩りが終わることはないのですから」

 師匠が母屋へ向かう。

「私は今夜はもう寝ます。じきに介護が必要なお婆さんらしいから」


「……おやすみなさい」

 その背へ挨拶する。


 闇を照らす祓いの者と、その狩りを継ぐ者の物語。穏やかに終わる夜だってある。





以上で完結となります。ご拝読ありがとうございました。

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