表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
短編集 女魔道士の正義  作者: 黒機鶴太
女魔道士の孤独
17/18

十四

 人であった異形は、心を失おうと人の言葉を話す。たとえばティーンエイジの女子の声を私の心へ飛ばしてくる。


「オイシイ……ママ、オイシ……」


 好吃ハオチーって、まだ何も食べてないだろ。しかしワニは陸でも速いじゃないか。異形だからだろうけど、健常な私が走っても追いつかれそうだ。

 ワニは私だけを見つめながら、芝生の上を四本の脚で交互に動かす。互いの距離はあっという間に10メートルほど。私の背後には気絶した虎人間。

 ならば刹那に考えろ。


 こいつは人でない。人の言葉を脈絡なく使うだけの異形のワニだ。気絶だけさせて立ち去っても、こいつはゴルフ場が再開したら人を襲う。……さすがに楊偉天でも支援者の店先で放し飼いを続けないだろう。つまり、あいつが処分に来る。残虐に殺される。生きたまま鬼達に喰われるかも。

 四十八時間のあいだ絶望と恐怖を味あわされたうえにだ。

 母親と仲良かった女の子だっただろうに。

 でも人ではない!


「あなたは人だ」

 思玲は両手に扇と小刀を持つ。

「私は人殺しだ」

 胸のまえで交差させる。


 2メートルの距離まで近づいたワニが光の螺旋に飲みこまれる。術の威力は魔道士の力に比例する。いまの私同様に弱い光。


「……ママ、イタイ…………ママ、アイタイ……」

「はやく楽になってくれ!」


 再度の螺旋を浴びて、巨大な青色のワニが消滅する。


 思玲は膝から崩れ、アスファルトへうつ伏せになる。気が遠くなる。……ママ、寒いよ。雪が降るかもね。



化け物が集まるのは、あなたが化け物だから。……あなたを道士が救ってくれる。さようなら



「ふざけんな、クソババア……」


 眠るなよ。耐えろよ。宇翔がいるだろ。賭けてもいい。虎人間のが先に意識を取り戻す。でも私は立ち上がれない。そうだとしても土を噛むな。せめて仰向けになれ。

 思玲は空を見る。大燕が飛んでいた。


「ずいぶんとくたびれてますね。一緒に寝ている虎のハイブリッドは何ですか?」

 大燕が低く旋回しながら言う。


「……生け贄だ」

「見りゃわかりますよ。さすがにそいつは駄目でしょ」

「そいつと呼ぶな……箱は? 師傅は?」

「師傅が箱を手にしたから、俺が思玲様を探しているんじゃないっすか。あいつは早々に投げ捨てて逃げましたよ。師傅はそれを手にあの家に向かいました。そろそろ到着したんじゃないっすかね」


 あの家族は、人間に戻れる最短記録所持一家になれたな。長男を抜かして。


「師傅に告げろ。資質ある者を成敗するなら来なくていい。見逃すならば助けにきてくれと」

「そりゃ俺は思玲様の式神だから、言われたとおりにしますけどね、回答はどちらでもないと思いますよ。それじゃまた」

「だったらここへ案内するな……」


 大燕はすでに消えていた。ゴルフ場はまた静かになる。麓の花火の音。

 楊偉天はあきらめない。嫌がらせで終わらせない。

 だけど限界だ。三分だけ寝よう。








「寝るものか!」

 気迫を込めて目を開ける。虎が覗きこんでいた。


「王思玲を殺す」

 虚ろな目で見おろされる。


「お前は寝ていろ」

 思玲は扇を三度振るう。「うっ」


 白目になった虎にのしかかられる。こんなのを避けることもできない。でも虎は寝息を立てだす。ごわごわした毛並みの巨体から抜けだせない。空は見える。筋状の雲が北に流れるのが見える。沖縄から岐阜を経て東京へ向かうのかな。そして北海道だ。


「重いからどいてくれ。……だが温かい。もう少しだけ布団になっていい」

 思玲は笑みを作る。

「宇翔は十六歳だったな。色男か? スポーツマンか? 彼女はいるか? 私も温かいか?」

 返事などあるはずない。

「シャイだな。私もその頃はウブだった。……異形を追い払うのはおのれの力のみ。その言葉を信じて鍛錬を続けた。その言葉は半分だけ事実で、もっとおぞましいものをたっぷり連れてきた。……私は、そこに嵌まった。抜けだせない」


 人であった男の子は思玲の上ですやすや寝ている。


「だとしても、私は弱き人のために生きる。その方々を守る。この命が果てるまで」

 また目がかすんできやがった。

「だから宇翔は心配するな。なにがあっても守りきり、かっこよくてモテモテの十六歳に戻してやるからな。黙っていようがわかる。宇翔は将来いい男になる。そうに決まっている……」















 空が広がっている。寒さで目覚める。太陽は西に向かい遠い。ずいぶん寝てしまったな。そのくせ力は戻っていない。

 思玲は地面に手をつき体を起こす。記憶をたどる。毛布になっていた虎人間はいなかった。代わりに男ものの上着がかけられていた。


「宇翔?」人の声をかける。


「おはようございます」

 空から返事が戻る。クラブハウスの屋根付近に、大燕が浮かんでいた。

「そろそろ動けますか?」


「宇翔は?」思玲は人の声のまま尋ねる。「師傅は?」


「師傅は住みかに帰りました。あなた様も戻りましょう」

「宇翔はどこだ? 私はあの子をあの家に連れていく」


 実の姿を見てもいない王宇翔。かっこよい宇翔。バスケットボールの選手。女子にやさしいけど嫌味にならない宇翔。その姿に戻るのを確認して、私は彼の記憶から消える。ハイスクールのヒーローだった彼は、みんなの記憶に戻る。


「師傅はハイブリッドを起こしました。ハイブリッドは師傅に飛びかかりました。傀儡になっていることに気づかれて、師傅は老祖師の術を消しました。ハイブリッドはまた気を失いました」


 扇も小刀も握ったままだった。収納するカバンはなくなった。扇をくわえ小刀を手に、思玲は立ちあがる。同時に腰から落ちる。


「二度とハイブリッドと呼ぶな。宇翔はどこだ? 教えてくれ」

 そのままの姿勢で大燕をにらむ。


「……男の子は人に戻り、異形になった記憶もなく、思玲様の記憶もなく、家族と仲良く暮らしていきます」

 大燕が真ん前に降りてくる。二つの足で垂直に立つ。

「俺の頭を支えにしていいっすよ。そんで帰りましょう。宇翔君の物語から、思玲様は退場しました」


「あの家族を確認しにいく」

 しゃがみこんでいるから、目の高さが同じの式神へ言う。


「やめましょうよ。もう物語は終わっています。そんでトヨタが駐車場に停めてあります。俺が運転しますよ」

「盗んだスクーターがある」

「師傅が近くの警察署に乗り捨てるそうです」

「虎と二人乗りしてか?」

「ええ。春節ですから。……いや人の姿に戻って」


 ペンギンみたいな大燕の頭に手を乗せて体を起こす。池が見えた。ワニはいない。破壊された厨房が見えた。老いた双子の鬼はいない。宇翔もどこにもいない。


 私は師傅を憎む。楊偉天を呪う。

 思玲は言葉にしない。代わりにしもべへ告げる。

「財布に今月の生活費が30000元ある。なので今日は帰らない。お前と二人で豪遊しよう」


「いいっすけど俺は蒸留酒しか飲めませんよ」

「高いウイスキーを十本買ってやる。ホテルの部屋で春を祝うぞ」

「安い白酒一本にしましょう。小鬼も呼べたら呼びます」


 師傅のジャンバーを地面に置いたまま、思玲は歩きだす。歯を食いしばり背筋を伸ばす。大燕はジャンバーのポケットをくちばしであさったあとに、よちよちと隣を歩いて付き従う。


「賑やかもいいな。宿がとれたら、お前は師傅のもとにいけ」

 私にあわせる顔がない弱い男を呼びに。

「そして伝えろ。宴に参加しないなら、私は一人で楊偉天を倒しに向かう。うっとうしいからお前は空を飛んでいろ」




 駐車場で大燕がくちばしから鍵を落とす。思玲は片手で受け取り運転席に乗り込む。座席を前にずらしエンジンを起動させ、浮かれたままの町へ下っていく。冬は終わったらしい。



  終

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ