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短編集 女魔道士の正義  作者: 黒機鶴太
女魔道士の孤独
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女魔道士の孤独



 風が窓を叩くので、王思玲はベッドから立ち上がる。開けるなり大燕が飛び込んできた。こいつは体型からペンギン呼ばわりされたりするが、たしかにその通りだ。


「小鬼からの伝令です。昨夜二十二時過ぎに四玉の箱が開けられました。生け贄は四人とも家族。資質あるのは十六歳の息子。そいつはオオトカゲになりました」

「……ふざけるなよ」


 思玲は大燕をにらんでしまう。老いて狂った妖術士は、一年の始まりのカーニバルの日に、家族を根こそぎ異形に変えただと?


「つまり青龍の資質か。だがトカゲで済んだ。いまの時刻は?」

 すぐ隣で劉師傅が聞いてくる。


「六時七分です」

 私より先に大燕が答えやがる。こいつの体内時計は破格だ。


 何故に私が春節早々の朝から師傅の部屋にいるかは誰にも言えぬが、こちらも奇しくも八時間しか過ぎていない。その人達が完全な異形になるまで四十時間。助けられる可能性は充分ある。


「場所は? 生き延びた人数は?」

 師傅が立ちあがりながら更に尋ねる。引き締まった背筋と臀部。


台南タイナンの民家です。近所に祖父母や長男家族が住んでいますが、そいつらが起きたところで次男家族四人の記憶は消えていて、粥をすするだけでしょう。そんで生け贄は四人とも――その子の両親も妹も存命だそうです。五分前までは」

「そこは町中か?」

「下見はしてないですが、おそらく」


 師傅と大燕のやり取りを聞きながら考える。春節でざわついた町。夜は過ぎた。ひそやかに済ますのは難しい。


「箱はそこにあるのか?」今度は思玲が聞く。


「だから間者の小鬼が急ぎ伝えたんじゃないっすか?」

 大燕は私には生意気に答える。「それとですね。老祖師がいるみたいです」


 それを聞き、劉師傅の目に戸惑いが浮かんだ。やはり恩人と刃を交わすのを避けていやがる。


「急ぎましょう。ここからでは二時間でたどり着けます」

「そうだな……思玲は早く服を着ろ」

「ただちに」


 なぜに男の部屋で裸だったか、問い詰める者はいない。いたとしても蹴り飛ばすだけだ。カウントダウンは始まっているのだから。……そこには楊偉天がいる。


 ***


 遅い朝。車の通りは少ない。人々は今日も昼から宴だろうな。爆竹がたまに鳴り響く。はしゃいだ子ども達が道に飛びだす。思玲はクラクションを鳴らさずに、トヨタの大型四駆を徐行させる。

 ハイウェイを少しだけ利用して台南市に入る。助手席の師傅は目をつむり黙ったままだ。車を先導する大燕は人の目に見えることなく、人には風としか感じられず、市内へと低く飛ぶ。脇道へ軽やかに誘導する。

 畑はあるけど郊外ではない。三階建てもしくは四階建て住宅と路上駐車が目立つ。早くも饅頭屋の前に人だかり。爆竹の音。十代男女の二人乗りバイクが数台連なり蛇行運転。また爆竹の音。お年寄り同士が仰々しく挨拶している。

 街角で煙草を吸うおやじ。歩きスマホの女の子。バイクスマホの男の子。窓を開ければ寺院からの香のかおり。風は突き刺すほどでない。

 春節の町並みはそれでもありふれているのに、ここは自分が生まれ育った国なのに、異郷のように感じてしまう。私は忌むべき世界に関わるだけで、ここにいるはずなのに。

 ……雪を見てみたいな。本物の雪。一月末だから日本では雪が積もっているよな。コートとブーツを買って旅行しよう。女一人旅だ。あの大燕は寒さに強いから連れていってやる。スキーもスケートもしない。宿の窓から温泉からもずっと白い雪を眺めるだけ――

 大燕が古くはないベージュ色の三階建て民家の前で一瞬だけ静止して、風のように消える。


「到着しました」思玲は助手席へと告げる。


 透天厝トウテンツォと呼ばれるメゾネットタイプの住居。この地域では一般的だが、なんとガレージ付きだ。マツダの小型車が一台とスクーターが二台停まっている。ベランダに洗濯物はない。連結する町工場は当然シャッターが降りている。その隣もシャッターだが、居住者は他人だろう。

 車道の正面は果樹園。ドラゴンフルーツぽいけど。


「行き止まりか。ここまで案内する必要なかったな」

 師傅が薄目を開けて言う。「人は道にいない。降りよう」

「はい」


 本心はまだ車からでたくない。通りがかりの振りして行き過ぎて、作戦を練る時間が欲しかった。


「私は春節の賑わいをこの身で味わったことがない」

 師傅が助手席から降りる。その手には緋色のサテンで包まれた剣。

「思玲はどうだ?」


「幼いときは楽しかったです。一族みんなが当家に集まりました」

 思玲は正直に答える。

「酔った叔父が弾き伯母が歌い、私と弟が踊りました」


 私の忌まわしい力が目覚めるまでは。化け物を呼び寄せる娘と追いだされるまでは。


「うらやましいな」


 師傅がそう言い、玄関へ向かう。アスファルトに血痕と思ったらビンロウのかすもあった。爆竹のかすも。若者がはしゃいだ名残りかな……。

 いまから私は異形になった家族と対面する。我が師であった楊偉天ならば、弟子であった劉師傅の登場に気づいているだろう。……鼻息荒く向かおうが直前になって思うのは、逃げていてくれないかな。


「姿隠しの結界を張りましょうか?」

 思玲は肩にかけたバッグから扇をだす。


「軽い言葉に逃げるな。鳳雛窩と呼べ。それに不要だ」

 

「ひひひ」

 笑い声がどこからか聞こえた。

「ひひひ。我が弟子達よ久しぶりだな。堂々と向かってくるとは恐ろしい男だ」


「ふふふ、こいつらは寅年になろうと対牛弾琴ツイニゥタンチン。知恵を使うのに慣れておりません」


 ……これは、あいつの声だ。鴉が人の女になった奴。鴉のように残虐でずる賢い。だが鴉のように臆病。だけど敏捷かつ強い。


新年快樂インネンクァイルウ

 師傅が人の声を発したあとに「街中であなたと戦うつもりはありません。箱を置いて立ち去ってください」

 心へ直接届く声――忌むべき声を続ける。


「ひひひ、箱は貴重なものなので捨てられない。だがあの家族は無傷だ」

 卑しいしゃがれ声はどこからだ?

「お前達が何故にここに現れることできたかは知らぬ。だが儂はここで試してみただけだ。ひとつは、親族を同時に異形にしたら人はどのような様を見せるか。まずそれを試してみた。ついで、四神獣のなり損ないになったものを移し替えることができるか。それも試してみた。

だが試すことは尽きない」


「つまり昨夜は新年の余興よ」

 あいつの声もどこからだ?

「老祖師、長居は無用です。化け物どもの処分は、こいつらに任せましょう」


「化け物はお前だろ!」

「穴熊は黙れ。殺すよ」


 思玲は勇ましく叫んだけど、即座にひるんでしまう。あいつは私が勝てる相手ではない。


「思玲は結界に籠もるから穴熊か。連中はうまいことを言う。だが老師も結界をまとったまま去った」

 師傅は緋色の布を肩にかけていた。手には武骨な段平の剣。

「あいつは箱をわざとらしく隠していた。罠だろうが私は奴を追う」


「老師はどうします?」

「捨て置くしかないな」


 ならば私が追いましょうか?

 言えるはずない。まだまだ正義のために生き続けたいといえば多少かっこいいが、単純に命が惜しい。


「鴉女の狩りに、私もご一緒します」


 劉師傅と一緒ならあいつも怖くない。それに師傅は、姿隠しの結界も跳ね返しの結界も張れない。私が彼の戦いで唯一補佐できるのはそれだ。


「思玲はこの家に残れ。家族を守っていろ」

 師傅はそう言うと空へ声かける。

「追えるよな?」


「なんとか」大燕が返答する。


「思玲任せたぞ。罠に気をつけろ」


 師傅は剣を覆いなおし、トヨタの運転席に乗る。乱暴に切り返して消える。

 行き止まりにたたずむ民家の前は思玲だけになる。遠くで爆竹の音。打ち上げ花火の音もする。香はどこから漂う……。

 あいつが師傅に簡単に捕られられるはずない。追跡劇は長丁場になるだろう。それまで私は、異形と化した人達と過ごさなければならない。


 思玲は民家の裏をまわる。金網の柵で仕切られた向こうでは、老婆が畑で何かを収穫していた。思玲には気づかず去っていく。こちら側はかわいいガーデン。遠い爆竹の音。遠い笑い声。一階裏側はトイレと厨房ぽいな。トラップが仕掛けてないのはどこかな……。

 分かるはずないだろ。思玲は立ちどまりバッグから小刀もだす。それと白露扇を交差させる。金色と銀色の光が螺旋を築き、屋内から家族であったものの悲鳴が聞こえた。

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