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短編集 女魔道士の正義  作者: 黒機鶴太
密かなる狩りの者
11/18

溺死愛

 幻のように息が白い。


 彼女と俺が二人きりになったのは凍える宵だった。脇を流れる川の水は真冬だろうと少なくない。川原の石には薄い雪が凍りついている。それらを俺が乗っていた大型バスの焔が照らしている。峠のトンネルを抜けた長距離路線バス――爆発がまた巨大なかがり火を引き起こす。それでも、はるか上に架かる橋の影を映せない。


「君も生き延びたんだね」


 俺は彼女のもとへよろよろと歩く。足をくじこうが、頭から血が流れていようが、火傷を負っていようが、この大惨事に巻き込まれて生存している俺はとてつもない悪運だ。でも彼女はそれを上回っているかも。見た目に怪我は見当たらない。ショックが強すぎるのか黙ったままだ。


「もっと大きい爆発が起きるかもしれない。バスから離れよう」


 俺は告げるけど、彼女は俺を見つめるだけ……ミドルヘアを明るく染めたきれいな子だ。二十歳前かもしれない。


「ここにいるべきだよ」


 彼女が口を開く。やけにしっかりした声に、俺は考えなおす。動かずにいればじきに救助は来るだろう。でも俺は大事な荷物を持っている。


「悩むんだ」彼女が薄く笑う。「だったら、やっぱり逃げよう」


 ここを動いてはいけないと分かっている。俺は足を引きずり歩きだす。浮き石に転ぶ。巨岩を這いつくばって越える。荷物が邪魔だけど燃やすわけにはいかない。


「バスはなんで落ちたのだろう」

 彼女が背後で言う。この子は平然と歩く。余裕で俺の後をついてくる。


「見てなかったのか? 寝ていたのか?」

 俺は喘ぎながら振り向かずに告げる。全身の痛みは打ち身どころじゃない。でも、この崖を登って道路へ戻らないと。


「見てはいない」


 他人事みたいに言う……俺は振り返る。彼女と目が合う。彼女は薄く笑う。俺は冷えた石へとしゃがみこむ。

 丸い目を強調させるきつめのメイク。誰もいない場所に二人きり。やましい心を持つはずない。


「だったら知る必要ない」


 それだけ言って俺は立ちあがる。頑張れ。道まで戻れ。それ以外を思念するな。彼女は立ったままで俺を見ていた。


「じゃあ、おじさんの名前と年齢を教えて」

「忘れた」


 ただただ歩きはじめるんだ。


「ふうん、意外だね」

「何が?」

「みんな私に興味を持つかと思っていた」

「持っていいのか?」

「うーん……」

 この子は茶目っ気ぽく悩む。「誘導尋問みたいだから駄目。怒られちゃう」


 真っ暗闇。なのに、この子は跳ねるように石を越える。

 俺へと振り向く。


「私より愛でる対象。それが残ったままだからだよ。じゃあね」


 この子は俺を置いていく。俺は激痛を思いだす。でも登らないと。帰らないと。大切な荷物。もっと大切な……。


 ***


 バスが燃えている。いい気味だ。しかも俺だけ生き延びた。まだまだやってやる。

 俺は炎上するバスから黒煙とともに抜けだす。顔は熱傷でただれている。腕も肋骨も開放骨折だ。そんなはずはない。だから痛くない。

 油の匂いは人が燃える匂いをかき消すのかな。巨大なトーチが沢を照らす。山奥だろうと煙のせいで星は見えない。はるか上にかかる橋もだ――。


 鉄が焦げる匂いでもかき消せないのは女のシルエット。焦熱の地獄から抜けだして、それを背に俺を見ている。


「これはこれは、生存者がいたとはね」

 しかも若い。さらには美人だ。「こっちに来い」


「いいけど、登らないの?」


 言われて思いだす。そうだ道に戻れ。まだまだ足りない。


「一緒に来い」


 女に命じる。やり終えたら、こいつを犯そう。それでひと区切りだ。


「怯えればいいのかな?」

「そうだ」


 女は俺に怯えてついてくる。逃げられるはずない。

 俺は絶壁を登る。道は近づくが……今夜は雑念がある。女のせいだ。こいつを襲いたい。だがまだだ。我慢しろ。女の体に溺れるのは最後の最後だ。


「バスはなんで落ちたのかな」女が尋ねる。


「見てないのか?」

 だったら何故俺に怯える?


「真相は知る人に聞くしかない。だから教えて」

「見返りは?」

「私を愛していいよ。溺れるくらいに」


 俺はすでにこの女に溺れている。俺は気づいている。こいつは人外のものだ。魅惑すぎる化け物だ。だから離れられない。逃げられない。

 そもそも怪物こそ俺にお似合いだ。


「たいした話じゃないぜ。俺が運転手の首をナイフで切って、代わりに運転してやった。そして下り坂で時速120キロを超えたバスが欄干からダイブしただけだ」


 ははははは。思いだしても痛快だ。運転を誤った対向車を含めて三十人は殺せたな。しかも俺は生き延びた。もっともっと一緒に地獄へ落ちるものを増やすために。


「ふふふ、覚えているんだ」女は笑う。「けっこうリアルに。念が深いね」


「だろ?」

 この女も生き延びた。俺に犯されて殺されて喰われるために。「約束だ。愛させてもらうぜ。お前はマジでいい女だ」


 暗黒の急傾斜の踏み跡。俺は浮かぶように女へ近寄る。


「よく言われるよ。食べちゃいたいぐらいかわいいらしいね」

 女の右手の中が赤く輝く。「子どもの頃から人外の奴らに大人気だから、こんなものを持っている」


 ……あれはお札だ。護符が激しく怒り狂っている。


「ひいい、許してください」俺は闇へと逃れようとする。


「いいの? そしたら私を愛せないよ。食べるほどに愛せないよ」


 そんなことを言わないでくれ。俺は振り向いてしまう。女へと近寄ってしまう。

 消される前に一舐めだけでも。


「あんたは事故のあと地縛霊になり四人()った。合わせて三十五人だ。……これから先は悲惨だよ」


 女が薄く笑う。その首へと伸ばした俺の手に護符が触れて、際限なき辛苦が待つと分かっている地の底へ引きずられる――




「退散させました」

 女は端末に簡潔に伝える。「了解です。気をつけて戻ります」


 女は事故のあとに作られた山道を登り返す。立ち止まり振りかえる。


「ボランティアで成仏させてやるか。私の肌より子どもへのお土産が大事だった若いパパを、お空に送ってあげる」


 女は真っ暗な沢へと再び一人降りる。満天の星には照らされない。



              終

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