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短編集 女魔道士の正義  作者: 黒機鶴太
密かなる狩りの者
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密かなる狩りの者

 山あいのしみったれた温泉地に十月初頭の雨が降りしきる。足跡が途絶えようが奴を逃がさない。私たちから離れられるはずもない。


「いい湯だった。師匠、この宿を拠点ベーキャンにしましょう」


 浴衣姿の志乃しのが部屋に戻る。整った顔が紅色に上気している。


「長居はしません」


 私は交替で浴場に向かう。狩りは続くのだから、異形の血で穢れた身を清めるだけで着替えない。そもそも湯を楽しむのは志乃だけでいい。六十に手が届くおばさんに不要だ。


 *


「捕捉しました。アヅマが距離を開けて見張っています」


 夕食中に山犬のアサマが告げる。私と志乃以外で食堂にいるのは、年配のおそらく母娘と、年配のおそらく不倫男女だけ。揺らぎのように闖入したアサマの姿は、体長三メートルの巨躯だろうと、彼らに見えない。それでも室内を不安げに見渡したりする。ただの人でも禍々しきものといれば六感がうごめく。


「アサマちゃんさあ、見つけたってことは奴にも見つけられたってわけだよ」

 志乃が味噌汁をすすりながら、異形にしか聞こえぬ声で伝える。


「だがアヅマは逃がしません。戦わずにひたすら付きまといます」


 真っ暗な窓の外で雨が降り続いている。……手傷を負っているとしても奴が山犬などにたやすく見つかるはずない。おびき寄せているのか、それとも……。考えたところで仕方ない。


「案内しろ」私は食事の途中で立ちあがる。「他の方の迷惑にならぬように、志乃は部屋へ戻りなさい」


 玄関で靴を履いてアサマの後に続く。夜に女が一人で濡れていたら怪しまれるので、ビニール傘を差して早歩きする。人の目に見えぬ山犬が集落を抜ける。裏山で歩みをとめて腰をおろす。私は傘を捨ててその背に乗る。


「どれくらいだ」

「じきです」


 アサマが風のごとく駆けだす。雨粒が肌を叩く。


 *


 もう一頭の山犬であるアヅマは巨岩の上にいた。その隣から崖を見おろす。はるか下を流れる沢は真っ暗で、私の目でも何も見えない。だが異形の気配が漂う。それもとてつもなく禍々しい(上質な)匂いだ。私はポケットから通信端末をだす。


『異常なしじゃなかったです。雑魚が寄ってきたから潰しときました』

 志乃が笑う。


「また連絡します」


 端末をポケットに突っこむ。……狩りの始まりだ。深呼吸のあと気休めに呪文を唱える。


「私は若くない。それは、この年まで生き延びたから。衰えた力を凌ぐ経験と知恵。私は若くない。それは、この年まで――」


 気休めの呪文をやめる。忌むべき力を持って生まれたさだめだ。人のためだけに戦え。生きて帰ろうと思うな。

 雨は降り続いている。沢の音と雨の音だけの漆黒。

 私の手につるぎが現れる。掲げれば、月光のごとく青白く輝く。


「挟撃だ。お前達は組んで私を補佐しろ」


 私は崖から飛び降りる。

 蛟龍みずちのごとき竜巻が出迎えた。水飛沫(しぶき)を飛ばしながら、私を飲み込もうとする。私は自由落下のままに剣で応戦するが、まるで鋼を叩くよう――岩壁へと弾かれる。張りだした枝をつかみ、剣を横にはらう。飛びだした青い光が水煙に消える。アサマが猪突よろしく竜巻に飛び込み、悲鳴を残して飛ばされる。組んで戦えと命じただろ。


 やはり恨みある私を待ち構えていたか……。片腕で枝にぶら下がる私へと、機銃掃射ほどの勢いで飛沫が飛んでくる。剣ではたくが数発が肌をかすめ、一発が太腿を貫通する。


「アヅマ!」


 叫び、闇へと飛び降りる。山犬の背中が受けとめる。異形であろうと濡れた獣の匂い――。この子との付き合いは二年にもなるか。お別れの時間だ。


「飛びこめ」


 アヅマは忠実に従う。私にしがみつかれたまま竜巻へ向かう。鋼の水流に立ち向かい、瞬時に肉片と化していく。私はその一瞬を盾とする。その血を浴びながら見る。水流に守られた奴と目が合う。


「退散しろ!」


 奴へと剣が貫く。人知れぬ峡谷に、人に聞こえぬ絶叫が響く。水に全身を叩かれようが剣へ左手も添える。奴を深く裂きながら地上へ向かう。沢に落ちて流される。


 *


「奴も消滅しました」


 片足をくじいたアサマに咥えられ、岸へと引き上げられる。

 私は呼吸を整える。濡れた体が凍える。大の字になりたいがまだだ。


「奴の実体の処分を終えました」端末で志乃に伝える。


『さすが師匠。じゃあ露天風呂で待っています。もちろん貸切です』


「ゆっくりしていて」


 通信を切る。もうひと仕事だ。


 ***


 宿に庭から忍びこむ。湯煙の向こうに見える志乃の裸体が美しい。覗いているものは私だけではなかった。


「あの娘を喰いたいか。だが残念だったな」

 魂だけになった奴を蔑む。「もう復活できないぞ」


 剣を薙ぐ。忌むべき存在が完全に消える。


「お疲れ様でした。しかし私ってそんなにおいしそうですか?」


 魔物への釣り餌であった志乃が裸のままで笑う。


「ええ。私だって食べたくなるほど」

 このまま湯につかりたい。「深手を負いました。治療して休みます」


 私は部屋へ向かう。人知れぬ狩りを終えて、ずぶ濡れのまま足を引きずる。



              終

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