古代ローマの留学生が故郷の友だちへ書いた日常報告の手紙
親愛なる友へ
こちらに留学してからの生活を、約束通り報告するよ。
勉強は順調だ。
今日は学校が休みだから、朝からゆっくり風呂へ入ってきた。
朝食は基本的にパンとチーズだ。おかゆもときどき食べるが、近所のパン屋の焼きたてのパンがいちばん美味しい。
それにハーブのお茶を飲む。
あれば季節の果物を食べる。新鮮な果物が手に入らなければ、ドライフルーツやナッツ類もよく食べるよ。食事は実家にいるのと変わりないね。
ときどき学校帰りに軽食を買い食いするのが楽しい。ここでもパンやチーズやソーセージはたくさん種類がある。惣菜を売る店も多い。ワインは美味いのが手に入る。やはりギリシャ産が最高だ。
そうそう3日前に、海岸にある劇場へ、新作の劇を見にいったんだ。
こちらの劇団は仮面の古典劇をメインに演じているが、悲劇より喜劇が得意なのがいいね。昨夜はすばらしい洒落に大いに笑い、夜はよく眠れたよ。
今日は風呂の帰りに本屋へ寄ったが、つい新しい本を衝動買いしてしまった。手持ちの金を払ったら、今月の小遣いが無くなった。次の仕送りが来るまで居酒屋での飲食は控えようと思う。
本の内容は、人間が動物に変身する奇想天外な物語だ。なかなか面白かったよ。
人気のある本らしいから、そちらでも大手の版元が売り出しているだろう。まだならぜひ読んでみると良い。おすすめだよ。
最近の地中海は安全だし、君もいちど観光に来るといい。
手土産は無くて結構。そちらの最新の噂話を聞かせてくれるなら大歓迎さ。
では、再会を楽しみに待っている。
さて、手紙は書けた。
インクが乾くのを待ってから、羊皮紙を丸めてひもで結び、巻紙状にした。ひもの結び目にはろうそくの火で溶かした封蝋を滴らせ、指輪の紋章を押しつけたら封印のできあがりだ。
僕は最も信頼する奴隷を呼び、巻紙状の手紙とデナリウス銀貨の入った小さな革袋を渡した。
「これをローマへ送ってくれ」
すべての道はローマに通ず。
ここは港湾都市だからローマへは地中海を渡ることになるが、港に着けば街道があり、街道には必ず駅がある。
帝国の郵便制度(クルスス・プブリクス)は、アウグストゥス帝が創設した初期こそ属州総督が発行する証明書を持つ者しか使えなかった。
しかし、いまや料金さえ払えば民間人でも利用できるようになっている。
「かしこまりました。港で手続きをしてまいります」
この男はギリシャ出身の奴隷だ。元は父の知り合いのそこそこ名の知られた哲学者だったが、不運な借金がかさみ、債権者によって奴隷に売り飛ばされた。その話を聞きつけた父が慌てて引き取ってきたというわけだ。
しばらくは僕の家庭教師をしてくれていたが、今回は秘書兼世話係としてロードス島まで付いてきてくれた。熱心に仕えてくれるのでおおいに助かっている。
僕がこの留学を終える頃には、報償として解放する約束だ。その後は解放奴隷として、ギリシャ人が経営している学校の講師になりたいと言っている。
ローマを離れてから1年か……。
手紙のやりとりだけではわからないこともたくさんある。
友の返信が来るか、それとも本人が来るのが早いか、今から楽しみである。
留学先の日常報告:返信
親愛なる友へ
そちらの留学生活が順調で何よりだ。
元老院では激しい議論が続いているよ。
なんだとおもう?
この手紙にも非常に関わりのある議題、すなわち郵便制度についてだよ。
私たちは当たり前のように郵便を使って書簡のやりとりをしているが、この制度はもともとは国家が各属州を効率的に管理するため、いち早く中央へ情報を届けるために、初代皇帝アウグストゥスの指示で創設されたものだ。その後の維持と整備は、各駅がある属州総督の責任となり、その賦役とされている。
長い街道は常にどこかしら整備が必要だし、郵便馬車や飛脚や各駅に用意されている代え馬は、特急馬車のために1日中備えてなくてはならない。
もちろん、従事する役人も奴隷も交代制だ。
利用者には便利な反面、どこの属州総督にとっても駅の公用宿泊施設や車両や馬の整備施設を維持する負担は年々重くなるばかり。
うちの父もときどきぼやいているよ。
でも、これほど便利で有用なシステムは世界でこのローマ帝国だけのものだ。
父に頼んで証明書を発行してもらえば無料でマンシオネスを使えるけど、そんな不正をしなくても、ちょうど懇意にしている貿易商がギリシャへいく。その商船に便乗できることになったよ。明日準備をして明後日には出発しようと思う。
そちらまでは少し遠いが、民間でも解放奴隷の馬車と護衛を雇えば、街道を安全に移動できるからね。
この手紙は帝国の郵便制度で運ばれるから、私よりうんと早く到着するはずだ。
フォルムの広場で仕入れたもろもろの最新情報を携えていくから、楽しみにしていたまえ。
君のローマの友より
古い羊皮紙に書かれた手紙は、長い歳月の間にもろくなり、崩れ去りそうになっていた。
だが、最新の科学技術によって保存処理が施され、内容の大部分は、世界でも最高のコンピューター解析にかけられて翻訳することができた。
これらの手紙の年代を特定する記述はない。
おそらくは古代ローマ帝国のすみずみまで郵便制度が整っていた時代だろう。
パクスロマーナと呼ばれた、古代ローマがもっとも平和で繁栄を誇ったという時間のどこか。
その文書を片手に、私はコーヒーを飲んだ。
古い学校の遺跡から発掘された古代ローマ人の手紙から読み取れるのは、そこそこ裕福な貴族の出身で、留学生だったこと。健康的に大浴場や観劇を楽しみ、近所のパン屋や居酒屋では美味しい物を飲み食いしていた。
今朝、私がこのファーストフードの店で注文した朝食は、パンとコーヒー、フルーツサラダにソーセージ。
大浴場はないが、家にある快適な浴室でシャワーを浴びられる。
昨日の夜は劇場でオペラを鑑賞した。
今夜の夕食は、近所の居酒屋でワインと惣菜ですませるつもりだ。
古代ローマに無かったのはコーヒーくらいである。
「このように、留学生の勉強と生活習慣は、今も2000年前も、さして変わらないように思えるね……と!」
私は故郷の友人へむけた手紙の結びに、そう書き記した。
〈了〉