博士は終わりに名前をつけました
「ふう。
やっとここまで来られましたね」
土ぼこりで汚れた白衣の前を開け、スーツのようなきっちりとした服に身を包んだ男性は丸い小さな眼鏡を中指で押し上げます。
彼は周りから博士と呼ばれていました。
本当の名前を知る人はいないかもしれません。
彼自身、自分の名前には興味がなかったのです。
彼の興味はただ一点。
かつての科学文明にのみあったからです。
ここは未開の土地。
前人未踏の地と言っても良いかもしれません。
遥かな昔には人の手が入っていたのでしょうが、一度、すべてが灰塵と帰してからは、少なくとも人が来たことはありませんでした。
その最初の人。
博士は、街を統治する人々の手から逃れてきたのです。
博士の研究は人類の文明レベルを著しく押し上げる可能性があったからです。
ですが、博士は研究を進める内に気が付きました。
この研究の行き着く先に、世界の終わりがあったのだと。
そして、博士は逃げました。
自らの研究資料を、自分の頭の中にしか残さず。
街には、研究のための遠征と嘘をつきました。
ですが、実際に研究のためでもあったのです。
博士はこの前人未踏の地から、極々微弱な電波が発せられているのを、発明品で感知していました。
もしかしたら、ここにかつての科学文明の遺産があるかもしれない。
そんな一縷の望みに懸け、それを一目見られれば、もうここで果てていいとさえ思い、博士は発明品に荷物を収め、街を抜け出したのです。
そして、博士は出会いました。
「な、なんですか、これは……」
そこにあったのは、大量の巨大な機械兵だった者たち。
地平の先。
森の奥。
その先には広大な海が広がる陸の先端。
そこに、彼らはいました。
鉄のからくりは街にもありますが、それとは比べ物にならないレベルの技術。
その粋を一身に受けて作られたことが、博士にははっきりと分かりました。
人型のそれは、身の丈は3メートルといったところでしょうか。
どれも酸化して赤錆色になっています。
手足は指の関節まで、人のように詳細に作り込まれていました。
「関節部分は、球になっているのですね。
これを基点にそれぞれの部位が稼働するようになっている、と」
博士はすでに機械兵を研究し始めていました。
過去の科学文明の解明。
決して、世界を滅ぼした力を再現するためではなく、単純なる知的好奇心。
それが、博士の行動原理でした。
「顔の部分はずいぶん小さいですね。
核は心臓部でしょうか。
呼吸や摂食の必要がないから、目だけで十分ということでしょうかね。
眼球部のレンズの大きさが左右で違うのはなぜでしょう。
この技術レベルで、左右の視覚差を利用する必要などないように思えますが……」
博士は動かない機械兵たちを見ながら、ぶつぶつと呟いています。
研究に没頭すると周りが見えなくなり、独り言が増えるのが悪い癖のようです。
そのため、自分に近付く大きな影にも気が付きませんでした。
「それは、赤外線感知とかサーモグラフィー、動作検知なんかをいろいろ搭載しているからだよ」
「誰ですっ!?」
突然、前方から声が聞こえ、博士は驚いて顔を上げました。
「こんにちは。
僕は僕たちの中の、最後の動ける僕。
機体名は、AKY-023。
人は、こんな所に来られるまでに復興したのかな?」
「か、稼働する機械兵……」
博士は動き、そして喋る機械兵の存在が信じられませんでした。
その機械兵は他の機械兵とは違い、体の半分ほどがピカピカの黒い材質でした。
他の部分は動かない機械兵と同様、赤錆色のため、本来はこの黒い材質で覆われていたのでしょう。
体の大きさも、他の機械兵よりも大きく、8メートルほどありそうです。
「え、と、言葉は分かるかな?」
博士が返事を返さなかったので、機械兵は体を横に傾けました。
おそらく、首がないので、首をかしげる動作を体全体で表現したのでしょう。
「あ、わ、分かります。
分かりますとも。
ええ。
大丈夫です」
博士は自分に言い聞かせて落ち着かせるように、何度も頷きました。
「そっか。
良かったぁ」
機械兵はのんびりとした口調で博士を眺めました。
「し、質問を、してもいいですかな?」
博士は驚きや恐怖よりも、知的好奇心の方が勝っていました。
「ん?
いいよー」
機械兵がのんびり返事を返したことに、ほっと胸を撫で下ろし、博士は、ではと、口を開きます。
「えと、君は、先史文明が残した科学兵器ですね?」
「そうだよ」
「あの、世界を滅ぼしたという……」
「そうだねー」
「そ、そうですか」
博士は再び浮き上がってきた恐怖心を抑え、質問を続けます。
「世界を滅ぼしたあと、君たちは何を?」
「んーと、僕たちは大気からエネルギーを吸収してたんだけど、大気が濁って、エネルギーを回収できなくなって、だんだん僕たちは動かなくなっていって。
体もどんどん小さくなっていって。
僕は大気の汚れの少ない所にいたから、最後まで残ってて、やることもなかったから、動けなくなった僕たちを皆ここに集めたんだ。
皆を集め終わった頃には大気も綺麗になってきたんだけど、動かなくなった僕たちはもう、動かないみたいなんだ」
相手は機械兵なのに、博士には、どことなく彼が悲しそうにしているように感じました。
「それで、ここは近くに人もいなかったから、僕は僕が動かなくなるまで、ここで僕たちとのんびり過ごしてたんだ。
ここには花も鳥も、いろんな動物たちもいるからね」
機械兵がそう言うと、数羽の鳥が機械兵の肩に止まりました。
機械兵は顔をギギギと動かして、鳥たちを眺めます。
博士は心なしか、彼が微笑んでいるような気がしました。
「……君は、優しいんですね」
「おかしなことを言うね。
僕たちに感情はないよ。
僕たちは僕たちを作った人の命令に従うだけなんだ。
でも、僕たちを作った人はもういないから、僕は僕が終わるまで何もしないことにしたんだ」
それは、感情から来る選択なのでは?
博士は、喉元まで出かかったその言葉を飲み込みました。
博士はもしも意思を持つ機械がいたのなら、その選択にパラドックスが発生していることを指摘した時、機械は狂ってしまうかもしれないと考えていたからです。
「……そうですか。
だが、何もしないというのは寂しいですね。
どうでしょう?
良かったら、私と一緒に話したりしながら暮らしてみませんか?
私も、行く場所もないし、することもそんなにないのです」
「…………そうなんだ。
いいよ。
あなたは、僕たちを作った人たちと、脳の形が似ている。
でも、形は似ているのに、なんて言うか、そこから発生する言葉が違う気がする。
それが何なのか、知りたいって僕は思ってる、ような気がする」
博士は驚きました。
この機械兵は、人の感情や性格の機微を理解し、あまつさえ、自らでそれを導き出そうとしているのです。
博士の知的好奇心はかつてないほどくすぐられました。
でも、それ以上に、この悲しき機械兵をこのまま1人にはしておけないと思いました。
「君、名前は?」
「AKY-023」
「そうですか。
ならば、私がつけてあげましょう。
そうだな……。
テネリタースというのはどうですか?
長いから、テネリと呼ぶよ」
「テネリ。
僕の名前。
僕たちの中の、僕の名前……」
「気に入ってくれましたか?」
博士は不安そうに尋ねました。
「わからない。
けど、僕は僕をそう呼びたいと思った」
「そうですか!」
そうして、博士と最後の機械兵の生活が始まりました。