そして旅立つ
この洞窟に帰還して数日が経つ。
またこちらに近づいてくる気配。
数十年と待ち続けていた前回と比べると早いものだ。
前回ははっきりと分かった。
生気があり、そしてわたしを求めようとしている感情。
全てが溢れ出していた。
しかし、今回の者はそれがない。
私を求めてはいない。
そして生気もない。
では何の為にここに入ってくるのか。
ここにはわたし以外のものはない。
鉱石もなければ薬草もない。
ただの暗闇。
その暗闇の中、姿を表したのは老いた男だった。
老人の歩く速度は遅く、目もまともに見えてはいないのだろう。
だからこそ、この暗闇に入ったと予測する。
このまま進んでいくといずれはわたしにたどり着く。
しかし、目が不自由なのであればその前に台座に衝突することは免れない。
暗闇だがわたしの住む所だ。
それなりには整地してある。
入口からここまでは安定して歩ける。
数分後老人は認識できる範囲まで歩んできた。
「老人よ。」
珍しく問いかける。
「おぉ人がおったのか。いやぁわしは道に迷ったらしくてのぉ。ここがどこか分かるかの?」
老人はここを知らなかった。
周辺の者ではないのか。
「ここは洞窟だ。この先に出口はない。振り返り戻れ。」
「そうかい。それは助かった。少し休んでから戻ることにするよ。疲れちまってもう足が動きやしないよ。」
「そうか、それではすぐ後ろに椅子がある。腰掛けることだ。」
老人の後ろに椅子を出す。
「ん?椅子なんかあったかのぉ?おぉ!あったあった。こりゃ助かった。」
老人は重い腰を下ろした。
「ところで君はなぜここにいるんじゃ?」
「ここが落ち着くのだよ。そしてとあるモノを待っている。」
「洞窟がお好きと。そして待人と?こんなところで変わった方じゃ。」
一理ある。
「では老人に問う。なぜここに来た。」
普通に歩いてくるだけでは辿り着くことはできない。
近くの村からさらに進み、山中の洞窟というのがこの暗闇。
「わしは戦いが嫌いじゃ。」
老人は語る。
徐々に視力が落ち、今では何も見えなくなってしまった。その変わりに聴覚や嗅覚を頼り、今では見えずとも外を歩くことができるようになったと言う。
視覚に頼らない生活はさほど苦ではなかった。失ったものは苦ではなかったが、得たものが生活を苦しめた。聴覚は遠くの悲鳴を聞き取り、嗅覚は血の匂い、人が焼ける匂いを嗅ぎ付ける。
住居から離れ多くの村を訪れた。
しかし、どの村もどこかで聞こえてしまう。匂いが届く。
違う村。草原、数キロ離れた森。
遠くに離れてもどこかで感じ取る。
聴覚、嗅覚は日が過ぎる事に鋭くなっていく。
だから歩いた。聞こえる前に、匂う前に。
歩いて、歩いて、歩いて…
「わしは逃げてきたんじゃ…嫌な場所からの。」
老人は暗く語った。
顔を上げ続ける。
「ここはほとんど聞こえない、匂わない。おかしな場所じゃ。奥に進めば進むほど嫌なものが薄れていくんじゃ。足音も呼吸も聞こえなかった、この椅子だって感じ取れなかった。ここは…不思議な場所じゃ…」
「不気味か?」
老人は軽く笑う。
「いやいや、ここはワシの求めていた場所じゃよ。少し不思議なだけで戦いはない。匂いもない。ここに住みたいくらいじゃな。」
おかしな人間もいたものだ。
こんな何もない場所を好むとはな。
いや、だからなのか。
そしてわたしもその1人。
「それで老人よ。これからどうするのだ。ここで生きてはいけないだろう。」
老人は考え込む。
「しかしまぁ戻ってもどうせ苦しむだけじゃしなぁ…」
「戦いを止めようとは思わないのか?」
人間が無力な事は分かっている。
老人は尚更そうだ。
しかし会話する事は少なからずできるだろう。
「止めたんじゃがなぁ…話も聞いてもらえんかった…まぁ分かっていたことなんじゃがな。」
悲しそうに笑った。
実践していた。
わたしも知っている。
武を待つ者に持たざる者の言葉は届かないことを。老人は武でも論でも勝ち目がないことを。
しかし、発言することに意味がある。
老人はそれを理解しているようだった。
「君ならどうするんじゃ?」
「一部を除きわたしの声を聞かぬものはいなかった。わたしの声は全てのものに届く。理解はできるが同情はできない。」
「そうじゃな。君は力がありそうじゃ。肌で感じる圧というか、何か大きなものを感じるのぉ。」
「その通りだ。だが力では何も解決できない。戦いは戦いを呼ぶだけだ。」
「確かにのぉ。だったら制圧ではなく殲滅するのはどうじゃ?」
「殲滅するならば両者を殲滅する。もはや人間を殲滅すれば戦いは起こらない。それでも良い。」
「それは名案じゃな。多くのものを巻き添い争うのは人間だけじゃ。是非やってほしいものじゃの。」
冗談と受け取るのが同じ人間の心情だろう。
しかし老人は笑いはすれど、言葉に嘘はなかった。
「名案か。」
静かな空間が広がる。
「苦しむくらいなら死ぬのもいいかもしれん。即座に命を絶ちたいものじゃ。」
顔は少し寂しそうだった。
「まぁ現実を見る事にしようかのぉ。ここを出て我慢の生活を続けることにするわい。」
老人は立ち去るようだ。
「力は欲しくないのか?」
「力?こんな老いぼれが力を持ったところで何もできんわい。持ったとして武は身体を傷つけ、財は心を貧しくする。多くの力を手に入れても過信し、我が身を滅ぼすじゃろう。生き延びるくらいの程々の力さへあればいいんじゃよ。」
今まで変わった人間は見てきたが、また違った感じだ。
数多くの男たちも先日の少女も生気があり、目標があり、欲望に駆り立てられていた。
自分で精一杯なのか。世界に興味がないのか。
この老人には何も感じない。
音に怯え、匂いに怯え、老人は今後も歩み続けるだろう。
そしていずれ体力が尽き果て死に至る。
もしくは自らに殺されるだろう。
自らの耳に。鼻に。手に。
勿体ない。
このような考えを持つ人間が居なくなるのは。
「最後に。」
「ん?なんじゃ?」
「願いはあるか?」
興味。
この人間が今までの人間とはどう違うのか。
目先の事、利益の為、業の深さ、何が違うのか。
人間は人間ではない。悪魔よりも悪魔だ。
自分の為なら他人をも殺す。
それがわたしの思う人間だ。
気になるのだ。老人は人間なのか。
老人は少し悩み顔を上げて言う。
「帰り道に杖が欲しいかの?」
願いは目先も目先。利益も利益。自らの事しか考えてはいない。大きなモノではない。小さなモノでもない。捨て変えることができるような願い。
そのチンケな願いに笑いを覚えてしまう。
「帰り道の杖か。なんとチンケな願いだ。そのようなもので良いなら用意してやろう。」
「軽く見ておるのぉ?杖が有ると無いとでは天地の差じゃ。」
わたしが言ったのは内容ではなく欲深さの話だ。
「そうか。望み通り杖を用意しよう。少しは楽に帰ることができるだろう。」
「お?冗談のつもりだったが、貰えるものはもらっておこうかのぉ。」
こういう人間が多くいれば血が多く流れなかったのだろう。
この人間ともう少し話してみたいと思った。
少し考え老人に告げる。
「立ち上がり目の前の台座にある杖を持っていくが良い。」
老人は立ち上がり、台座の杖を手に取った。
「これは…何というか特殊な形をした杖じゃ…ん?腰が…?ん?」
「これは特殊な杖だ。疲労回復の効果がある。そして嫌なものからお前を守ってくれるだろう。」
「ん?聞こえない…?匂わないぞ!おぉぉ!これはすごい!心なしか足も軽くなったような気がするわい!」
何かを救う為に生まれた。
だがその何かが分からなかった。
求める声はあれど、答える声を持てなかった。
自らが救いたいと思ったもの、付き添いたいと考えたものが答え。
誰かが教えるものでもなく、決めるものでもない。
自らが決めるもの。
「老人よ。」
「なんじゃ!?」
興奮冷めあらぬ老人。
「わたしも共にして良いか?」
「んん゛ん゛っ…待人は良いのか?」
咳払いをし、落ち着いて返答する。
「良い。」
「そう言えば名乗っておらんかったの。ワシの名前はクロウじゃ。こう見えても鉱石集めが趣味じゃ。光るものには目が無くての。カラスだけに。」
クロウは少し明るくなった。
「クロウか宜しく頼む。わたしも自己紹介をしたいところだが、名がない。」
「名もないのに誰が君を探しに来るんじゃ?」
ふとした疑問がクロウの頭をよぎる。
「選ばれしものがここを訪れると聞いたのだ。その者がわたしを連れて行くと。」
「ではワシがその選ばれし者と言うことかのぉ?」
自分の意思で選んだ選ばれし者。
「そういう事だ。」
「そうかそうか。体調も気分も良くなったわけじゃし、行くとしようかのぉ。」
クロウは杖をつき歩き始める。
生気は溢れ、まるで別人のように帰路に着く。
暗闇は晴れ、日差しが2人を照らす。
わたしは初めての待人と出会い、
これから初めて旅をする。