宗教に求めるもの
読んで戴けましたら嬉しいです。
これから宗教に付いて私なりに考えている事を綴って行きたいと思っているのですが、最初に一つだけ断っておきたい事があります。
それは、私は日蓮正宗なので宗教のベースとなる知識は日蓮正宗の教学をベースに語って行きたいと思っていますので、そこをご了承願いたいです。
現在多種多様な宗教が溢れるこの時代、宗教っていったい何なのでしょうね。
一般的に見ると葬式にしか用が無いもの❔
困った時に神頼みするもの❔
サークル❔
オーマイガー。(笑)
ここで話したいのは、歴史の中で仏と称してこの世に生まれ出でた釈迦が法を説き始めたのは、飢饉や災害に苦しむ人々を救い倖せにする為だそうです。
つまり仏は生きた人間を倖福にする為に法を説いた訳ですね。
逆に言うと生きた人間を倖せにできなければ宗教とは言えない。
そう言っても間違いでは無いと思うのですが、どうでしょう❔
そこを踏まえて私が宗教に望むのはまず人間を倖せにするなら、人間の醜く穢い部分を否定するな、ですね。
人間のあらゆる性質を考慮してくれよ、とお願いしたい。
利己的で弱く愚かで欲張りでも、勝手に自分の力で乗り越えろとは言わないで欲しいです。
例え人殺しでも、例えサイコパスでも、そこから救われたいと思っている人間は救って欲しいですね。
何か良く無い事を招いても、よく言われる試練と言う言葉だけでごまかさないで欲しいです。
正しく生きろと言うなら、試練を乗り越えろと言うなら、乗り越えらるるように、正しく生きられるように、力を与えて加護して欲しい訳です。
宗教にそこまで望むのは望み過ぎ❔
でも釈迦の時代はそれが可能でした。
釈迦滅後千年までを正法時代、二千年までを像法時代と言い、この時代釈迦が説いた法を唱え、人々は仏道修行する事に依って倖せに暮らしていました。
だから仏教は善なのです。
私は宗教にもっと望みたいです。
例えば運命と言う言葉が在りますが、運命は避けられない物と言うイメージが在ります。
いい運命ならいいですけど、不倖な運命は受け入れたくないですよね。
ここに生命と言うものの説明をして行きたいです。
輪廻転生と言う考え方が在りますが、つまり生命は死と共に無くなるのでは無くて、肉体が死んでも次の別の肉体に宿って何度も生まれ変わるのです。
一般的な生命の考え方では、生命はそれを繰り返すだけのもの。
でも、実は生命は行いを刻むものなのです。
動物として生まれ変われば別の生き物を殺して食べて生きる、その殺生の行いも悪い行いとして生命に刻み込まれる。
日蓮正宗の信徒さんとする笑い話で、あんまり人をブスブスって言ってると来世でブスに生まれ変わるよ、なんてのがあって行いの善悪を生命は刻み付け、それが来世に影響を与えるのです。
つまり運命は生命に刻み込まれたそれら善悪の行いに依って織り成す結果なのです。
そう説くのであれば私としては、宗教に運命を変える力も在って欲しいのです。
人間に生まれ変わる確率は、あらゆる生命の中で虫やバクテリアなんかなどの数を考えれば低いのは必須。
あらゆる生命の生きざまを鑑みて、善行よりも悪行を行うのが多いのにも、簡単に想像がつきます。
それらが刻み込まれた生命が持つ運命が生まれ変わる度に良くなって行くなどとは思えない。
そんな事を考えたら、今の世に酷い病気や犯罪が溢れているのも、悪行を繰り返した生命が生み出しているとも思えますね。
と言う事は、生命は生まれ変わりを繰り返す事に依って総てを悪い方向へと向かわせているのではないでしょうか。
そこで、どの宗教でも必ず言う宣伝文句が在ります。
それは救うと言う言葉。
どうせ救ってくれるなら、生命そのものを救って欲しい。
宗教と名乗るからには適当な例え話で諭して意識を変える事でごまかすのでは無くて、生命そのものを根本的に救う力を持って戴きたい訳です。
それが人を救うと言う事ではないでしょうか。
ここで、お前は日蓮正宗だから、日蓮正宗をやればいいと言うんだろう。
なーんて言葉が聞こえて来そうですが、まあ私は日蓮正宗の紛れも無い信徒ですから日蓮正宗に満足していますが、ここは信教の自由を唱える日本です。
ただ私が声を大にして言いたいのは、もっと注意して宗教は選んだ方が良いのでは❔
と、言う事です。
もっと、教義や目的なんかを調べて選んで欲しいですね。
皆さん『南無』って言う文字は見た事があると思います。
この南無は帰命すると言って、生命を預けると言う意味があります。
つまり簡単に言うと、その宗教が持つ性質や考え方を生命に刻む。
もっと解りやすく言うと、洗脳されてもいいと言う約束と言う感じですね。
つまり宗派に属すると言う事はその宗教に生命を預けることになります。
解りやすい例を挙げるとチャールズ・マンソンやオウム真理教。
狂った教祖の考え方に生命を染めるから、シャロン・テイト事件と言う凄惨な事件を犯したり、オウム真理教に至っては入信する事に依って家族を悩ませ、挙げ句にはサリン事件まで犯してしまいました。
そうゆう悪いものに生命を預けると顔の相にも現れて、皆さん気付きませんでしたか❔
オウム真理教の信徒さん、皆さんなんだか生気の無い目をしていました。
間違った宗教に生命を預けると、とんでもない事になってしまいます。
保険なんかだと規約とかよく理解した上で契約しますが、何故か宗教に関しては皆さん無防備なんですよね。
保険を選ぶ時、先祖がしているからうちはこの保険しか入らんなんて人は居ないのに、生命を預けると言う最も重要な事なのに先祖がしているからと安易に宗教を決めてしまっています。
因みにご先祖様からしている宗教はご先祖様が子孫の倖せを考えて選んだものでは無くて、江戸幕府が勝手に割り当てたものなんですよ。
先祖からやっているからと言って、正しい教義や力が備わっているとは言えないのでは❔
今一度確認してみてはいかがでしょう。
色々話して来ましたが、こんな風に宗教について私なりの宗教論を言いたい放題言って行きたいなあと思っていますので、これから宜しくお願い致します。m(_ _)m
読んで戴き有り難うございます。m(_ _)m
大変なものに手をだしたなあ、とちょっと焦ってます。
エッセイって、こんなに大変なんですね。
間違った事言ってないか心配です。
菩提寺の住職様、実はなろうの読者様で、これ読んで下さるかなあ。
住職さん、その節は有り難うございました。
また、お世話になるかもしれません。
その時はまた宜しくお願い致します。m(_ _)m