私の半身
悲しいほど貧相な墓の前でみんなが泣いている。
現実味のない自分は近くで蟻の穴を掘っていた。
双子の兄であるジャスが亡くなった事がこれほど悲しくないものなのか。あるいはそのような感情を初めから持ち合わせていなかったのか。
きっかけは軽い風邪だった。いつも我慢癖のあるジャスは倒れるまで保母には言わなかった。倒れてから悪くなって亡くなるまであっという間の時間が過ぎた。
『ぜろ』
ふと近くで優しい声が聞こえた気がした。
振り向いてみるとそこには誰もいなかった。
「ぜろ君もう寒いから中に入りますよ」
保母が声をかけてくれる。
そういえばもう夕ご飯の時間をとうに過ぎていた。しかし空腹は全く覚えなかった。
夕飯を食べずにいると、心配されたがその前に泣いてる孤児たちが多かったのでそれっきり部屋にすぐ戻された。
昏く一人きりの部屋。
これからここでどれほどの夜を過ごすことになるのか。
誰もいない向かいのベッドを見る。
病が悪化してからジャスはここに戻っていない。
『おやすみなさい』
優しく微笑むジャスの顔が浮かぶと初めて涙があふれてきた。
夢を見た。
二人で知らない花畑を走っている。でもあの頃のジャスじゃない。自分もどこか大人びた格好をしている。
ふと目が覚めると明け方だった。
ジャスのいないベッドを見るのが嫌で、再び目をつぶったが寝付けず朝を迎えた。
悲しみを一度感じるとなかなか消えないもので、そのまま孤児院を出る年齢になってしまった。
何も将来が決まっていない卒業。いる間に引き取り手も現れなかった。
住む場所くらいは…と保母たちが都会に用意してくれて明日には立とうという晩はやはりなかなか寝付けない。
毎晩見たくなくて背中を向けていたジャスのベッドから物音がした。
反射的に飛び起きる。
そこには黒い格好に黒い翼を生やせた大人のジャスがいた。
「ジャス…どうしたの…」
恐る恐る聞いてみる。
「どうやら転生したみたいで」
困ったように目尻を下げて笑う。
「でもその恰好…」
「そう、悪魔に転生したみたい」
「前世の記憶は残っているの?」
聞いてみるとジャスはゆっくりと首を横に振る。
「覚えてない。ただ…ぜろ。双子の弟の君が世界で一番大事だった事だけは覚えてる」
「僕…明日もう孤児院を出なきゃいけないんだ」
「そう…もうそんなに時が流れているんだね」
「だから僕と契約して」
ジャスは驚いた顔をしてこちらに目を向ける。
「悪魔との契約の意味をわかってる?」
「知ってるよ。願いが叶えば僕の魂は悪魔に食べられるんでしょう?」
「そうだよ。僕はそんなこと望んでない」
「でも僕は望む。ジャスと一緒にいる今を。それに魂を食らわなければジャスは生きていけないじゃない」
「……」
「契約して。僕が死ぬまで傍にいて」
ベッドを離れると、ジャスに抱き着いた。
「頭なでて…」
優しく冷たい手が頭をゆっくりさすってくれる。
「冷たいね…手…」
「…悪魔だから」
「契約してくれるよね」
「…契約しよう。ずっと傍にいる」
その晩はジャスの胸の中で眠った。ひんやりと大きなものに包まれている気がして久しぶりに安心して眠れた。
保母が用意した都会の仮住まいには行かなかった。その代わりもっと田舎の方に移り住む事にした。
保母は仕事が無いか心配したが、それよりもジャスとずっと傍にいることの方が大事だった。
移り住んだ先はきれいな花畑が一年の大半咲いているような場所だった。
「きれいだね…」
どこかで見たような気がしたが思い過ごしかもしれない。
「うん。悪魔にはふさわしくないね。ぜろには似合ってる」
苦笑いをするジャスがなんだかおかしかった。
今ジャスは普通の男性の恰好をしている。契約をしている間は翼を見せないことができるようだ。
こうして見ると双子とは言えうかつに似てるとは言い難い。ジャスは背が大きくて少し男らしくなった。
一抹の不安が拭えない。
ジャスの胸に頭を乗せる。
「ずっと傍にいて…ずっとだよ…」
ぜろの行動は人間にしては異常と言わざるを得なかった。
夜になると必ず抱かなければ自傷行動に走るし、少しでも他人と話すと怒った。帰りが少しでも遅くなれば泣かれた。
それが自分が傍にいなかった間にできていった性格による行動ならば、申し訳なくもあり哀れだった。
傍にいる契約を守るために色々な「願い」を全て聞き入れた。
しかしそれが終わりへの近道になるとは二人とも気付かなかった。
悪魔も熱を出すものだろうか。
ここのところジャスは一歩も動けないような高熱を出して伏せていた。
それでもわがままを言えば聞いてくれ、さらに熱が上がる。
そして月のない夜だった。
「ぜろ…」
息も絶え絶えという感じで呼ばれる。
「…ジャス…苦しいの?」
「…ごめんね」
「どうして謝るの…」
「…もう傍にいられない…」
「なんで!!契約したのに!!」
「…ごめんね…最後に受け取って…」
そう言って布団の中から小さな青い石のついたリングを出す。
「…何これ…」
「…僕の願いの結晶…この願いを叶えて…ぜろをこの世に残す」
「ジャスのいない世界なんて…意味がないのに…」
その言葉が届いたかわからない。
すでにジャスは目を閉じていた。
「なんで…ジャス…一人にしないで…もうジャスがいない世界は嫌だよ…」
ベッドに思わず顔を伏せて泣く。
朝になって自分が眠っていた事に気付くと、そのベッドの上にはジャスの姿は無かった。
それからどれほどの時間が経っただろう。あの時より長いのか短いのか。
後でわかったことだが、悪魔は願いを聞くたびにその寿命を削る。
そのために魂を食べる必要があったのだ。
「僕が…ジャスを殺した…」
残された命を生きる気はなく、かと言って死ぬ気も起きず。
ただ村の人には心配はされるので教会だけには毎週末行った。
毎週懺悔を聞いてもらったが答えはいつも「神はみております」だった。
神が見てくれているなら…どうしてあの時一緒に逝かせてくれなかったのだろう。
神はインチキ野郎だ。
周りの音が遠のく。
自分が死の淵に近づくのを感じる。
…ジャスが死んだ時もこんなに穏やかな気持ちだったらよかったのに。
ふと目の前に懐かしい顔が現れた。
「…ジャス?」
唇は最早動かない。心の中で唱える。
ジャスは今度は白い翼を生やして微笑んでいる。
手を伸ばそうとする。
その瞬間景色は変わった。
「ここは…」
気付くと自分も白い服を着て白い翼を生やしていた。
「天国へ上る階段だよ」
ふと前を見ると白い翼を生やして輝くジャスがいた。
「ジャス…!天国に…行けたんだ…!」
「最後にぜろの願いを自分で叶えた。それが悪魔には気に食わなかったらしい」
苦笑いして目尻を下げるジャスは相変わらずだった。
「でもどうしてジャスを殺した僕は天国に行けたの?」
「天国についた時最初に願ったんだ。ぜろとずっと一緒にいさせてくださいって」
「…じゃあ…」
「これからは本当にずっと一緒だよ」
ジャスが手を伸ばすのでその手を取って階段を上る。
見たことも無いような美しい宮殿がそこにはあった。
「すごい…」
ジャスが抱きしめてくれる。今度は温かい。
「ずっと一人にして…ごめんね」
「大丈夫…これからずっと傍にいるから」