4 龍化
それから数日、森に行っては狩りをし、魔ウサギを川で血抜きしては夕食にする生活が続いた。
魔ウサギの死体の処理も、いつしか上手くなっていっていた。
狩りの途中で、俺と同じような駆け出しの冒険者のパーティと会うことが何度かあり、こっちの休憩中に話しかけてくることがあったが、フィスが奴隷だと言うと汚物でも見るような目で何処かへ行ってしまった。
いつか人間と組んでて後悔するときが来るっていうのに、ご苦労なこった。
数日を共にしてて、フィスのことについて多少は分かってきたことがある。
今まで戦闘はあまりしてこなかったと言う割には、魔物を相手取る時の動きは荒々しくも洗練されたものがあること。
初日はそこまでだったが、日を跨ぐごとにキレが良くなっていた。
やはり食事は大事だ。栄養学バンザイ。
他にも、寝相は結構いい方だったり、食べ物は肉が好きなことやあまり喋りはしないが表情は豊かなことが分かった。
強制の魔法には相変わらず鬱陶しそうにしているが、それを解くつもりは毛頭無い。
あくまでフィスは奴隷、そして俺はその主人。その関係性を崩したらどうなるのかなど分かり切っている。
今日も今日とて森に来ていた。
毎日毎日魔ウサギとゴブリンだけ狩っているのはアレだし、そろそろ狩場を変えるのもアリだろう。
今日は狩りが終わったらギルドに聞きに行こうか。
そんなことを思っていると、3匹のゴブリンを相手していたフィスが、切り落とした首から魔石を取って食べているのが目に入って来た。
本来はギルドに持って行って売るのが普通なはずの魔石だが、食べると調子が良くなると言っているので一応食べてもいいことにしている。
金はまだ全然ある。フィスは龍なのだから魔石で強くなる、だなんてことももしかしたらあるかもしれない。
そもそも、ここは魔法や魔物がいる世界だしな。
「フィス、今日はもっと奥へ行くぞ。今のお前ならある程度強い魔物でも戦えるだろう?」
「うん、ゴブリンは余裕」
今までは行くことのなかった森の深部へと進んで行く。
木々はより鬱蒼としていき、魔ウサギやゴブリンの群れる量も多少増えていた。
他にもそこそこデカい蜘蛛や、目を合わせた瞬間こっちに突進してくる魔イノシシもいた。
それら魔物を全て爪で切り裂いていくフィス。
いつもより魔石がよく取れるので嬉しそうであったが、少し気が抜けてきているようにも見えた。
「おい、ここじゃいつ魔物が襲って来るか分からないんだ。常に警戒してろ」
「……分かった」
フィスは俺の命綱なのだから、気など抜かれたらたまったもんじゃない。
俺はゴブリン複数など相手取れる気がしないし、危険な戦闘など奴隷のやることだ。
奴隷は死んでもいいという訳ではないが、俺の代わりに戦う位はしてもらわなければ困る。
ここ数日で分かったことだが、俺は戦闘の類いが全く出来ない。
一応ナイフは買ったが上手く切れないし、追おうにも動きに付いていけない。
そうこうしてる間に、魔ウサギにどつかれて大きな青痣をもらったのだ。
そんなことが何回かあったので、俺は戦闘はしないことに決めた。
人には適性がある。俺は戦闘には向いていないから、フィスに任せるのは仕方のないことだ。
そう、仕方ない。
木々の間から指す日が頭上を少し越えた頃だった。
何度かの戦闘の後、休憩中だったフィスが何かに気付く。
「……! アザミ、何か強い気配のやつがいる」
「方角は?」
「あっち」
そう言ってフィスが指した方向は森のさらに奥。
フィスが危険を感じる程の相手。ならば逃げるのが最善だ。
そう思いフィスに撤退を告げようとした瞬間、近くでゴブリンの不快な鳴き声が響く。
「フィス!」
「うん」
瞬く間にゴブリンの首が切り落とされ、鳴き声が止む。
フィスが耳を澄ませて周囲を警戒していると、突然体を固まらせる。
「強いやつがこっちに来てる……! この速さじゃ今から逃げても追いつかれる……!」
「な……! なら近くに隠れるしかない! 急げ!」
幸いなことに森の奥には大木が多く、探せば何処か隠れられる場所はあるかもしれない。
正直凄くまずい。フィスがやばいって察知したやつに勝てるはずがない。
もし戦闘にでもなったらフィスが死んで俺も死ぬのは確定だ。フィスを身代わりにして逃げるのもアリだけど、もしフィスの時間稼ぎが失敗したらどうにもならん。
明確な死の危機が迫っている中、必死に森の中を探し回る。
すると、焦りからか足元の注意を疎かにしており、ぽっかりと開いた穴に滑り落ちてしまう。
「ちょ、ああああああああああ!」
「アザミ!」
滑り落ちた先は部屋一つ分くらいの小さい洞穴。
何重にも重なった根の間からは、微かに日光が漏れていた。
木の根と地面の間で上手いこと穴が出来ていた。
ここなら、もしかして……!
「フィス! ここなら隠れられる! 下りてこい!」
「分かった!」
下りて来たフィスと息を殺して洞穴の奥に隠れる。
木の根でカモフラージュ出来てるから下りてこられてもバレない筈……!
しばらくすると、上の方でドタドタと何かが来る音がする。
根の間からその姿を僅かに垣間見る。
風貌はゴブリンそのもの。
だが、体躯が通常のゴブリンのそれとは違い、2メートルはゆうに超すかと思われる全長。
四肢には盛り上がった筋肉が張り付いており、手に持った巨大な棍棒にはおびただしい量の血糊が付いていた。
こんなの勝てるはずない!バレたら速攻で殺される!頼む、気付かないでくれ……!
そう願うが一向にそのゴブリンが何処かへ行く気配はなく、心拍数の上がった心臓の音がただ響いていた。
もう何時間隠れていただろうか。
上が静かになってから結構な時間が過ぎた。
「はぁぁぁぁぁぁ、もうこんだけ待てばどっか行っただろ……」
「フィス、帰るぞ」
「……うん」
全く怯えていた様子のないフィスに声を掛け、洞穴から地上に上がる。
上がって最初に見えたのは念願の地上、ではなく。
邪悪な笑みを浮かべた巨大ゴブリンの姿だった。
「なっ……!」
こいつ穴の前で待ち構えてやがった。
しかもフィスが分からないくらいに気配は消してあるって、妙に狡いことしやがって……!
「グギャグギャグギャ!」
気持ち悪い笑いの後、巨大ゴブリンが振りかぶった棍棒が俺の横っ腹に叩きつけられる。
その衝撃に近くの木まで吹き飛ばされ、肺から空気が全て押し出される。
呼吸が出来ないのも苦しいが、それ以上に防御のためにクッションにした腕が完全に折れてる。
おそらく肋骨も数本逝ってる。
この痛みは人生初だな……!
痛みに耐えながらゴブリンの方を向くと、首を掴まれ持ち上げられているフィスの姿があった。
必死に爪で抵抗しているが薄皮に血がにじむ程度。
ゴブリンの嗜虐心からか、徐々に締まっていく首のせいで四肢から力が抜けていくフィス。
やがて少しも動かなくなってしまった
フィスが動かなくなったのを確認したゴブリンが、ギャギャギャ、と笑った後片腕でフィスの服を剥ぐ。
未だ癒えない痛々しい肌が月光に晒された。
あ……?月光……?
そう、地下からでは分かりずらかったが、何時間も隠れている間に日は落ち、月光が満ちる夜が来ていた。
アレイスターが言っていたフィスの唯一の注意点。
それは『月光を浴びると龍になる』。
既に気を失っていた筈のフィスの四肢がぴくりと動き出す。
「グ、ギャァアオオオオオオオオオオ!!!」
巨大ゴブリンに首を掴まれながら、森が揺れる程の咆哮を放つフィス。
咆哮の後、フィスの体からは漆黒の鱗が生え始める。
それに呼応するように全身が膨張していき、骨格が変形していく。
異変を察知したゴブリンが全力でフィスの首を絞めようとするが、その首はすでにゴブリンの手で絞めることの出来る太さでは無かった。
更に龍化が進み、端正な顔立ちはいかつい龍のものに変わり、背中からは大きな翼が生え、成長を続ける体は木々を押し倒していった。
やがて変身が終わり、変わり果てた姿で巨大ゴブリンを睨み付け、見下ろすフィス。
その目には感情というものがあるかは怪しく、ただただ本能に任せた純粋な敵意のみがあるように見えた。
「ギャァアオオオオオオオオオオ!!!」
龍化したフィスの咆哮が大地を揺らす。
その咆哮に命の危機を感じたのか、地面を蹴り一目散に逃げだす巨大ゴブリン。
だが、龍化したフィスから逃げられるはずもなく、横一線に薙いだ爪に体を引き裂かれ絶命する。
「よ、よし!フィス、『元の姿に戻れ』!帰るぞ!」
問題であったゴブリンが死に、ついフィスに声を掛ける。
が、戻れる筈が無い。
元の主人のアレイスターが暴力で戻していたのだ。強制の魔法で戻るのであればフィスの体の傷は無いだろう。
だが、痛みで気が動転していた俺は考え無しにその魔法を使ってしまった。
強制の魔法はあくまでも魔法だ。しかも体の動きを支配しようとするもの。
普段から強制の魔法は嫌だと言っていたフィスが、龍化した状態でその魔法をかけられる。
それがどんな結果を生むか考えられない俺ではなかったが、状況が状況だった。
攻撃されたので標的を排除する。そんな純粋な思であろうフィスが、俺を見てくる。
振りかぶられた爪が俺の体を裂く…………はずだった。
刹那、何処からか飛翔してきた何かによりフィスの腕が吹き飛ばされる。
その何かが飛んで来た方向へ振り向く。
月光に照らされてその姿がよく見える。
木の枝の上に登り、弓を構えていた。
黒い肌に尖った耳、中性的な美しい顔。
俺の知識の中では『ダークエルフ』と、そう呼ばれている種族がいた。
「待ってろ、今助けるからな」
「あ、まっ……!」
痛みで上手く大声が出せない。
俺の抑止の声は届かず、ダークエルフが矢をつがえ、魔力を込めて放つ。
その一射一射がフィスの体を豆腐のように吹き飛ばしていく。
だが、下位だとしても仮にも龍。凄まじい再生速度で傷が塞がっていく。
「グギャァアオオオオオオオオオ!!!」
今までにない大ダメージを食らったフィス。
死の危険を感じたのか、ダークエルフに向って突進していく。
その突進は、ダークエルフが放った木の根を操る魔法らしきものによって止められる。
止まった所を幾度となく矢が襲う。
肉が裂け、再生し、また裂け、再生する。
だが、段々と再生の勢いは衰えていっていた。
よく見ると、体も徐々に小さくなっていっているのが見て取れる。
「竜種にしては弱いな……再生能力はあるし危険っちゃ危険なんだけど」
そんな言葉を吐きながら容赦なく矢をつがえていくダークエルフ。
このままじゃフィスが死ぬ……!
言葉でダークエルフを止めても、龍化できることをバレたらどうなるか分からないし、このダークエルフと正面から戦うのはもっとヤバい。
そんなことを思っていると、とある一つの案が思い浮かんでくる。
……これなら!
腰に付けたポーチの中から取り出した何かをダークエルフに投げる。
意識外からの投擲物には反応出来ないらしく、その何かを食らうダークエルフ。
その何かとは、煙玉と匂い玉。
どちらも冒険者必須の逃亡アイテムである。
装備揃える時に買っといてよかった……!
「けほっけほっ、臭っ! 君いきなり何を……!」
煙幕と魔物が嫌がるほどの悪臭のダブルコンボだ。
助けてくれたのに悪いが、ダークエルフが足止めを食らってる間にフィスの元に駆け、意識を失いかけている半龍化状態のフィスに言う。
抉れた傷口には骨が見え、再生能力のせいか、少しずつ肉が盛り上がってきていた。
ああクソっ……!
「『人の姿に戻れ、あと俺に付いてこい』」
「ワ、ワカッた……」
人間の体に戻ったフィスの体には、前よりももっと酷い傷が。
ダークエルフへの恐怖と、自分への不甲斐なさで感情がごっちゃになる。
「ま、待て!逃げるな!」
煙の中から声が響くが無視する。ここで止まる馬鹿がどこにいる。
意識が朦朧としているフィスの手を取り、町の方角へと逃げていく。
これまでの人生で一番必死に走った。
折れている骨が死ぬほど痛んだが、あのダークエルフに見つかったらと考える方がよっぽど怖かった。
その後、無事に町に着き、宿の裏口からこっそり中に入って部屋に戻った。
煙玉と一緒に買っておいたポーションを飲む。
フィスは部屋に着くなり気絶していたので、ベッドに寝かせた後、口にゆっくりと這わせるように飲ませておいた。
俺もポーションを飲むなりベッドに崩れ落ちる。
確かに多少痛みがマシになっている気がする。
服も体もボロボロだったが、すぐに眠りに付いていた。
傷だらけのフィスを見て、申し訳ない、とそう思う気持ちが少しだけあった。
ああ、俺にもそんな感情があったんだな……
夜が深けていく。
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