おまけの番外編① キュロス様の誕生日
完結後おまけの短編です。
激甘につき、周辺環境に注意。
「ただいまマリー! 今日の土産を持ってきたぞっ」
……と。わりと、いつも通りのハイテンションで、キュロス様はテーブルに荷物を置いた。薔薇を模したブローチらしい、白い箱に品良く収まっている。わたしはとりあえず、労いの言葉から順に、彼へと伝えた。
「お帰りなさいませキュロス様。お仕事、お疲れ様です。お土産、いつもありがとうございます」
「……『お』が多いな」
そう言われても。わたしは眉を垂らし、苦笑した。
「ごめんなさい。なかなか、敬語が取れなくて……一緒にいるうち慣れてくるのだけど、日が変わるとまた……」
このグラナド城にやってきて、もうじき四か月――婚約式から、はや半月。神前での結婚式はまだとはいえ、彼とは事実上の夫婦である。
だからって、まったく緊張が取れたわけではない。彼が使用人たちの前で威厳のある城主の顔をしているとき、あるいは王侯貴族を前に、グラナド伯爵の佇まいでいらっしゃるとき、またこうしてお仕事に出かけるさい、グラナド商会の主として煌びやかな衣装を纏っておられるとき……。キュロス・グラナド伯爵は、とてつもなく凜々しい。
「まさかまた、卑屈になってはいないよな?」
心配そうに確認されて、頷く。
「はい。ただ……あなたが素敵すぎて。ドキドキしてしまうだけなの」
「ふ。そ……そうか。はは……そうか。ははははは。そうかそうか」
今度はキュロス様が赤面して、ぎこちなく頭を掻いた。わたしも口元を抑え、俯く。
そのまま二人、意味もなく向かい合って立っていた。
「……信じられますぅ? この二人、あれからずっとこの距離感なんですよぉ。あの調子でちゃんとお世継ぎが出来るのでしょうかねぇ」
「誰に話しているのですか。新婚早々冷え切っているよりはるかに良いでしょう。我々使用人一同がするべきことは、黙って見守ることです」
「そこ二人! なにしゃべってる、というかなぜマリーの部屋にいるんだっ!?」
照れ隠しか、キュロス様は大声を上げた。でもミオとチュニカなら大体いつもここにいるのよね。怒鳴られた2人は「何か?」という顔。
渋面になって部屋を出て行くキュロス様……わたしは彼を見送ってから、ふと思いつき、ミオに尋ねた。
「ねえミオ、キュロス様の誕生日って、いつなのかしら」
問われて、彼女は眉根を寄せて、
「ああ……そういえばもうすぐですね」
「もうすぐ?ならちょうど良かった。いつ? 来月くらい?」
「明日です」
わたしはその場にへたり込んだ。
嘘でしょ、明日!? 明日って!
慌てて、窓の外を見る。もうすっかり日が暮れて、夕焼けの向こうには夜空が見える。今から市場になど行けっこない、手作りするにも、この短時間じゃ大した物は出来ないだろう。
どうしよう……わたしが頭を抱えていると、ミオは不思議そうに言う。
「この国では、成人男性の誕生日はそれほど重要視して祝われることはありません。旦那様も、もとより期待していないと思いますよ」
「でも、何にもしないっていうわけには。せめて小さなものでも、出来るだけ当日のうちに……ちゃんとしたものはまた後日にするとしても」
「だったら、旦那様の寝室に突撃しましょぉ!」
いきなり爆弾発言をしたのはもちろんチュニカ。さっそくわたしの後ろに回り、背中のボタンを開き始める。
「ちょ、ちょっと何するのっ?」
「旦那様の欲しいものっていったらマリー様に違いないです。ささっ裸になって」
「ええっ!?」
「生まれたままの姿にリボンを巻いて、プレゼントはわ・た・し♡ どうぞお好きになさってぇ♡ って言えば、旦那様は大喜びで――」
「下品ですよ」
ミオのクールな声と同時に、ゴッ――とすごい音がして、燭台で殴られたチュニカはずるずると床に沈んでいった。
……大丈夫? これ、事件にならない……?
服を整えながら、チュニカの後頭部を撫でてやる。ミオは、呆れたように微笑んでいた。
「しかし、チュニカの言うことも一理だけはあります。今まで色々としてもらったから、と気負いませんよう。旦那様は、マリー様が喜び、幸福に過ごしてくれることが何よりの望みでいらっしゃるのですから」
「……。……そうね……」
「笑顔で、お祝いの言葉をかけるだけで十分かと存じます」
およそ二十五年、キュロス様を間近で見てきた侍女の言葉である。わたしは納得せざるを得なかった。
復活したチュニカと一緒にお茶を飲み、くつろいで過ごす。
結局何の手配もしないまま夜が更けて……日付が変わる鐘の頃。
「あっ……そうだ」
わたしは、あることを思いついたのだった。
◇◆◇◆◇
自分が、二十五歳になったのだと気が付いたのは、当日の朝。書類に日付を入れた時だった。
「ああ……今日は誕生日だったか。一年は早いものだな」
思わず独りごちる。なんだか年々、時間が経つのが早くなったように感じる。あっという間の一年間――だが、これまでになく、濃密な四ヶ月間。
マリーと共にある日々は、一瞬一瞬がすべて輝き、俺の記憶に刻まれている。まだ想いが通じ合う前、初めて出会った瞬間からだ。あの日――マリー・シャデランの十八歳の誕生日……政略結婚の相手を、半ばやさぐれた気持ちで物色に行った夜。
俺は、正しい名も分からぬ少女に恋をした。ボサボサの赤毛に薄汚れた肌をした、長身の女。今となっては信じられないほど、悲しい顔をしていた。その表情が少しずつほぐれると、彼女は絶世の美女へと変貌した。
それはもちろん、彼女自身がもともと持っていた美貌だ。驚くほど知的で好奇心旺盛なのも、明るく人なつっこい素朴さも、見蕩れるほどに気丈で、凜とした強さも。
俺や使用人たちは、それを引き出したにすぎない。彼女の魅力は、彼女自身の強さによって開花した。その手助けとして、雫一滴ぶん、役に立てたことが誇らしい。
――素敵なブローチ! キュロス様、ありがとうございます――
幸福そうに笑うマリー……自分の誕生日なのに、思いを馳せるのはマリーのことばかりだった。目を伏せて、ハァ……と嘆息。ぼそりと独り、呟く。
「しあわせ……」
コツコツ、扉がノックされる音。少し遅れて、「キュロス様」と涼やかな声がする。俺はすぐ扉へ駆けつけた。開いた先に、期待通りの少女がいる。
「おはようございます、キュロス様。朝早く押しかけてすみません」
「何も、すまないことはない。おはようマリー」
少し緊張したような面持ちだった彼女、俺がそう言うと安心したように、細い眉をふにゃっと垂らした。この表情の変化がたまらない。
女性としてはかなり長身のマリーだが、それ以上に俺が無闇に大きいので、頭半分見下ろす形になる。丸みのある額に、切れ長気味の双眸は年齢より大人びて見えるが、上目遣いに見上げる瞳は子供のように無垢で透明で――。
ああもう、毎朝毎朝……呆れるほど可愛い。
「きゃっ」
と、小さな悲鳴でふと気が付くと、腕の中にマリーがいた。いかん、また無意識に抱きしめてしまったらしい。俺はいつか何かの罪で逮捕されるんじゃないだろうか。
とりあえず謝罪して、俺はマリーを解放した。
「マリーが、朝からここを訪ねてくるのは珍しいな。何か用事か?」
「あっ、あの……今日、お誕生日ですよね? 二十五歳の……」
「ああ、そうらしい。俺もさっき気が付いたよ」
「おめでとうございます。それでわたし、何か贈り物をしようと思ったのだけど、時間が足りなくて――」
言葉を濁す彼女に、俺は首を振った。気を遣うな、祝いの言葉だけで十分以上だと伝える。しかし彼女は、その場を去らなかった。赤面して、もじもじと体を揺さぶりながらも、それほど恐縮しているようでもない。
「すみません……。えっと。ミオやチュニカも、そう言ってくれたのだけど、でも、やっぱり今までキュロス様には色んな物を頂いてて……どうしてもわたし、何かお返しがしたくて……」
「いいって。俺の贈り物で、君が喜んでくれたなら何よりだ」
「は、はい。それで……だからわたし。自分が嬉しかったことで、そのまま出来ることを、お返ししようかと……」
「うん? どういうことだ?」
「あの――失礼しますっ」
なぜか全身を真っ赤にしながら、両手を伸ばすマリー。立ったまま背伸びをして、俺の髪に指を入れた。……なんだ? 髪を結んでくれるのだろうか。
俺は普段、自分ひとりで朝の支度をする。ウォルフやミオに髪を結んでもらうなど、よほど難しい礼装の時くらいだが。
しかしマリーはいつまでも結びはせず、ただ俺の髪を弄んでいるだけ。なんの儀式だろうかと首を傾げた瞬間、彼女は、低い声で呟いた。
「……キュロス。綺麗だ……」
…………。
「は?」
本気で困惑しながら見下ろすと、彼女は手を抜き、真っ赤になって俯いた。そのまま小刻みに震えている。ええと?
「マリー、何だ今の」
「あっ、違うんです! 決してキュロス様の声に似せようとしたわけではなくてっ。ただ話し方をなぞるとつい男言葉になってしまっただけで口調には何の意味はないんです!」
「え、今のは俺の真似だったのか。確かに、そういうことはよく言うけどなぜ今」
「すいませんすいませんすいません」
深々と頭を下げたまま、器用に後退していくマリーを捕まえて、その意図を追及する。
「わたし、キュロス様のお誕生日に、何か喜んでもらえるようなものを差し上げたかったんです。今までキュロス様に本当に色んな物を頂いていてたから……。高価な物や貴重な物だけじゃなく、していただいたことやかけてくださった言葉も、嬉しかったことがたくさんあって。
考えてみれば、それのお返しは何も出来ていないし、お礼すら言えてなかったの。だから本当にそのお返しで、自分が嬉しかったことをそのままキュロス様にしてみたらどうかなと」
「じゃあさっきのは――俺が君を、綺麗だと褒めたのを再現したのか」
「わ、わたしをというか、髪をですね」
彼女は自分の赤毛を一房摘まんだ。
「ずっと、この髪はコンプレックスでした。ずたぼろで毛玉だらけになる前から、不吉だと貶められるばかりで。……だけどキュロス様は、そんな髪を撫でて、綺麗だと、褒めてくださいました。なかなか素直に受け入れられなくて、お礼を言う機会がないまま、だったけど……。
本当は、とても、嬉しかったのです。だから……」
そこで、マリーは今更のようにハッと息を呑んだ。
「ご、ごめんなさい、キュロス様はわたしと違って、誰が見てもお美しくて、コンプレックスなんてないですよね。すみません、頓珍漢なことをしてしまって!」
「いや……そうでもない。俺も、同じような経験がある」
嘘ではなかった。そういえば、あまりマリーには言っていなかった気がする。美醜とは違うが、俺もまた自分の髪や肌、目の色を、蛮族の血だと侮辱されて育った。俺は卑屈にはならなかったし、母からの遺伝を誇らしく思っていた反面、やはり良い気持ちはしなかった。
マリーが俺を蔑むことなく、まっすぐに視線を合わせてくれたことが、嬉しかった。
そしてまた改めて、綺麗だと褒められれば嬉しい。それに何より、マリーが、俺の言葉で喜んでいたと知れたことが、とても嬉しい。
俺が褒めると、マリーはたいてい赤面したり全身をこわばらせたり、お世辞や冗談と聞き流す。心地悪い思いをさせているのかと、自制したこともあったが……
良かった。ちゃんと届いて、喜ばれていたんだな……。
俺はホウと息を吐き、微笑んだ。
「素晴らしいプレゼントを、ありがとう。本当に嬉しいよ」
マリーは眉を垂らし、照れくさそうに笑った。
そんな彼女を、俺は抱きしめてキスをしようと手を伸ばし――スカッと空振り。距離を取った彼女は、とても元気になっていた。
「良かった。でもまだコレで終わりじゃないのです。ここに来て四ヶ月、いや初めて出会ってからの半年ぶんたまっているのですから」
「へ?」
目を点にする俺の前で、彼女は何やらメモを広げた。
「ええと次は――キュロス様そのままそこに立っててくださいね。そう……行きますよ。『すみません、そこの、男の人。道が分からなくなってしまいました、案内してください、ありがとう』」
「……んん? それは何だ?」
「シャデランの屋敷で、初めて声をかけてくださったときの言葉です」
「ああ、あの夜……それの何が嬉しい言葉なんだ?」
「はい! わたし、この背丈なので暗がりでは男性と間違われることが多くて。お嬢さんって、女と分かってもらえたので!」
俺はその場でコケそうになった。俺の動揺を知ってか知らずか、マリーはウキウキと、ピクニック計画を話す子供のように身を揺さぶっている。
「案内を頼まれたのも、ホッとしました。わたしはあの夜、誕生日なのに相手にされず、サロンを抜け出しても引き止められなかったの。自分は何の役にも立てない――って落ち込んでいたから、ゲストをご案内できて良かったーって」
「あ、ああ……そうか……」
「それから、これはミオのセリフですが……『グラナド家の姉弟は四人、前妻の娘が三人と、イプサンドロスの後妻との息子が一人。あなたは一人息子のキュロス様ですね』! これも嬉しかったわ。もしかしたらわたし、本当にもらわれっ子で、シャデラン家の公式家系に載ってないんじゃないかと不安でした」
「……なるほど」
「はい。存在を認識していただき、ありがとうございます。では次――」
待て、まさかこのレベルのことが、このペースで続くのか!?
ちょっとした脅威を感じてのけぞる俺。マリーは引き続き、俺と出会ってからの「嬉しかったこと」を再現していった。
イプス語での談笑、使用人と間違えたことを謝罪してくれたこと、泣いて逃げ出した自分を引き止めてくれたこと、色々と誤解はあった熱烈な求婚願や財宝も。
姉の死を嘆き、無礼な父親を拒絶してくれたこと。豪華な客室で歓待してくれたこと、美味しいお茶、お菓子、お風呂にドレスに硝子の靴――
延々と続くマリーの嬉しかった報告劇場を、ベッドに腰掛け、観覧する俺。もともと他人の言動を置き換えているだけあって、普段マリーがしない動作が見れて、とても楽しい。
祝福の鐘や花火の音真似まで始めたのは驚いたが。
俺自身が記憶もしていない、日常のことまで、微に入り細に入り再現してくれるマリー。よく覚えているなと聞いてみると、印象に残ったことだけですよと返ってくる。マリーが聡明で、記憶力に優れているのは知っていたが……たった数ヶ月で、これだけの思い出を胸に刻み込んでいては、そのうち溢れて零れるのではないだろうか。
俺の左手を取り、薬指を撫でるマリー。そこにはまだ何も無い。マリーに贈ったレッドダイヤモンドは婚約指輪で、結婚式で使うペアのリングはまだ製造中だ。
裸の指に、自身の指を滑らせて、輪を填める真似をする。これは結婚式の予行演習ではなく、俺が以前、マリーに填めてやったときの再現だ。
「……キュロス様はお洒落だから、男性用の指輪くらい、何度も着けたことがありますよね」
「ああ。でも、その指にはまだ一度もない」
心なしか、マリーの口元がわずかに震えた。目を伏せて、ほうと息を吐く。
「……良かった。誰にも奪われなくて」
そのセリフは、あのときの俺の真似だろうか。それとも、今この瞬間のマリーの本心だろうか。
マリーは多くを語りはせず、俺の手を取り、その場に立たせる。
「婚約式でのダンス、楽しかったですね。また、機会があれば踊りましょう」
俺は答えた。
「機会なんかなくても、いつでも。今すぐに、ここででも」
彼女の肩を抱き、ワルツのステップを踏み出す。彼女も笑って身を任せる。仕事用の書斎兼仮眠室であるこの部屋は、決して広くない。俺たちは小さなスペースで、ただ体を揺さぶるようなワルツを踊った。
踊りながら、歌うように、マリーは言う。
「わたしの手を取ってくれて、ありがとう。嬉しかったわ」
「どういたしまして。こちらこそ」
「あなたが大きなひとで良かった。わたしが小さな、可愛らしい女の子みたいになれるもの」
「君がまた成長して、俺より大きくなったとしても、マリーは可愛い女の子だよ」
「……あなたがわたしより小さくて、弱い少年だったとしても、わたしはあなたを好きになった」
「あんな形で出会ってしまったのに、夫婦になれたんだ。これから何が起きたって、俺たちは変わることなく愛し合い続けることができるだろう」
ふふっ、とマリーは声を立てて笑った。
「やめて、もう。プレゼントが終わらなくなっちゃう」
「やめない」
俺は足を止めた。彼女の腰を抱き寄せ、のけぞらせる。睫毛が触れるほど至近距離で見つめ合い、もう何度目になるか分からぬ言葉を伝えようとした。
だがそれより早く、マリーが指を立て、俺の口を塞ぐ。
「だめ。今日は、わたしが言うの」
拗ねたように尖らせた唇から、低く、甘い声が囁かれた。
「わたしの大事な、可愛いひと。愛してるわ」
俺も同じことを言い、言葉と意思と、二つの唇を重ねた。
【 おまけ 】
「本当に、ありがとうマリー。最高の誕生日プレゼントだよ」
「喜んでもらえたなら、良かったです。……けど、実はもう一つその、贈り物みたいなものも用意がありまして……」
「ん? なんだろう、手ぶらのようだけど」
「は、はい。えーと、何と申しましょうか。その……あのですね。……一応、チュニカの案も採用してみたわけですが……。ええとその。
…………今、要ります?」
「おそようございます旦那様。もう夕方ですが、ご昼食はお召し上がりに?」
「……ああ、じゃあ、軽い物を。……あとマリーの分も包んでくれ。今は寝てるけど、起きたらお腹がすいてると思うから……」
「承知いたしました。……ところで、遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございます。四捨五入すると三十路になるお年になられましたが、ご心境はいかがですか」
「明日にでもまた、二十六歳の誕生日が来て欲しい」
「そう生き急ぎなさらず。人生ごゆっくり、お茶でもどうぞ」
活動報告にご連絡がありますのでお越し下さい!




