断罪式の時間です(中編)
時とともに、グラナド城は人口を増していく。
開きっぱなしの城門からどんどん民間人が入り込んでいるのだ。朝一番で王都に貼り紙をしたのが、時とともに広まったためである。
「ほんとにタダメシ? すげえ美味そう……」
「グラナド城の中ってこんな風になってたのねぇー」
「あっ新郎新婦だ! おめでとうございます!」
老若男女が入れ代わり立ち代わり、わたしたちの前にやってくる。
わたしとキュロス様は園庭の中心、高砂席に並んで立って応じていた。とはいえそんなに堅苦しいものじゃなく、片手を上げて「よっご両人、お幸せに!」「ありがと!」なんていうもので。
贈り物をくれるひともいたけど、ほとんどが「ごちそうになります!」の挨拶だけ。もちろんそれでいいのよ。だってこれ、予行演習兼試食会だって告知して呼び込んでいるんだもの。
平和に暮らす王都民は、みんなお祭りが大好き。それぞれ料理を楽しんだり、園庭の花や古城の荘厳な佇まいを見て楽しんだり過ごしていた。
薔薇の咲き誇る噴水の周りを、貴婦人たちが踊っている。彼女らも、貴族のご令嬢などではなくみんな王都の民間人。グラナド商会の服飾品を、小遣い程度の代金でレンタルさせただけ。それでも、集団で踊れば圧倒されるほど華やかだ。
きゃっきゃっと笑い声に振り向けば、ピンクのドレスを着たツェツィーリエが、同じ年頃の子ども達と走り回っていて……あれっ、セドリックもいる!?
「みんな楽しそうだな」
キュロス様の言葉に、わたしは頷いた。こっそり小声で呟く。
「……式本番も、楽しみですね」
キュロス様は、とてもホッとしたように破顔した。
気が付けば、何百人もが出入りする大宴会。シャデラン家で行われた『マリー・シャデラン十八歳のバースデーパーティー』とは比べ物にならない規模である。
母は呆然としながら呟いた。
「……こ、これ……一体いくらお金をかけてるの……?」
「端金よ。グラナド商会の財力を持ってすれば」
そう、声をかけてきたのは、褐色の肌をした美女だった。
薔薇のオベリスクを背景に、優雅にワインを傾けている……グラナド公爵夫人。
リュー・リュー夫人の姿に、夢中で食べていた父もハッとした。慌てて皿を投げ置くと、彼女のテーブルへつかつか歩み寄る。はるか上位の上級貴族とはいえ、自分よりも年若い女性だからか、それとも異国人の風貌であるからか、夫人に対し父はひどく居丈高だった。
「グラナド夫人! これはどういうことですかな。我らの承諾もないまま、これほど大掛かりな婚約式を強行するとは」
「あら……強行とは異なることを。うちからは何度も婚約式の招待状を送らせていたはずですわ」
「参加の返事はしていない。新婦の父親を無視して、婚約の儀を行うなど、非常識な!」
リュー・リュー夫人は、ホホホッと高らかに笑った。
「非常識! なんて面白いことを仰るのかしらっ! 男爵ったら……マリーさんをぜひ嫁にと、城へ連れてきたのはあなたでしょう?」
「そ、それはただ……アナスタジアの代わりに、慰みとして……」
言いかけて、さすがに口ごもるお父様。わたしのそばで、キュロス様は眉をつり上げる――が、口を開くより早く、夫人の高笑いが挙がった。
「ほーっほほほほほほっ! ああそうだったわね! 先にお送りした結納金を使い込んで、娘を売り飛ばしたんだっけ。――そうマリーさん自身から聞いた時は、本気でシャデラン領を滅ぼしてやろうかと思ったけど……今となっては、礼を言わせていただくわ。
どうもありがとう、シャデラン男爵。頂いた娘さんは以後うちの家族として、大切にさせていただきますわっ!」
「!? 違っ……こ、この――!」
リュー・リュー夫人に掴みかかろうとするお父様。
ああもう、いい加減懲りてくれないかな。
もはやのんびり見物しているわたしの眼前を、白い物体が横切った。直後、それはお父様のおでこに命中、パキャッと軽快な音を立て破裂する。
「ぐあっ!?」
慌てて、顔面に手をやるお父様。その手からネバーッと透明な粘液と、ゼリー状の黄色いものが糸を引く。
「な、なんだこれ……生卵?」
飛んできた方を振り向くお父様。はるか遠く――茂みの向こう、城壁沿いの屋外厨房に佇むのは、もちろん無表情の侍女である。片手の上でポンポン、卵を弾ませながら、頭も下げずにこう言った。
「申し訳ございません。手が滑りました」
「どんな滑り方をしたらこの飛距離になるんだ! ふざけおって貴様――あいたっ! 痛っ!? なぜ追加で投げる!?」
「不器用なもので。申し訳ございません。どうも本当に申し訳ございません」
「痛い!」
みるみる生卵まみれになっていくお父様を、指さして笑うリュー・リュー夫人……。わたしとキュロス様は、顔を見合わせた。
「……マリー、これも打ち合わせの通りか?」
「違います……」
ミオったらもう、お父様にぶつける予定はなかったのに。激怒しているお父様は、『赤毛の少年』からタオルを差し出され、礼も言わずにひったくった。
そこでミオは予定を思い出したのか、それとも気が済んだのか。今度こそ打ち合わせ通り、狙いを定める。絶妙なコントロールで投げられた卵は、ビョウと風切り音を立て空を割き――見事、お母様の側頭部に命中。卵液をぶちまけた。
「ぎゃぁっ!?」
悲鳴を上げるお母様。そこへ、
「わあ、こりゃぁ大変だわぁ!」
すかさず駆け寄ってきたのは、チュニカだった。卵液まみれでわなないているお母様の手をとって、大騒ぎする。
「綺麗な金髪がベトベトですぅ! 婚約式はこれからなのに大変!」
「あらまあほんとうだこれはひどい、お母様、幸いグラナド城のお風呂は中庭、すぐそこにあるんですよ。今すぐ髪を洗ってしまいましょう」
わたしもすかさず乗っかって、まだ呆然としている母の腕を掴む。瞬間、お母様は明らかにギョッとした。
「髪を洗う!?」
慌ててチュニカの手を払い、両手で頭をしっかりとかばいながら、じりじり後退する。
「だ、大丈夫……わたくしはこのままで平気よ……」
わたしたちは、逃がさない。
「なぜぇ? ダメですよぉ、早く落とさないと髪がバリバリに固まっちゃいますぅ」
「ご安心くださいお母様、グラナド城のお風呂は園庭にあるのです。ほら、すぐそこですよ」
「今日は公爵令息の婚約式。世界中の王侯貴族が来ているのですものぉ。新婦のお母様が卵まみれじゃ、マリー様が嗤われちゃうわぁ」
「そうですわお母様、わたしの幸せを台無しになさるおつもりで?」
わたしが言うと、母は音が鳴るほど奥歯を噛み締めた。持っていた皿を地面にたたきつける。陶器が砕け散る音と共に、
「――黙れ! おまえが……おまえのように可愛くない女が、幸せになれるわけないでしょうがっ!」
母の絶叫が園庭に響き渡る。その声はまるで処刑台に上がった罪人の断末魔のようで、人間の魂を凍えさせる。ぎょっとして振り向き、だが母の形相を見てすぐに視線を逸らす来賓たち。
だけどわたしは、逃げなかった。真正面から母と向かい合い、怒鳴り返す。
「自分がそうだからって、愛される努力を怠けた言い訳に、娘を使わないで!」
「……えっ……」
硬直するお母様――わたしはいきなり母の髪を鷲掴みにした。悲鳴を上げる間もなく一息に毟り取る!
「あ……!」
「あっ――!」
母の小さな悲鳴は、大勢の観客にかき消される。わたしの手の中には金髪の鬘、母の頭の上には、短くざんばらな、赤い髪が取り残されていた。
さっきまで賑やかだった婚約式会場は、水を打ったように静まり返った。
恥じ入るように赤い髪を両手で覆い隠している母。父すらも言葉を無くして、母の赤毛を見下ろしていた。
わたしは、嘆息した。
「ここまでね。もう……お開きにしましょう」
わたしは合図を出した。とたんトマスとミオが両親に飛び掛かり、それぞれヒョイと肩に担ぐ。抗議の隙も与えず回廊を抜け、館へと駆け込んだ。
わたしとキュロス様、リュー・リュー夫人と共に、館へ向かう。
ざわつく市民たちの相手はルイフォン様とウォルフガングが引き受けてくれたらしい。二人が模擬剣を合わせる音と、観客の歓声が上がる。その中にはセドリックもいた。
わたしは安心して、扉を閉めた。
さあ、彼らの罪を裁く時間だ。




