断罪式の時間です(前編)
大変長らくお待たせしました。
グラナド城に、二台の馬車が入城したのは、太陽が頂点を回った時刻だった。
キュロス様とルイフォン様に導かれ、シャデラン一家が降り立つ。まず一番に歓声を上げたのは、六歳の少年、セドリックだった。
「うわあ……でっかい城! 格好いい!!」
「大きいだろう、グラナド城は王国で一番強い要塞だったんだぞぉ」
なぜか自慢げなルイフォン様が、セドリックの手を引いて入城してくる。対して父は仏頂面、母は、白亜の城の迫力に気圧されているようだった。
「こ……こんな所で、マリーは働いてるの……?」
「働かせているんじゃない、楽しく暮らしている」
すかさず訂正したのは、キュロス様だ。それでも母はどうにも納得がいっていないようだった。奥歯を鳴らし、キュロス様を睨み付ける。
「ここにあの娘を入れたことを、伯爵はきっと後悔なさるわ……!」
キュロス様は眉を顰めた。この三日ほど、共に馬車に揺られている間、母は穏やかな貴婦人だった。それがマリー・シャデランの名が出た途端、魔女のような形相になる。
「エルヴィラ夫人……なぜあなたはそれほどに、実の娘の不幸を願う……?」
母は答えなかった。
それを、門の裏から盗み見ていたわたしの横で――
「……そろそろですか」
ミオが確認してくれる。わたしは頷いた。手の動きで、向かい側にいる門番、トマスへ合図を出す。
トマスは小さく頷くと、打ち合わせ通りに馬を退ける。腰の警棒をくいくいと二度引く――目標者の立ち位置良しという合図である。わたしはそれを受け、その場にいた全員に目配せする。
三、二、一……――よし、行こう!
――ぽんっ! ぽんぽぽぽぽぽぽんっ! ――
「ひゃ!」
「うわあぁぁっ!?」
火薬が炸裂する音と共に、大量の花火が城門を飾る。もちろんお祝い用の破裂弾だから危険は無いが、間近で鳴れば結構な迫力だ。兎のように跳ね上がる両親とセドリック。追い打ちをかけるように、使用人達が飛び出した。
「いらっしゃいませシャデラン男爵家御一行様! 城主キュロス・グラナド様と、男爵令嬢マリー・シャデラン様の婚約式に、ようこそお越しくださいました!!」
その数ざっと五十名。馬番や掃除夫含め、グラナド城の使用人全員である。
「…………えっ?」
まだポカンとしている父に、トマスが後ろからそうっと近づき……やはりそうっと、頭頂部にヒラヒラと花びらを振りかけた。
「そ、そんな、なぜ? 婚約式はまだあと数日あったはず……私は許可もしていないのに……」
「ははっ、呼んでも来なかった自業自得です。当日までにまた逃げそうだから、男爵家が揃う今のうちに済ませちゃうことになったんですよ!」
明るく爽やかに言い切るトマス。彼の散らした花びらで、ピンクの鬘をかぶったような父へ……わたしはゆっくりと歩み寄っていった。
使用人達が左右に分かれ、わたしを囲んで跪く。ホールから城門に至るまで一直線に敷かれた赤絨毯、それよりも更に鮮やかな赤い髪と、虹色に煌めくエメラルドグリーンのドレス……硝子の靴を鳴らし、彼らに向かってまっすぐ進む。
「ま……マリーおねえちゃん?」
セドリックが信じられないものを見たように呟く。
両親はまだ言葉が出ないようだった。わたしの姿を見て、ぽかんと口を開けている。
「ま……さ、か……」
「……マリー……なの……?」
呟く両親に、わたしはにっこりと笑って見せた。
「ご無沙汰をしております、お父様、お母様。ようこそ、我がグラナド城へ」
「我が、ですって……!? お、おまえ何様になったつもり!?」
母は戦慄き、わたしを睨み付けてきた。わたしは、一歩も引かなかった。硝子の靴を履き、背筋を伸ばしたわたしは父よりも母よりも、背が高い。正面から向かい合うわたしを、上目使いで見上げる母は、ひどくちっぽけな中年女だった。
「なにか、おかしなことがありましょうか。この城は、わたしの住処です。今日この日をもって、わたしはキュロス・グラナド様の妻なのですから」
彼らの前を行く、キュロス様に向き直る。
彼もまた、なんだかぼんやりしていた。この城にやってきておよそ三ヶ月、昨日と変わったところは衣装だけなのに、目を見開いている。
わたしはスカートを持ち上げ、婚約者様にお辞儀をした。チークキスをする振りをして、彼の耳元にそっと囁く。
「予行演習ですよ……」
彼は一瞬だけ驚いた顔をして、すぐにニヤリとわらった。
「ああ、なるほど、一石二鳥というわけだな。……ちゃっかりしている」
わたしは黙って頷いた。
父と母を、かりそめの婚約式に招待する――実はこの提案はわたしではなく、リュー・リュー夫人と使用人一同によるものである。彼らはみな、わたしが一発本番の婚約式に不安がっていたのを察していたらしい。
――せっかくだから、便利に使う。この、両親への断罪式を――
キュロス様とルイフォン様は視線を交わし、二人一緒にニヤリと笑う。前から思っていたけど、この二人ってやっぱり気が合っているのよね。結局どちらも、イタズラ好きの少年なのだ。
ルイフォン様はセドリックを抱き上げ肩に乗せ、大きな声を上げた。
「やあやあ、呼んで頂き光栄だ! このディルツ王国第三王子ルイフォン・サンダルキア・ディルツも、今日の良き日に心からのお祝いを申し上げ候!」
王子様に肩車され、弟はキャッキャと喜び手を叩く。
「え? わはっ、これ結婚式なの? マリーおねえちゃん、結婚するの!?」
「そうだよーでも結婚式じゃなく婚約式だよ」
「よかった、公開処刑じゃないんだね、やったーっおねえちゃん綺麗! マリーおねえちゃん、綺麗!」
ルイフォン様の肩でぴょんぴょん跳ねる弟を、父はぎろりと睨みつけた。
「やめろセドリック、私は結婚を認めていない! 何が婚約式だ、こんなもの、愛のない政略結婚だ。おまえは姉を金と地位のために売るつもりか? マリーが不幸になったらおまえのせいだぞ!」
怒鳴られ、セドリックは一気に青ざめた。
「ご、ごめ……もうしわけありません……」
涙目で俯く姿に、わたしは既視感を覚えた。
ああ――そうだわ、こうしていつも、両親はわたしの言葉を封殺してきた。
ふふ……可笑しい。自分が怒鳴られていたときは反論できなかったのに、一歩外に出て、客観的に見てみたら……笑っちゃうくらいに理不尽、なんて滑稽なの。
キュロス様も同じように思ったらしい、クスクス笑いながら、セドリックの頭をポンと撫でた。そしてわたしの前に跪き、手を取って……
「マリー、本当に綺麗だ。……初めて会った日から今この瞬間、そしてこの命が尽きるまで、君を心から愛している」
「わ……わたしもっ」
わたしは思わず頬を染め、彼の胸に飛び込んだ。ぎゅーっと抱きしめると、キュロス様はわたしの頬にキスをする。照れ笑いしながら、わたしからもお返し。何度かそれを往復させて……最後に唇を重ねた。
これには父も、半信半疑みたいだった母も絶句せざるを得ないだろう。こんなもの演技だ、なんて言えるわけがない。見ればわかるわ、だって、本当にただ心のままに、いちゃいちゃしてるだけなんだもの。
唇を離したわたしたちは、お互いの腰を抱いたまま、男爵夫妻を振り向いた。
「――これで、俺達二人が本当に」
「愛し合っていると信じてくれました?」
二人はしばらく呆然として……やがて同時に、ものすごく嫌そうな顔をした。
「さあさあ男爵夫妻、中へとどうぞ! 婚約式会場はサロンを抜けた先、園庭となっております。道中の景色もどうぞお楽しみください」
ぽぽぽぽんっとまた花火が上がる。手花火を炸裂させた『少年』は、高らかに両手を広げた。
「お、おぉ……?」
使用人達に後ろから押されるように、入城した両親。わたしはキュロス様と並び、前を歩きながら、時々こっそり振り向いた。母はとにかく仏頂面、父は隙あらば逃亡しようと目をぎらつかせていた。しかし二人とも、歩き進むうちポカンと口が開く。
グラナド城のありとあらゆる所が、色とりどりの花や財宝で飾り立てられていた。もとは簡素な城塞といえど、白亜の城には趣がある。庭の花と、グラナド商会の倉庫から一部商品を出して飾っただけで、楽園のような景色になった。
園庭に抜けると、また絶景が広がっている。見渡す限りの花園に、純白のクロスが敷かれたテーブルが並んでいた。卓上には山ほどの花と古今東西の美食が並び、どこに視線をやっても絶景、また絶景。
立ち尽くす両親に、スススッと近づいてきたのは料理長、トッポである。
「ようこそグラナド城へ、マダム。お昼時だもの、お腹すいたでしょ?」
「えっ?」
母は振り向き、すぐにボッと赤面した。目の前にいる、長身細身の男から慌てて顔を背け、扇で隠しぼそぼそ呟く。
「えっ、えっ。あ、あなたがこの城の料理人? ……なんて……美しい顔……」
トッポは穏やかに微笑んだ。
「お褒め頂き光栄です、マダム。……ちょっと最近、痩せただけですが」
「そ、そうなの……ああ声まで素敵」
「さあお好きな料理をお好きなだけどうぞ。はいこれお皿、はいちゃんと持ってねマダム、食前酒にロゼはいかが?」
半ば無理矢理持たされたグラスに、恐る恐る口を付けるお母様。
「おいしい……」
「さあどうぞ、ご堪能ください。今日のー良き日ー!」
声高らかに叫びつつ、去り際に、テーブルの皿からテリーヌを盗んでいった。
父の皿には使用人達が入れ替わり立ち替わり、問答無用でドサドサ料理を載せていく。事前に打ち合わせたとおり、好物の肉料理ばかり。実はぜんぶ試作品……トッポが不安がっていた、初挑戦の異国料理や本番で出そうか迷っていたものなんだけど……それでもトッポの料理だもの、絶対美味しいには違いないのだ。
「ふん、こんなもの!」
父は鴨のコンフィに齧り付いた。その直前までいかにも嫌そうな顔をしていたが、頬張った瞬間、眉毛が垂れる。
「――うまっ、い、いや不味いっ! この程度ならシャデラン領の安食堂でだっていくらでも、食べたことがない……なんだこのソース……」
以降、黙って二本目を食べ始めた。




