わたしが決めていいのですか?
ベッドのへりに座るわたしを、四人が取り囲む。
少し前のわたしなら委縮して、顔を上げることすら出来なかっただろう。だけどわたしは背筋を伸ばし、アナスタジアの話の要点をまとめ、お話しした。
彼らは一様に渋面になった。言葉を選び、押し黙ってしまったのを、わたしから切り出す。
「姉の話を聞いて、理解しました。キュロス様たちのおっしゃる通り……確かに、父は、罪人です」
「……ああ」
「罪状としては、公的文書の偽装……届け出もなしに大事な書面を代筆させたこと。すなわち、領主としての職務放棄。および領地の経営、領民管理の失政。福祉の不履行。総じて、領主としての職務怠慢――俗っぽく言うならば――税金泥棒、ですね?」
ククッと笑い声をあげたのは、リュー・リュー夫人。小馬鹿にするというよりは、あきれ果てて笑うしかないという顔だ。
「さすが。ここに来てまだ自分たち姉妹への虐待だって言ったらどうしようと思ったわよ」
「それだって許せることではありませんよ。どんな理由があろうとも」
反論したのはミオ。わたしは頷いた。
「ええ、そうね。この城にくるまで、父の罵倒や冷遇は、すべてわたし自身に原因があると思っていた。わたしが醜いから、可愛げがないから――そう言い聞かされるのを、信じていた」
「それは嘘です。男爵は娘に勉強と仕事をさせるために、『女性としての価値』を奪ったのでしょう。優れた素養があると分かったうえのこと。だからこそ、家から出たいと言い出さないよう、無能だ役立たずだと罵っていたのです」
リュー・リュー夫人が爪を噛む。
「ただ嫌って虐めていたってのより質が悪いわ。子供をなんだと思っているの……!」
「……わたしは、自分が役立たずだから、家事や父の仕事を『一部』、手伝っているだけと思っていました。父は立派な領主で、わたしはそのお世話になっているばかりだと……」
ウォルフガングが、恐れながらと前置きしつつ、分厚い紙束を差し出した。
「この二十年ほどの、シャデラン領の経常収支を調査させていただきました。十四年前……サーシャ様が生きておられた頃は黒字。その直後に赤字転落。これは戦後、王国の科学が発展したために、二次、三次産業が盛んになり、小麦や肉牛といった一次産業生産物の単価が極端に下がったのが要因でしょう」
「まあ、それはしょーがないわよね。同じようにどこの農村も厳しくなってるし、てんやわんやになった貴族はいっぱいいるもの」
「しかしグレゴール・シャデラン様は、その対策としてただ税金額を倍増させただけでございました。結果はもちろん逆効果、離農が続発、人口の減少で赤字は悪化。立て直しのため国から借金をしたにも関わらず、これといって策を弄したわけでもなくただ食いつぶし……」
「しかし六年ほど前から、徐々に持ち直していきました」
ウォルフガングを、ミオが継ぐ。彼女もやはり紙束をめくりながら。
「諸外国から移民を誘致することで、労働人口と納税者が増えたのです。同時に、彼らの母国と外交、丁寧なやりとりを重ねることで、国産品より安く原料を仕入れたり、王都よりも高く買い取らせる貿易ルートも確立。現在も黒字とまでは行きませんが、借金は返済が進んでいるようです。やっと領主らしい仕事が出来ているとして、国は様子見態勢に入っていますね」
……どう言ったらいいか分からなくて、とりあえずわたしはおずおずと、片手をあげた。
「あの……それはたぶん、わたしが……」
「はい。大使館に保管されていた書類を確認いたしました。異国語で書かれた書面は、サインこそグレゴール・シャデランの名でしたが、筆跡はすべてマリー様のものでした」
「す、すべてっ?」
と、いう素っ頓狂な声はアナスタジアが上げた。わたしは、もしかしてとは思っていたけど、改めて言われると内心、驚いていた。思わず大きな溜め息が出る。
「申し訳ありません。家族の名を騙るのが、罪になるとは知らなかったのです。……良くないことなんじゃないかとは、思っていたのですが……」
「マリーは悪くない。その仕事をさせられたのは、十二の年からだろう。教えられなければ罪と知らないし、知っていても、断れる状況じゃなかったはずだ」
キュロス様が庇ってくれる。わたしは、まっすぐに彼へと向き直った。
「はい。正直に申し上げて、ちっとも自分に非があるとは思いません。それでもわたしは裁かれますか?」
「させるものか!」
「させないわよ!」
グラナド母子の言葉が重なった。
「そんな不条理が通ってたまるか! 君だからというだけじゃない正義のためでもない、人間として、どんな手を使ってでも必ず君は護りぬく」
「ていうかもうすでに手は打ったわ。男爵とマリーさんの文字を合わせて鑑定して、マリーさんに筆跡を似せる意思が無かったと認定した。当時の年齢のことを考えても、明らかに、男爵が家族の代筆の申請してなかったのが悪いってだけよ。心配ご無用っ!」
「経営不振に関しても、男爵の時代に落ちぶれて君が代わってから上向きになったというのを明確な事実としてデータ化した。これで君が責められたら、ディルツに司法など無いに等しい。グラナド商会ごとイプスに亡命してやる!」
ハイテンションな二人の口上にデジャブを感じ、わたしは思わず笑ってしまった。深々と頭を下げて、ありがとうございますと感謝した。
「それで、父の罪はどうなるのでしょう。代行の申請なく娘に押し付けていたというのは悪質ですが、結果的に持ち直していたならば、シャデラン家の役目は果たしていたとお目こぼしをもらえるでしょうか」
わたしの問いに、四人は顔を見合わせた。言いづらそうな表情で、すべてを悟る。わたしは再び嘆息した。
「――わたしが家に戻れば、ですね……」
「そう。つまりは、君の意思次第ということだ」
キュロス様が言う。精悍な眉を厳しくしかめて、だけど優しい眼差しで……淡々と、わたしの気持ちに寄り添ってくれる。
「貴族の無能は、重罪だ。一般市民の刑法では量りかねるものだが、領主の職務怠慢、民を飢えさせる悪政は、もはや横領なんて可愛いものじゃない。殺戮そのものだ。……一昔前なら当然断首刑、領民によって、一族が磔にされた……」
「さすがに戦後、そんな物騒なことにはならないと思うけどねえ」
わたしを慮ってだろう、リュー・リュー夫人はあえて軽い口調で言う。
「ま、でも、お家の取り潰しは免れないだろうね。領地を管理できないんだもの。領民のために代わりを置かなきゃいけないし。当然、屋敷も爵位も取り上げでしょ」
「――君はそれを望むか、マリー?」
…………。返事をしかねるわたし。
「君が望むなら、シャデラン家の闇はすべて、なかったことにできる。虐待は親告罪だし、代筆の申請はうっかり忘れていたことにして、自主的に罰金を積めばそれで済む。それから君が帰るなり、この城にいながらシャデランに尽くし続ければ、男爵はこれまで通りの暮らしができる。
君が望むなら、グレゴールの首を切り落とせる。……六年間はすべて幼子の成果、男爵は搾取をしていただけの無能で、職務不履行なうえ児童労働、子供たちへの虐待行為。家族と領民の生活を困窮させながら、自分だけ贅沢をしているのも確認した。領主の地位も、父親になる資格もない。裁くのは助けるよりも容易なことだ」
「……それで、家が取り潰しとなったら、領民はどうなりますか?」
「国がまるごと取り上げるか、どこかの貴族に荘園として与え管理させるだろう。六歳の弟は、こちらで保護をする」
「お母様は?」
キュロス様は口をつぐみ、アナスタジアを見た。わたしも同じ気持ちだった。母を救うのも裁くのも子供の意思――母のことは、姉が決めるべきのように思った。
しかしアナスタジアは、わたしたちの無言の問いかけとは別のことを言った。
チョイと小さく挙手をして、首を傾げながら、問いかけてくる。
「あのさ。あたしずっと、引っかかってることがあって……聞いていい?」
「どうぞ」
「マリーがすっごく働いてて、お父様が怠けてるのはよくわかったわ。だけどなんだか極端な気がするの。その……領地の管理とか、経営手段とかは、難しいんだろうけども……なんで書類くらい、自分で書かないのかしら?」
言われて、わたしも首を傾げた。そういえばその通りだわ。経営と違って、経理は数字を計算して書き込むだけ。手紙や受発注は、相手に読める字で書くだけだもの。手間暇はかかるけど、それこそ十二の子供に出来たことだもの。
男爵位を賜った、貴族の大人の男が、出来ないわけがないこと……。
意見を求めてキュロス様たちへ向き直ると、彼らはなぜか、複雑な表情をしていた。なんというか、頭があんまりにも痛すぎて笑っちゃう、みたいな。
キュロス様は眉間を押さえ、低い声で呻いた。
「そう、むしろそれが一番深刻な罪なんだ。このまま男爵を、婚約式に参列させるわけにはいかないっていう」
「というか、だから来ないんでしょう」
ミオはいつも通りの無表情で、もう馬鹿馬鹿しくなったみたいに肩をすくめた。
「何度も何度も召喚しても無視され続けています、もう確定的に明らかですね。これで婚約式に顔を出されたら、マリー様はもちろん、グラナド公爵家の沽券にも係わります」
「……それも含めて、俺はマリーの意思を尊重したい」
キュロス様はあくまでも、その姿勢を貫くようだった。
「君が、家族の情を捨てきれないとか、いざという時に帰る家が欲しいだとか。あるいは積年の恨みを、なるべく残虐な手段で晴らしたいとか。どの選択をしようとも、グラナド家はそれを叶える。どうなろうとも捩じ伏せてみせる。
俺にはその力があるし、それは君の力だ。遠慮せずにすべてを使え。
――欲しいものを言え、マリー。君の言葉で、君の意思で」
……それは、彼の贖罪なのかもしれない。
わたしは目を閉じ、日々のことを思い出してみた。
三か月前……十八歳の誕生日……あの日から始まった、数えきれないほどのすれ違い、勘違い。そのせいで、わたしたちはたくさんの傷を負った。
キュロス・グラナドは、完璧な男ではない。だけど大きなひとだった。
失敗を恐れず挑戦をして、間違いを指摘されれば相手がどんな身分でも聞き入れる。話し合い、意見をすり合わせようとする。そうしてみんなが良い方へと進んでいくの。
思えば初めからそうだったわ。彼はいつでも手探りだった。物の好き嫌い、何が欲しいのかすら分からないわたしから、小さなワガママを引き出してくれた。
他人の言いなりで、いつでも好きなように出来たはずのわたしに、彼は何も求めることなく、優しい愛を与えてくれた。
それはとても長い時間、無駄な回り道をした気がするけど……欠かすことのできない、必要なことだったんだ。
「……正直に申し上げて……わたしはまだ、真実をはかりかねているところがあります。……分かってもないくせに、キュロス様たちの言うことを鵜呑みにし、悪党に厳罰をと言うだけでは、これまでと何も変わりません」
わたしは背筋を伸ばした。大きく息を吸い込んで、自分の意思を、はっきりと言葉に表した。
「わたしは自らの目で直接、両親のことを見つめ直し、真実を見極め、決断したい。そして彼らに、その罪に相応しい罰を与えましょう。
シャデラン家へ参ります。足の速い馬と、父母を屋敷から引きずり出せる、強い人間を貸してください」
「えっ、殴り込みっ?」
アナスタジアが、なんだか嬉しそうな声をあげる。
リュー・リュー夫人はケラケラ笑い、ミオとウォルフガングは、二人でジャンケンを始めていた。
キュロス様は立ち上がった。精悍な眉をいたずらっぽく跳ねさせて、小さな男の子みたいに目を輝かせる。
「俺も行っていいか?」
「キュロス様も来てくださる?」
キュロス様とわたしの声がぴったり重なる。わたしたちは顔を見合わせ、大きな声で、一緒に笑った。




