表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される  作者: とびらの
ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

86/319

カラッポ姫は生きている 前編

 

 その日、あたしは激怒していた。まだ四歳の妹、マリーが熱を出した。しかし両親は言ったのだ、「おまえは部屋に入ってはいけない、医者が寝てれば治ると言った、放っておけばいい」だって。


「いいわけあるか!」


 水桶を運びながら、一人で叫ぶ。あの子はまだ四歳よ、熱くて苦しくて、一人じゃ不安に決まってるじゃないの!

 水桶の次は、あたしもマリーも大好きな本……『ずたぼろ赤猫ものがたり』を持ち込んだ。大きな声で朗読すると、マリーは笑った。良かった……と、思ったその時。


「アナスタジア、何をしている? マリーの勉強の邪魔をするな!」


 サーシャお祖母様に叩かれた。お祖母様は、いつもこうしてマリーをヒイキにするの。きっとあたしが嫌いなんだろう。だけど、叩かれたのは今日が初めてだった。

 あたしは泣かなかった。ただ激怒して、ママの所へ走っていった。ママはいつも、あたしをかわいいかわいいと褒めてくれる。きっと、お祖母様の折檻を怒ってくれると思ったの。

 案の定、ママはあたしの腫れた頬を見て激高した。


「マリーがやったの!? なんてこと! いくら熱で魘されてるからって」 

「マリーじゃないわ、お祖母様よ」


 そう言った途端、ママの顔が曇った。


「サーシャ様が? ……そ、そう。……じゃあ、仕方ないわね……」

「……ママ?」


 どうして目を背けるの? なぜあたしを慰めて、キスをしてくれないのだろう。

 そこへちょうど、お父様がやってきた。お父様は、あまりお祖母様と仲良くない。きっとあたしと同じように、お祖母様を非難してくれるはず……。


「母上が言うなら、そうなのだろう。確かに、マリーは母上の教えをすぐに覚える。賢い、優秀な子だ」

「あ……あたしは? お父様、あたしだってイプス語の本が読めるわ!」

「母上は何と?」

「お祖母様は……あたしは適当に訳してしまうから、マリーの勉強の邪魔になるって。あたしのこと、馬鹿って言った……」


 お父様は、フムと頷いた。まるで当たり前みたいに、簡単に。


「母上が言うならそうなのだろう。アナスタジア、お前はもう本など一切読まなくていい」


 そうして背中を向けてしまった。


 ……内気で優しいマリーなら、黙って従っただろう。でもあたしは納得しなかった。ますます怒っただけだった。

 ――いいわ。誰も助けてくれないなら、自分の手で殴り返す! 殴り込みよ! 両手両足をぶんぶん回しながら、のしのし歩く。さっき叩き出されたばかりのマリーの部屋へ飛び込んだ。

 男爵令嬢として育てられたあたしには、罵倒の語彙がない。知っているのは外国の本、やさぐれた野良猫の口上だけだ。頭に彼を思い浮かべながら、扉を開けて、叫ぶ、


「このやろばばあ、しろくろつけよぉーじゃあねえか!」


 と――唇を、人差し指でぴたりと押さえられた。サーシャお祖母様だ。その肩の向こうには、ベッドで熟睡しているマリーが見えた。


「やっと眠ったところです。もう起こさないように」

「……う、うん……」

「感染する可能性のある病です。アナスタジア、看病はわたくしに任せなさい」


 サーシャお祖母様は、するりと抜けるように廊下へ出ると、音を抑えて扉を閉めた。何も言わず、すたすた歩き始める。

 あたしはそのあとを追いかけた。お祖母様は自室へ戻ると、何か、事務仕事を始めた。大量の紙束にざっと目を通したら、サインを入れる。あたしは何となく、その手元を覗き込んだ。


「……色んな国の言葉がある……」

「色んな国のひとに送っていますからね」


 返事が返ってきたのは意外だった。


「グレ、ゴール……。これってお父様のお名前だわ」

「本当はいけないことですよ」


 手を止めないまま祖母は言う。


「これは公的文書と違い、代筆が違法ということはありませんけれどね。文字には、書くひとの心が現れる。それを、他人の名前で語ってはいけません。受け取る相手にも、名を書かれた人間にも騙る書き手にも、全員にとても失礼なことです」

「じゃあなんでお父様がやらないの?」

「人間には生来の、向き不向きというものがありますから」


 答えになっているような、いないような。首を傾げたあたしの頭に、ぽんと、手が置かれた。


「姉妹にもね。……マリーは根が真面目で、素直な子。記憶力に優れ、違和感があればすぐに気が付き、改善が早い。教えたことをそのままよく吸収し、効率化して使いこなせます」

「…………そうね」


 しょんぼり、唇を尖らせて俯く。頭の上に載った手が、左右に動いた。もしかして撫でられた? 驚いて見上げたけど、祖母は片手での作業を続けていた。


「アナスタジアには発想力と、創造性があるのでしょう。何もないところから何かを生み出し、今あるもので特別な遊び方を思いつく……マリーにも、わたくしにもない才能です。作家にでもなればよろしい」


 これは……褒められたのだろうか? 声はいつも通りの厳しさだから、よく分からない。だけどなんだかすごく照れくさくなって、あたしは顔をくしゃくしゃにした。祖母はあたしのことが嫌いかもしれないけど……あたしはおばあちゃんのこと、嫌いじゃなかったんだ。


 膝に乗りたいな。いきなり乗ったら怒られそう。お願いするタイミングを見計らい、あたしは祖母の周りをうろうろしていた。祖母はただ黙々と作業を進め――。


「――ゴボッ」


 突然、血の塊を吐いた。


 あたしは悲鳴を上げ、両親に報せようとした。駆け出した腕を、後ろから掴まれる。


「――だ、いじょうぶ。報せなくていい……」

「で、でも!」

「大丈夫……もう、手遅れだから」


 言葉の意味は分からなかった、けど、掴まれた手の握力から、あたしは悲しい未来を理解した。祖母はなおも咳き込みながら、レースのハンカチーフで血を拭い、また何事もなかったかのように仕事をする。口の端についた血など気にせずに。


「わたくしの生きた時代には……貴族の女が、向き不向きで人生を選ぶなんて出来なかった。孫世代にはどうか――あなたたち姉妹は――それぞれの特技を活かして、好きな仕事をしてちょうだいね」


 サーシャ・シャデランが亡くなったのは、この二ヶ月後のことだった。

 持病のせいだと医者は言った。やはり、患っていたこと自体を知らなかった両親は、急のことに呆然としていた。


「――なんてことだ。これからうちはどうなるんだ……!」

「――なんてこと。サーシャ様。サーシャ様がいなくなってしまったなんて……」


 二人ともが同じようなことを言っていた。……けど。その様子は、お父様とお母様で、少し違ったの。

 お父様は、大量の汗を掻いて困っていた。

 お母様は、涙を流して悲しんでいた。


 そして二人ともが、マリーの部屋に飛び込んでいった。

 父は尋ねた。


「マリー、母上からは、いくつの言葉を教わった? フ、フラリア語は読めるか!?」


 母も尋ねた。


「おまえがサーシャ様を殺したの? この間の病を、サーシャ様にうつしたでしょう!」


 まだ祖母の死を理解もしていなかっただろう……可哀想に、幼いマリーはただきょとんとして、両親を眺めているだけだった。


 物覚えが良いと言っても、まだたった四歳のマリーに、多くのことができるわけがない。王国語の読み書きとイプス語の聞き取り、フラリア語は単語程度しか知らないと聞いて、父はまた血相を変えて出て行った。


 母はしばらくマリーを責め立てたけど、マリーはもちろんあたしだって意味が分からなかった。マリーが風邪をひいたのは二ヶ月も前、サーシャお祖母様の病は、風邪とはなんの関係もないものである。だけどその日から、母はマリーと話さなくなった。

 マリーは、ずいぶんと困惑したようだった。お母様は前からあたしをヒイキにしている気はしたけども、マリーを嫌ってはいなかった。この赤毛が金髪だったら、このそばかすが無ければと呟きながらも、ちゃんと可愛がっていたと思う。

 突然拒絶されたマリーは、母のぬくもりが恋しかったのだろう、なんとか気をひこうとしていた。花を摘んで渡したり、笑顔のお母様の絵を描いたり。使用人の仕事を手伝って、大変な家事をやってみせたり……アピールは、それから何年も続いた。それでも、母親は邪魔そうにするだけだった。


 ――一度だけ、ふと母親の目が優しくなったことがある。


「お母様、聞いて。わたし、フラリアの本を一冊、自分で読めたの。お父様がこれで遊べって、玩具と取り替えっこしたの」


 そう言って、分厚い本を差し出すマリー。母は手を伸ばし、マリーが持つ本の表紙を撫でた。


「……これは、サーシャ様の本ね」


 それだけ。マリーのことを褒めも、撫でもしなかった。それでもマリーは顔を輝かせて、


「声に出して読むことも出来るの。とても面白いお話だったのよ、聞かせてあげるね」


 その場で本を開き、朗読を始める。母はあたしの髪を編み込んでいた。髪飾りを差し、ドレスを着せ替えて、紅を乗せると、黙って部屋を出て行った。

 ……聞くひとがいなくなってからも、マリーは最後までその本を読み上げた。


「マリー、学校へ行ってみたくないか?」


 父がそう言ったのは、マリーが十二歳になったとき。


「経営学の基礎に加え、いくつもの国の言葉を学べる。留学生との交流会もあるらしい。色んな外国人と楽しくお喋りが出来るぞ。遊びに行っておいで」


 マリーはその時、ちょっと嫌そうな顔をした。内気で人見知りの少女にとって、ずっと年上の外国人はただ怖いだけだ。しかしお父様が珍しく、優しく語りかけたせいだろう、こくんと頷く。それから心配そうに見上げた。


「でも……勉強するのに、たくさんのお金がかかるのではないですか。……もう、馬車も宝飾品も売りはらってしまったでしょう」

「心配いらない、なんとでもする」

「でも、庭師がもう二か月、お給料をもらってないって。お父様に言っても金がないからの一点張りだって。ねえお父様、わたしたちの好きなものより先に、ひとに渡すべきお金があるのでは――」

「黙れ! 私の経営に口を出すな!」


 急に怒鳴られ、マリーはすくみ上った。


「……ご……ごめんなさい……」

「私はお前のために言っているんだ。マリー、お前は……可愛くない女だからな」


 マリーは、絶句した。母親から可愛がられていないのは分かっていた。姉より背の高い自分が、可愛げがないのも承知していただろう。それでも、父親から「可愛くない」と言われたのは……これが初めてだった。


「ぱ、パパ……?」


 あたしも驚いてしまって、非難の目を父へ向けた。父は少しだけ、気まずそうにしていた。背を向けて吐き捨てる。


「マリーは、家族の悪い所どりをした娘だ。アナスタジアと違い、誰からも可愛がられず、結婚もできない。社交界に行ったところで嗤われるだけだろう」

「……は……はい……」

「だからせめてこのシャデラン家で、私の経営を手伝いながら暮らせばいい。――醜く、生意気な女がひとりで生きていくなど絶対に、不可能だ。死んでしまうんだ。私は、お前のために言っているんだぞ」

「はい……」

「……学費は……そうだな、確かに、無駄遣いはよくなかった。忠誠心もない、無能な使用人達を解雇しよう。お前が家事をすればいい」

「えっ。は、はい。……はい」

「当座の支度金は、お前の服を売ろう。勉強には不要だ。わずかな木綿の服で着まわせばいいだろう」

「はい」

「分かればいい。そう、私の言う通りに従って、反論などせず傅いていれば、少しは可愛げが出るものだ――」


 それから……マリーの生活は一変した。

 早朝から、煤だらけになってパンを焼き、重い教科書を背負って走り、帰宅してすぐに家事と復習。くたくたになって、睡眠をとるのがやっと。艶やかだった赤い髪も、数少ない木綿の服も……十二歳の少女も、あっという間にずたぼろになっていった。

 それでも、マリーは逃げなかった。

 働いて、学んで、走り続ける。そんな生活が六年……たった一度も……マリーは弱音なんて吐かなかった。


「あの子はあれでいいのよ」


 ママが言う。この頃には、ママは全くマリーに手を触れなくなっていた。


「あの子は好きでああしてるの。綺麗な服にも、男の子との恋にも興味がなくて、趣味の勉強が何より大事なんだわ」

「……家事や、パパの仕事を手伝うのも?」

「そうよ。大変なときはあるでしょうけど、自業自得。だって可愛くないんだもの。むやみに背が高くて愛嬌が無くて……あの赤い髪! まったく、サーシャ様に似ていない」


 ママはマリーに触らない。その代わりに、あたしを溺愛した。

 あたしがマリーを手伝ったり、お古のドレスを分け与えようとすると激怒した。せっかくの美貌に傷がついてはいけない、おまえはあの子とは違うのだからと。

 毎日あたしの部屋に出入りして、あたしを着替えさせ、髪をブラシで()きにくる。そして毎日、マリーの悪口を言う。アナスタジアは、どうかあの子のようにはならないで、と。


「ああなんてきれいな金髪……青い瞳も白い肌も、サーシャ様にそっくりで。……まるで、生きているみたい……」


 ……ママ。あたし、生きてるわ。



 十五歳になる頃には、ママとパパは、あたしの嫁入り先を必死で探し回っていた。美しいお前に相応しい男を、自分たちが探してあげると言って、あたしを部屋に閉じ込めて……。

 日焼けを禁じられ、閉ざされたカーテンの向こうでは、マリーが今日も働いている。教科書を片手に走り回って、出入り商人と交渉し、お父様の仕事を手伝って、男のひとみたいに重たいものを持ち上げているだろう。

 マリーには、やるべきことがいっぱいある。

 あたしには……なんにもない。


「……うらやましい」


 分厚いカーテン越しに呟いた。

 うらやましい。あたしもマリーみたいに、きりりと凛々しい大人になりたい。あれこれと依頼を受けて働く、かっこいい人間になりたい。


 汗を垂らし、働いているマリーを見ると心臓が痛くなる。あたしはいつしか、マリーとほとんど話さなくなっていった。

 それはひどく退屈な生活だったけど、ひとつだけ、あたしは趣味を見つけていた。

 自分の理想の女性……気高く凛々しい女傑をイメージした、男装服の制作だ。古着から寄せ集めた生地や釦ばかりだけど、だんだん形になってきた。


「うん。素敵」


 完成品を前に惚れ惚れする。いつかこんな服が似合う、かっこいい大人になりたい――そう思って作り始めた服は、いつだってマリーのサイズ。

 だってあたしが、そんなふうになれるわけがないもの。



 わたくしの前に、男たちがずらりと並ぶ。


「お初にお目にかかります、アナスタジア様。かねがねお伺いしていた噂の通り、いやそれ以上にお美しい」

「ありがとうございます」

「どうか私とダンスを。そのためだけに、運河を越えて参りました」

「ようこそシャデラン家へ。卿はどちらからお越しで? おお南真珠貿易の跡取り……」


 

 彼らはみんな、同じような言葉をかけてくる。同じような返事をし続けるあたしの横で、両親が同じことを言い続けている。

 その日はマリーの十八歳の誕生日だったけど、そんなことは関係ない。

 今日は、わたくしの『セリ』の日だ。


 わたくしは、商品。見た目だけが取り柄で何の役にも立たない娘は、そうして売りに出しお金に換えるしか価値がない。

 わたくしは、人形。持ち主の手で着飾られた作り物。中身はカラッポのお姫様。


 ……仕方ないのよ。わたくしには『可愛い』だけしか無いのだから。


 パーティ会場にマリーの姿はない。こういった華やかな場が嫌いで、恋に興味のないマリーには退屈で仕方ないからだろう。……わかるわ。いいな。うらやましい。

 許されることならばわたくしも、今すぐここから飛び出したい。


 うらやましくて、うらめしい。大嫌いで、大好き。

 わたくしの可愛い妹、マリー。わたくしはこうして『買われて』いくけども、どうかあなたは、あなただけは、好きに生きて頂戴ね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
妹への感想に、『大嫌い』とありますが、これまでの流れから羨ましいからの嫌悪感は、持ち合われていないと思うのですが。
[気になる点] お母様は行き過ぎたファン、と考えると納得ですね お父様がマリーを逃がさない、と決めてからズタボロ扱いが始まったのはわかりましたが、幼少期から扱いがそれなりに酷かったのはなぜなのでしょう…
[一言] サーシャ、いくら秀でていないと思っていても息子(当主)自身の手でしなければならないことを教えなかったのか…なぜ…そばにおいて手伝いすらさせず… マリーの良さもアナスタジアの良さもわかっていな…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ