落ちていた者と拾う者
食堂へ戻ると、ルイフォン様はニヤニヤ笑ってわたしたちを眺めていた。十年来の親友に、そんな風に見られるのは小恥ずかしいらしい、キュロス様は仏頂面。ぶっきらぼうな様子で、指輪を返そうとして……ふと手を止めた。
手の中の指輪を、改めてまじまじ見下ろす。
「……素晴らしい細工だな。石が最高の品だから、土台はシンプルでも良いかと思っていたが……よく出来ている」
指で摘まみ、天に掲げてくるくる回す。わたしもつられて、指輪の造形を注視した。
大粒のレッドダイヤモンドを、細い金属が縁取るデザインは一見簡素なようだけど、細やかな細工が施されている。白銀色の蔓は、赤い石の輝きを決して邪魔せず引き立てて、とても華やかなのに、嫌な威圧感はない。豪奢で繊細で可愛らしい……本当に、素晴らしい意匠だった。
これってあの宝石商、ジョバンニが作った物なのかしら。キュロス様に尋ねると、首を振る。
「いや、ジョバンニの店はあくまで販売店。普通は専門の加工職人に外注する。……しかし驚いたな。これほどの細工が出来る職人は、この国にはもういないと思っていた……」
「もういない――技術が廃れてしまったの? もともとディルツは、こういう宝飾品、ファッションの文化が遅れているといわれているけど……」
「そう、だからイプサンドロスの品が高く売れる。ただ一人、王国の職人街にも腕利きの男がいたんだが……」
そこで、彼は眉をひそめた。心底残念そうに嘆息する。
「年を取って、二年ほど前に引退してしまってな。惜しいひとを失った」
「それって釦屋スミス・ノーマンのことかい?」
ルイフォン様が問う。キュロス様はキョトンとなって、友人を訝しんだ。
「お前も知っているのか。そんなに目立つ店ではなかったと思うが」
「もちろんさ。釦屋ノーマンは、王宮や騎士団でも御用達だよ」
「釦屋なのに、指輪を作るの?」
わたしの質問に、キュロス様が丁寧に答えてくれる。
「釦というのはもともと宝飾品だ。古くは石や貝を削り出したり、硝子や宝石を使ったり。ブローチの亜種だな。飾り彫りの専門家だよ」
「あっそうか……なるほど」
「同時に洋装の仕立て一式も行ってる。服に合わせて釦を、釦に合わせて服を作るからな」
「そうそう、騎士団長の礼装はノーマンの仕立てだよ。ノーマンは東部に出兵し、捕虜となって長年労働したそうでね。イプスの金糸刺繍が出来るんだ」
へえ……本当にすごいひとなのね。
ついこの間までずたぼろの作業着を着ていたわたしには、まったく分からない世界だけど、お洒落は貴族の嗜みのようなものだ。うちは貧しかったけど、それでも両親たちは精一杯着飾っていた。もちろん、アナスタジアも――いや彼女は、特別に……。
俯いたわたしの横で、お洒落な男性二人が盛り上がる。
「彼の引退は本当に残念だ。彼が現役なら、この指輪も頼みたかったのに……」
「うんうん。それだけの意匠が施せるのは、スミス・ノーマンの他にいないだろうね」
「ああその通り。この指輪だって、ノーマンでなければ――」
そこで、キュロス様はピタリと動きを止めた。わたしも違和感を持って、ルイフォン様を振り向く。……タチの悪いイタズラと、癖の強いイジワルが大好きな王子様は……揃えた手指を口元に当てて、「ぷっ、くすくす」と分かりやすく笑って見せた。
それでもキュロス様は怒りなどしなかった。自分の手にある指輪と、笑う友人の顔を何度も見比べ、理解して、声を跳ねさせる。
「まさかこれ、スミス・ノーマンが? 本当にっ!?」
ルイフォン様は、とうとう耐えきれなくなったのか腹を抱えて大笑い。
「そう! これが本当の、僕からの贈り物。隠居していたところを訪ね、頭を下げてお願いしたんだよ、この僕が! これはもうちょっとした天変地異だよ、心の底からありがたがりたまえキュロス君」
いつも以上に大仰な話し方は、キュロス様に「恩着せがましいぞ」と叱られるための照れ隠しだったのかもしれない。だけどキュロス様は怒るどころか笑いもせず、指輪を見つめていた。
……どうやら感極まっているらしい。
ルイフォン様は、拍子抜けしたように苦笑い。そんな彼に、わたしからお礼を言おうと口を開き――ちょうど、キュロス様の言葉が重なった。
「しかし、一体どうやって? ノーマンは確かに二年前、もう細工物は出来ないからと、王都を出ていったはずだ」
「故郷まで訪ねていったんだよ。作業が無理でも、デザインだけなら出来るかもしれないと思ってさ」
「……これは、ノーマンの手の仕事だ」
指輪を見つめて、キュロス様はきっぱり言い切った。
「……ノーマンが引退したのは老いではなく、治る病か怪我のせいだったのか?」
「さあ? もしかしたら心の問題だったかもね。最初に訪ねたときは、無理だ無理だで頑なだったもの」
――と、そこでふと、ルイフォン様は虚空を見上げた。思い当たることがあったらしい、「そういえば」と、呟くように続けた。
「あの子が、心境の変化になったのかも……。最初は、デザインすら本当に無理だと言っていたのに、しばらくすると自分から、金属加工までやらせてくれって言い出した。もしかしたらあの子が、ノーマンにハッパをかけてくれたのかもな」
「あの子?」
「ああ、二度目に訪ねたとき、彼には弟子が出来ていたんだよ」
「弟子っ!?」
今度こそ、キュロス様は歓声を上げた。わたしも思わず、横でクスッと笑い声が出てしまう。
この素晴らしい指輪への入れ込みは、わたしへのプレゼントや、婚約式で使うものだからじゃなくて、彼自身の趣味なのね。キュロス様はもともと、とてもお洒落なひとなのだ。本当に嬉しそうなキュロス様に、わたしまで嬉しくなってしまう。
スミス・ノーマンの後継者が現れたことを、彼は心から喜んでいた。
「じゃあもしかして、これも弟子が?」
「いやあ、さすがにそれは。その子、まだ全然素人だよ。だって弟子入りしたのはついこの間――ええと、キュロス君が、シャデラン男爵令嬢との婚約が成立したって、夜会でぴょんぴょんしていた頃にはまだ……うぎぎっ何をするんだやめたまえよ」
途中から、キュロス様に首を絞められながらも、平気な顔で話し続けるルイフォン様。
三ヶ月前……だったら、キュロス様が求婚したのは、わたしではなく姉だ。手紙の婚約を成立させたあと、姉はしばらく自宅で、花嫁修業に明け暮れていた。ルイフォン様が指輪を探し始めたのはその時期だろう。
そしてそのあと……わたしの代わりに馬車に乗って……運河へ……。
頭の中に、濁流に沈むアナスタジアの姿がよぎる。反射的に涙がこぼれそうになり、わたしは慌てて頭を振った。いけない、今は楽しい時間だ。キュロス様が喜んでいるのに、隣で泣き出すわけにはいかなかった。
そんなわたしの様子に、キュロス様は気が付いていたのだろう。雰囲気を変えようと、とても明るい声で、ルイフォン様を振り向いた。
「それにしても驚いたな、ノーマンが弟子を取るとは。儂の技術は誰にも渡さん、と頑なだったのに。いったいどういう経緯だろう?」
ルイフォン様は、答えた。
「捨て子だか、迷い子だったらしいよ。――ちょうど三ヶ月前。故郷からこの王都に来る道中で、落ちてたのを拾ったんだってさ」
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