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ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される  作者: とびらの
ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される

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アナスタジアの姿を求めて

 コンコンッ、と軽いリズムで扉がノックされる。


「はぁい」


 と、わたしが返事をするとすぐ、ミオが立ち上がり、来客を出迎えた。

 開いた戸の向こうにいたのは、リュー・リュー夫人。部屋の中を見て、アラッと怪訝な声を上げる。


「どうしたの、マリーさんの部屋に大勢で集まって」


 大勢と言っても、わたしとミオ、チュニカ、それからキュロス様の計四名。広い部屋なので狭苦しくもない。

 母親に向かって、キュロス様は自身の黒髪を摘まんで見せた。


「この間、市場に出かけた時に、マリーが髪留めの飾り布をくれた。そのままでも使えるが、マリーがもう少し手を加えるというのでな」

「それで、あんたは何やってんの?」

「作業を見守っている。マリーが針で指を衝いたらすぐ治療できるようにと待機中だ」


 つまりは何もしていないということだけども。言葉の通り、キュロス様は温かい目でわたしの手元を見守っていた。


 上質なシルクの生地に、エメラルドの粒を縫い付ける。さらにそのフチを、周りに合わせた金糸で刺繍し、飾る。


「できたっ」


 そう言った瞬間、キュロス様は椅子に座ったまま、くるりと背中を向けた。わたしに結んでほしいらしい。わたしは笑ってしまいながら、婚約者様のお望み通り、手指を黒髪へ差しこんだ。


「わ……キュロス様の髪、すごく綺麗ですね……」


 正直な感想をそのまま言うと、隣にいたチュニカがフフンと鼻を鳴らして、胸を張る。


「この城の住人はみんな、このチュニカさん特製のトリートメントを使っておりますからねえ。老若男女、サラサラつやつやですよぉ」

「ああそういえば、トッポもいつも良い匂いがするものね」

「あれは食べ物の匂いでしょう」


 チュニカの横で、ぼそりと言ったのはミオである。


「おかげですれ違うたび、私はお腹が空いてしまって面倒です」


 あはは、それはたいへんだわ。

 わたしの部屋の、大きくはないティーテーブルを囲む二人もやはり、何もしていない。わたしがキュロス様の髪を結ぶのを、ただ静かに眺めていた。

 う……なんか、そんなに見られたらなんだか恥ずかしくなってくるんだけど。

 リュー・リュー夫人が笑い声を上げた。


「なぁに、なんだか初々しいわねえ。政略結婚の婚約者というより、出会ったばかりの初恋カップルみたい」

「正真正銘、それで合っている」


 きっぱり言い切るキュロス様。情熱的な台詞はいつも通りだけど、母親の前だと照れがあるのかしら? なんとなく早口になっていた。


「それよりリュー・リューこそ、急ぎの用事か? でなければ少し待ってくれ」

「まだ何かあるの?」

「授与式を執り行う」

「そ、そんな大げさなものじゃないんですけどっ!」


 わたしは慌てて、膝に置いていたポーチから、貝殻で出来たブレスレットを三つ取り出した。これも市場で買ったもの。まず一つはわたしが着けて、一つをチュニカに、もう一つをミオに差し出した。


「ほんとに大層なものではないんだけど、お揃いで買っちゃったの。でも紐が少し弱かったから、頑丈な天蚕糸(てぐす)に通し直して……チュニカのは、水がたまる形のものを取り除いたわ」

「わあーっ、ありがとうございますうっ。可愛い!」

「それからミオは、長袖の裾を擦らないように、貝殻の角を削ってみたんだ。どうかしら?」

「私にですか?」


 ミオは、いつもつぶらな青い瞳をパチクリさせて、わたしの顔をまじまじ見つめた。うん? と首を傾げるわたしに、淡々と、言い聞かせてくる。


「……失礼ながら、マリー様はご実家から持ち出した現金はほとんどなく、先日のお買い物は、グラナド家の仕事を手伝って得た報酬を使用したとうかがっておりますが」

「ええ、そうよ」

「それでなぜ、私の物を?」

「えっ? なぜと言われても、お土産。色々見て回っているうちに、城のひとたちにも買って帰りたくなっちゃって」

「……なるほど、確かに、土産を買うのはお出かけの醍醐味といいます。畏まりました。しかしまだ納得がいかないことがございます」

「はい、なんでしょう」

「そうして買い物を楽しんだあと、この私の生活スタイルに合わせるために、さらなる加工にご自身の時間と労力を使われたのは何故――」


「いーからもらっとけーっ」


 とうとうと話すミオの後ろ頭を、チュニカがスパンとひっぱたいた。


(いた)

「ミオ様のそういうとこめんどくさーい。私みたいに、キャーうれしーってそのまま喜べばいいんですよぉ」

「あ、あの、ごめんなさいっ。邪魔だったら無理に受け取らなくても良いのよ」


 慌てて回収しようとしたわたしから、ミオは目にもとまらぬ早さで腕を躱した。ブレスレットを庇うようにして胸に抱き、キュロス様を視線で見上げる。

 キュロス様は何も言わず、ただ頷く。そこでやっと、ミオは肩の力を抜いた。


「……頂戴いたします。ありがとうございます、マリー様」


 わたしは言った。どういたしまして、の言葉の代わりに。


「いつもありがとう。大好きよミオ」


 鉄面皮の侍女は、眉を垂らし目を細め、唇を結んで、なんとも言えない表情(かお)をした。


 そんな、妙に仰々しいような脱力するほどほんわかしているような『授与式』を、公爵夫人はクックックと、笑いを噛み殺して眺めていた。


「ふふふ。マリーさんが来てから、うちの使用人たちもちょっぴり、雰囲気が変わったわね」

「そう……でしょうか?」

「ええそうよ。それで、そんなマリーさんにあたしからの贈り物」


 と、夫人は手に持っていた書籍を、わたしに手渡す。表紙を見た瞬間、わたしは歓声を上げた。


「これっ、『ずたぼろ赤猫ものがたり』! すごい! 直してくださったんですね!」

「綴じ紐を新しいのに変えただけよ」


 夫人は謙遜したけども、それは簡単な作業ではなかったはず。古い外国の本は、綴じ方が独特で、わたしにはどうしていいか分からなかったのだ。

 お母様に破られ、くしゃくしゃにされていた紙は丁寧に伸ばされ、バラバラだったページも順番通りになっている。

 しばらく前、リュー・リュー夫人に図書館で遭遇したときに相談し、やってみるわと受け取って頂いたの。それがまさか、こんなに綺麗に修復してくださるなんて。

 わたしは本を抱きしめ、喜びに震えた。


「……嬉しい……大切な本だったんです。ありがとうございます」


 深々と頭を下げる。リュー・リュー夫人はカラカラ笑った。


「そんなに喜んでもらえて何より。あと、用件はもう一つ……まだ渡すものがあるの。はいこれ」


 と、続けて手渡されたのは、まるで箱のような書籍だった。

 とても大きく分厚くて、立ったままではめくれないほどに重い。物語ではない、辞書辞典のたぐいだ。

 表紙の字はフラリア語だった。


「……『世界……偉人録』?」

「あっ、それは俺が頼んだんだ」


 後ろから、キュロス様がヒョイと奪う。

 ミオはすぐに気を利かせ、テーブルからティーセットを取り除いた。チュニカも席を立つ。難しいお話は苦手なので、と退室していった。

 キュロス様は、そうして空いたスペースに本を置き、わたしに言った。


「マリー、君の祖母……先代シャデラン男爵の妻の名は、サーシャといったな」

「えっ? ええ、そうよ」

「旧姓は、ティリッヒ?」


 問われて、察する。わたしが息を呑んだのを見て、キュロス様は、その名が載ったページを開いた。サーシャ・ティリッヒ。果たしてそこに、わたしのよく知る人物が紹介されていた。

 怪訝な声を漏らしたのは、ミオだった。印刷された肖像画を、まじまじと見下ろして、


「……アナスタジア様?」

「いや、その祖母だ。グレゴール・シャデラン男爵の母親。戦後まもなくの本だから、おそらく五十年ほど前……サーシャが二十歳頃の肖像画だな。合ってるかマリー?」


 キュロス様が回答する。そう、それは間違いなくわたしたち姉妹の祖母、若き日のサーシャ・シャデランだった。

 わたしが頷くと、キュロス様は「良かった」と息を吐く。


「ミオからその名前を聞いた時、なんとなく覚えがある気がしてな。城の図書館にあるんじゃないかと、ウォルフガングと手分けして、それらしい棚を漁っていたんだ」

「そこでたまたまあたしが見つけちゃったの。あたしも、サーシャ・ティリッヒなら知ってたし」


 頷く親子。わたしは、首を傾げた。


「おばあさまって、有名な方だったんですか?」

「なんだ、知らないのか。といっても俺もうろ覚えだったが」

「どちらかというと異国のほうで有名よ。あたしら世代の女性なら、憧れてるひとも多いわね」


 リュー・リュー夫人は楽しそうに、サーシャ・ティリッヒの項を指で辿る。


「『女傑のサーシャ』。戦前、女の地位と学は存在しないようなものだった。そんな常識を覆し、女性の社会進出に革命を起こしたと言われるのが、このサーシャ・ティリッヒ嬢なの。

 彼女は子爵令嬢だったけど、兄たちを差し置いてバリバリ勉強しサクサク進学、十六歳で軍の通訳という仕事に就いたんだって」


 わたしは、リュー・リュー夫人の指を追って、祖母の経歴を黙読した。


 従軍通訳……それはきっと、大変な仕事だったのだろう。まず抜擢された時点ですごいことだけど、それから五年間、軍人とともに世界中を飛び回り、終戦の後日まで勤め上げたのだという。扱えた言語の数は、七カ国語。現代ですら、上級貴族の男性軍人だって滅多にいない。それがこの時代、十代の女の子が……。


「すごいですねえ……」

「なにを人ごとみたいに。マリーさん、本当に全然知らないの?」

「はい。軍にいたことも、子爵の生まれということも初めて聞きました。そちらの親戚は縁がないものですから、てっきりシャデラン領の村娘だったのかと……」

「ティリッヒ子爵家は、戦時中に消滅している。仕えていた伯爵家ごと領地を焼かれ、言葉の通り無くなってしまったんだ」


 キュロス様が言葉を続ける。

 なるほど……。


 そして戦後、拠り所を無くしたサーシャは、地方豪族である男爵家に、身請けされるように嫁入りした。今でもそうだけど、当時はなおさら、女性が独りで生きていくのは許されない。たとえ博士(はくし)にまで上りつめても、雇ってもらえる口がないのだ。その後は歴史の舞台に顔を出すこともなく、シャデランの屋敷で病を患いおよそ七十年の生涯を閉じている。

 わたしはキュロス様に問うた。


「それで、どうしてキュロス様が祖母のことをお調べになっていたのです?」

「いや、経歴とかじゃなくてな。……その肖像画を探していた」


 肖像画? たしかにこの本には、とても鮮やかな印刷で、祖母の姿が載っているけど……。

 キュロス様は目を伏せて、溜め息のような声を漏らす。


「正しくは、アナスタジアの姿を。彼女が生きていたときの姿を、画家に描かせようと思ったんだ」

「あっ……では、その参考(モデル)のために」

「ああ。だが当人はもういないし、画家に口頭で伝えるのは難しい。ミオはシャデラン家にもアナスタジアの肖像画は無かったと……しかし、祖母のサーシャがそっくりだと聞いたらしくてな。苦肉の策だ」

「いえ、名案だったと思います」


 わたしは祖母の絵を見つめて、断言した。

 アナスタジアが、サーシャおばあさまによく似ているのは分かっていた。そのわたしでも驚いてしまう。同じ年頃の二人は、見分けがつかないほどそっくりだった。


「髪型や衣装だけ、わたしが伝えて調節すれば、アナスタジアの姿を再現できると思います。……ありがとうございます、キュロス様」

「礼を言われるようなことじゃない。俺が出来るせめてもの……いや、何の詫びにもなりはしない、自己満足だな」


 キュロス様はそう言って、ミオに本を託し、画家へ連絡するよう命じた。持ち去られていくのを、リュー・リュー夫人は物惜しそうに見送る。


「シャデラン姉妹が、あのサーシャ・ティリッヒの孫だったとはねえ。そりゃあ美人のはずだわぁ」

「あ、あんまりわたしはおばあさまと似ていないですけど」

「あはは、まあ特徴としてはね。でもマリーさんは知性(アタマ)のほうを継いだんでしょ」

「そ、そうでしょうか? わたしは七カ国語も話せませんし、人見知りだから、軍隊で翻訳なんてやっていけるかどうか……」


 わたしが俯くと、グラナド親子は同時に立ち上がり、そっくり同じ仕草で首を振った。


「いやいやマリーさん、四カ国語出来たら十分よ! それにあなたの優しい心がこもった文面と綺麗な字は、言語の壁を越えてひとの心を打つわ!」

「マリーにはマリーにしかない良さがある。君は聞き上手だし、素直に可愛がられるのも大事な社交性だ。不足も不満も無いし、不便があれば俺が助けるから問題ない」

「謙虚で粘り強い努力家だし、何よりあなた自身が楽しんでいるから、これからもいっぱい学び取ってぐんぐん成長していくだろうし! 将来が楽しみすぎる! ようこそうちの嫁!」

「食べたり飲んだり喋ったり、立ったり座ったり物を拾ったりしているだけでもう可愛い。生きててくれてありがとう」


 二人同時にすごい勢いでまくし立てられて、半分くらい聞き取れなかったけどとりあえず、ありがとうございますと頭を下げた。

 それで気を落ち着かせたらしい、二人は同時に席につく。

 その仕草もそっくりで、わたしは思わず吹き出してしまった。色素以外、それほど似ていない親子だと思っていたんだけどな。


 クスクス笑うわたしを見て、リュー・リュー夫人はふと、何か悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「マリーさんって、美人なお姉さんと比べて、自分はイマイチってコンプレックスがあったんでしょ?」

「……ええ。はい。そうですね……」


 イマイチどころか天地の差だし、コンプレックスもなにも事実でしかないけども。と、口にはせずに頷いた。リュー・リュー夫人はクックッと笑う。


「それも可哀想だけど、まだ同性の姉妹で年下のほう、長所のタイプが違うだけだから、マシだったかもしれないわね。――シャデラン男爵は、けっこう辛いもんがあったんじゃないかしら」

「……? お父様が、どうして?」


 問い返すと、彼女はパタパタ手を振った。


「あっごめん、違う違う。先代男爵、サーシャの夫ね」

「お爺様? 祖父は、わたしが生まれるよりずっと前に亡くなっていますが」

「そうそれ、案外心労からだったりするのかなって。

 ほら――サーシャ・ティリッヒは絶世の美女、異国の偉人録に載っちゃうような才女で、戦禍が無ければ子爵の令嬢。田舎の男爵なんて相手にしないような女傑でしょ。嫁にもらったお爺様は尻に敷かれてたんじゃないかと思ってさ」


 ……どうだろう? 

 確かに祖母はとても気が強く、身内にも容赦ないひとだった。わたしは幼く、彼女の記憶はおぼろげだけど、美しく賢いというよりも怖くて厳しいひとという印象だ。

 お爺様は妻を畏れていたのだろうか。いや案外、そんなところも可愛く思っておられたのかも?

 あっでも、そういえば、お父様は……実母のことを、リュー・リュー夫人の言ったように……。


 楽しそうに笑っているリュー・リュー夫人。その横で、さっきまで同じ仕草をしていた令息は、形相を変えていた。

 渋面になって黙り込み、顎を押さえ……じっとわたしの顔を見つめて。何か、考え事をしているようだった。


活動報告にお知らせがあります。

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― 新着の感想 ―
お父様は実母をサーシャ夫人と呼んでいた、の誤りでは。
[一言] 結局、悪いのは両親、姉が悪女でなくって良かった。 可愛いミオさんが見られてよかった。 こんな可愛い一面もあったんですね。
[一言] せめて肖像画の中では笑顔で居てね! 可哀想なアナスタジア…
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