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ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される  作者: とびらの
ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される

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世界で一番幸せな場所

 

 ディルツ王国の初夏は涼しい。

 馬車の中は、決して暑くはないはずなのに、頬の紅潮が治まらない。

 俯いてどうにか顔を隠そうとしたけども、キュロス様はすぐ隣に座っている。それで誤魔化せるわけがなかった。


「マリー、なんだか顔色がおかしくないか?」


 心配そうに眉を寄せるキュロス様。顎を、彼の指でクイと持ち上げられる。

 エメラルド色の瞳と視線が合う。


「馬車に酔ったか? それとも熱が――」

「な、なんでもありませんっ!」


 慌てて立ち上がった。しかし車室の天井はわたしの背丈より低かったので、盛大に脳天をぶつけてしまう。みるみる膨れるたんこぶを押さえながら、わたしはパタパタと手で顔を仰いだ。


「ちょっと暑いですよね! 窓を開けますね!」


 キュロス様の返事を待たずに窓を開くと、風がサアッと通り抜け、火照った頬を鎮めてくれた。

 赤い髪が風になぶられる。いつの間にか、空はわたしの髪と同じ色になっていた。ただただ楽しかっただけの一日が、もうすぐ終わるのだ。

 服や雑貨の通りは人気(ひとけ)が無くなり、逆に飲食店の通りは日中よりもずっと賑わっていた。こっちは夜が本番なのね。まだ夕方だけど、早くもほろ酔いらしい陽気な歌声が聞こえてくる。


「職人は酒好きが多いからな。日が沈むと同時に仕事は閉めて、酒場に繰り出すものだ」


 キュロス様に言われて見回すと、確かに。汚れた作業着やツナギ姿の男性が多い。その集団に女性はいないようだった。


「職人に女性は少ないのですか?」

「少ない、というよりはほとんどいない。商店の売り子ならともかく、職人街は男社会だからな。それに、ここにあるのはあまり品のいい店じゃない」

「ああ……大通りには、貴婦人向けのレストランがありましたね」

「食べていくか?」


 せっかくだけども、わたしは首を振った。


「まだそんなにお腹も空いてないし、きっとトッポの料理のほうが美味しいと思うので」

「ああ、それは、違いない」

「どちらかと言えばその『あまり品のよくない店』に行ってみたいです。賑やかで楽しそう……」


 一日の仕事を終えた職人達は、みんな充実した顔をしていた。男爵家ではもちろん、寂れた農村のシャデラン領では見たことのない表情だった。煤やペンキで汚れた顔はとても素敵。

 わははははっ、と明るい笑い声に、つられてわたしも笑ってしまう。肩を組んで歩く、おじさんの集団を眺めて――


 ふと、視界の端に、違和感を覚えた。

 ……屋台の行列、真ん中あたりが一カ所だけ、へこんでいる。一人だけ極端に頭の位置が低いのだ。

 みなと同じく薄汚れた作業着姿だけども、やけに浮いて見える。

 子ども? いや、それにしては頭身が高い。

 ゆっくりと進む馬車の窓から、一瞬、すれ違いざまに顔が見えた。

 小さな鼻に華奢な顎、細い首――目深に被った帽子、その隙間から、まばゆいほどの金髪が――


「危ない!」


 不意に、キュロス様に腕を掴まれ、引っ張られた。無意識のうちに、窓から身を乗り出し過ぎていたらしい。シートに尻餅をつき、わたしはホウと息を吐いた。


「すみません、ありがとうございます」

「どうした? 何かそんなに、興味深いものでもあったか?」


 わたしは首を振った。

 

「いえ、ただ職人たちのなかに、女性がいた気がして。驚いただけ……」


 それで話題を打ち切ろうとしたけども、キュロス様には通用しなかった。深刻な顔で追及してくる。


「どうした。本当に何か気になることがあるのか」

「なんでもありません」

「市場でまだ見たいものがある? 何が必要だ。俺に言いづらければ、ウォルフガングやミオに……ミオは今まだ休暇中だが」

「大丈夫です。本当に何も。なんでもないのです……」


 キュロス様はまだ少し納得がいかない様子で、それでも黙った。そしてわたしの腕を掴んだままだったのに気付き、詫びて、放す。

 掴まれていたところが今更ジンジン痛む。思いのほか強く握られていたらしい。


 ……そういえば昼間、わたしが男に絡まれた時、キュロス様は腕一本で男をぶら下げていた。キュロス様ってもしかして、とても力が強い?

 ちらっ、と横を見る。いつもよりラフな服装で、むき出しになった腕……間近でみると、太くて筋肉質だ。

 シートの上に置かれた手。

 手首から先は、女性的なくらいに綺麗。いや、ただ指が長いからそう見えるだけで、やっぱり骨張っていて雄々しいわ。

 わたしは、今度は自分の手を観察した。背丈相応の、可愛げのない大きな手。

 ……今日、半日間ずっと繋いでいたけども……どうだったかしら?


 わたしは自分の手を、キュロス様の手の上に重ねてみた。瞬間、キュロス様の全身がビクンと跳ねた。

 ……ん? とりあえずそのまま、手のひらを合わせ、指を比べる。

 あっやっぱり、キュロス様のほうが断然長い。


「マ、マリー……?」


 名を呼ばれて、見上げてみたけど、キュロス様はあさっての方向へ視線を固定していた。抵抗されないので、続ける。

 むぎゅむぎゅ、指を握ってみる。

 わっ、すごい。長いだけじゃなく、太さも二回りはある。爪まで大きい。

 知らなかったわ、男のひとってこんなに手が堅いのね。みんなこうなのかしら? 考えてみればわたし、キュロス様以外に触ったことがなかった。父の手はもう少し丸っこかった気がする。ヨハンやトッポ、ウォルフガング、トマスは……うーん、どんな手だったか思い出せない。でもみんなそれぞれ、全然違っていたような気がするなあ。お城に帰ったら見せてもらおう。


 不思議で、面白い。

 そんなことを考えながらなおもむぎゅむぎゅやっていると、不意に強く握り返された。五指を絡めて、引き寄せられる。

 わたしは驚いて、キュロス様を見上げた。

 彼はまだ、視線を遠くにやったままだった。そっぽを向いたまま、ただ強くわたしの手を握っている。


「……えっと……?」


 引いてみる。動かない。持ち上がらない。キュロス様はその恵まれた握力で、わたしの手を緊縛していた。……解けない。

 わたしは問いかけた。


「あの、キュロス様。なにか?」

「んっ!? なにか!?」


 彼はうわずった声で叫び、やっとこっちを振り向いた。まだ手は掴まれたままで、わたしはキョトンと彼を見上げる。


「いえ、もう馬車の中で、はぐれる心配はないですし。揺れて転ぶような道でもないので、なぜ手を繋ぐのかなと……」

「な、何? どういうことだそれは」

「それはこちらが聞きたいのですが」

「それはこちらが聞きたいぞ! マリーのほうから俺の手を、えっ、何だこれは。どういう状況だ!?」

「ええっ? それこそわたしが聞きたいことですけど!?」


 言い合いながらも、キュロス様はまだ手を離さない。わたしはできる限り指をぴこぴこ動かしながら、自分なりの状況説明を試みる。


「キュロス様とわたしの手で、どっちが大きいのかなって、気になりまして……」

「手の大きさ? なんでそんなことを」

「なんとなく。わたし、今まで自分よりも大きな手のひとに会ったことがなかったので。本当に比べてみたかっただけなんです」


 キュロス様は、わたしの手を離した。自分の膝の上に置き、頬杖をついて、またよそを向く。


「そ、そうか。好奇心、知識欲というやつだな。よくわからないが、よくわかった」


 わたしは、解放されたばかりの手を見下ろした。もう自由になったけど、引く気にはなれない。さっきまであった体温と圧に、焦がれる。


 そう感じたままに、わたしは伝えた。


「嬉しかったんです。キュロス様が手を繋いでくれて」


 視線だけで振り向く彼。


「ずっとコンプレックスでした。わたしは手が大きくて、女性らしくない、可愛げがないって。労働で汚れてからはなおさら……。父は特にそういうことにこだわって、触れられるのも嫌がっていました」

「コンプレックスがあるのは、シャデラン男爵のほうだろう。大きい女が嫌いなのではなく、自分が娘より小さく見られるのが嫌だっただけだ」

「……そうでしょうか?」

「間違いない。君は女性にしか見えないし、手だってあたたかく柔らかくて、綺麗だ。傷や汚れは働き者の証。文句のつけようがない、魅力的な手だよ」


 キュロス様は即答した。このかたはいつも、力強い声で断言する。


「少なくとも俺は、君と手を繋ぐのがとても好きだ」


 わたしが言って欲しい言葉を、まっすぐに打ち込んできてくれる。

 ……嬉しかった。


 胸にあたたかな灯火が宿る。それは、親切なご厚意に感謝、という喜びとは別のものだ。ただ嬉しい。

 ……不思議だわ。ひとはぬくもりに満たされると、欲求に素直になるのね。

 からっぽの手のひらは、やっぱり寂しい。わたしは手を伸ばし、今度こそ自分から、彼の手を握った。


「わたしも、あなたが好きです」


 わたしの手の中で、彼の指が震える。


 ――あなたと、手を繋ぐのが――と、言うつもりだったのに、唇は違う言葉を零した。すぐ誤りに気がついたけど、訂正はしなかった。きっと同じ意味だと思うから。


 キュロス様は、今度は手を握り返してこなかった。代わりにわたしの肩を掴み、抱き寄せた。

 彼の胸に顔が埋まる。


「俺の聞き違いだったら、今すぐ突き飛ばしてくれ」


 耳の上で声がする。


「そうでなければ、このままで」


 わたしは笑った。キュロス様ったら、抱擁が強いわ。突き飛ばすにもこれじゃ腕を動かせない。

 仕方ないからそのまま居る。ただ彼の胸に額を押しつけ、頷いたことだけ伝えておいた。


 さらに強く抱きしめられる。キュロス様の鼓動が聞こえる。なんて広くてあたたかな胸だろう。なんて逞しくて、優しい腕をしているのだろう。

 甘い甘い安らぎを得て、とろりと眠気に包まれる。わたしは脱力した。父よりも母よりも優しい抱っこに、力が抜けていく。


 ――素敵なひと。このひと以上に、魅力的な男性をわたしは知らない。きっと世界中探しても見つからないわ。

 初見は少し怖かったし、悪く言うような噂も聞いたけど、誤解が解ければなんてことない。キュロス様はおおらかで優しい紳士だ。彼のことをよく知れば、みんな彼が好きになる。

 彼と一緒に暮らせば、誰もが幸福になるだろう。



 わたしは目を閉じた。


「――キュロス様……わたし、幸せです……」


 閉ざされた視界の、暗闇の中で――


 女の声がした。



 ――だったら、代わって!――



 わたしはハッと目を開けた。それでも視界は闇のまま。辺りを見回しても、何も無い。キュロス様も、馬車も、市場の町並みも何もかも。それにこんなに暗いのもおかしいわ、まだ夕日は沈みきっていないはず。なぜ? ここはどこ。

 わかった、これは夢だ。夢の中でこれは夢だと自覚する、いわゆる明晰夢だろう。ならばいちいち疑問に思っても無駄だ。

 それよりわたし、キュロス様のすぐそばで居眠りをしてるってこと? そっちのほうがよほどオオゴトだ。変な寝言を言って、嫌われたらどうしよう。

 わたしのようなずたぼろの娘が粗相をしたら、すぐに嫌われ見切りを付けられて、お城も追い出されるに違いない――



 ――その通りよ。だから代わって――


 女の声。今度は、暗闇の中に姿を見つけた。


 お人形のように整った顔立ち。小柄な身体に、引きずるほど長く見事な金髪。ローズピンクの艶やかなドレスで、アナスタジア・シャデランが、わたしに片手を伸ばしていた。


 ……お姉様。生きておられたのですね?


 語りかけても、彼女は頷きすらしない。わたしの話など聞きもせず、自分の意志を伝えるのみ。


 ――どうしてそこにいるの、マリー。そこは、わたくしの場所よ――

 ――退()きなさい。代われ!――



 わたしは頷いた。

 この世界でいちばん美しいのは、姉だ。わたしなんかじゃない。

 この世界でいちばん魅力的なキュロス様には、彼女こそがふさわしい。


 わたしは靴を脱いだ。グラナド城で買い与えられた、硝子のように美しい宝石の靴だ。続いてドレスを脱ぎ、編み込んだ髪を解き、化粧を落とし、全裸になって、姉の前に(かしず)いた。


 その衣装を纏ったアナスタジア。彼女の手を取るキュロス伯爵。

 そして二人は踊り出す。使用人達は拍手と歓声で讃える。


 わたしは顔も上げなかった。

 寒くて、寒くて、寒くて……裸で這いつくばったまま、ただ震え続けていた。


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― 新着の感想 ―
[一言] もうマリーが悲しむ顔は見たくない(இωஇ`。) 心臓痛いよ……なぜ ……
[一言] えー! 甘々から一転… 夢?それとも…
[一言] またホラーに…ミオさん助けてー
2020/02/14 10:27 退会済み
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