宝石よりも素敵なものがありました
お知らせ: 前話、ルイフォンが用意した宝石について、68カラットのピンクダイヤ→小粒のレッドダイヤに物と描写を変えて編集いたしました。物語に変更はありません。
ダイヤはいったん宝石店に置いてもらい、のちほど宝飾加工職人に出すという。
それで用事は済ませたものの、わたしたちはしばらくそのまま、おしゃべりに興じていた。親友のお二人は仕事では顔を合わせるけども、他貴族や王族の目があって、なかなか談笑まではできないのだという。
上級貴族ならではの内容もあったけど、半分以上は、日常の話や学生時代の笑い話。
「聞いてよマリーちゃん、キュロス君はなかなか寝小便癖が直らなくてね」
「なんで当人を前にして根も葉もない嘘を吹聴する? それを言ったらルイフォンこそ、裸で寝ていて寝坊して、慌ててそのまま登校しただろ」
「あれはわざとだよ。追い出されたあと気兼ねなく寮を出て、市場でシュラスコ食べてたもの」
「次の日一日中、反省室に監禁されたくせに。懲りないやつだ」
お二人の話はとても楽しくて、いつまででも聞いていたいくらい。わたしはずっと笑っていた。――はずなのだけど、キュロス様がふと、眉をひそめた。
「マリー、疲れたか? もう結構長い間、出ているからな。そろそろ城へ帰ろう」
「……大丈夫ですよ」
わたしはそう言ったけど、どうやら本当に疲れた顔をしていたらしい。キュロス様はわたしの手を取って、ルイフォン様に別れの挨拶をした。
しかし、ルイフォン様も後ろについてくる。
「裏口にうちの馬車を停めてある。市場を抜けられるやつだから、預かり所まで送ってやるよ」
お言葉に甘えて、店先で馬車が回ってくるのを待つ――と、やがて現れ出でたものに、わたしは膝から崩れ落ちそうになった。
「お待たせ、さあ乗って」
と、ルイフォン・サンダルキア・ディルツが回してきたその馬車は、巨大な四輪馬車であった。黒鋼にびっしりトゲトゲの鋲が打ち込まれ、とにかく重くて頑丈そう。御者はもちろん四頭の馬までもが何故か鎧をつけていて、車体にはディルツ王国軍、騎士団の紋章が描かれていた。
「こ――これ、王国騎士団の、戦馬車ではないですか!?」
「だって僕、騎士団長だし。こういうのしか持ってないんだよ」
あっけらかんと言う、ルイフォン様。道行くひとはみな足を止め、「でかっなにあれ」「怖いわ、また戦争かしら」などと、遠巻きに囁いている。近づくものは誰もいないけど。
ああ……「市場を抜けられる」ってそういうこと……。こぢんまりした二輪車を想像したわたしが馬鹿だった。
ルイフォン様はわたしたちを車室へ導くと、自分は御者台に座った。武装した御者の隣で、足を組んでくつろいでいる。中に入らないのかと聞くキュロス様に、こっちのほうが眺めがいい、と返す王子様。自由なおひとだ。
八人くらい乗れるだろうか、広い車室のベンチシートに向かい合って、わたしたちは腰掛けた。
「まあ、いい。ルイフォンがいると、マリーも気を遣うだろうし」
「いえ……そんなことはありません」
わたしは首を振った。それは、ルイフォン様への好意を表しただけだったけど、キュロス様は眉を寄せた。
「俺と二人きりのほうが緊張するか」
「そっ、それは。大丈夫です、ごめんなさい……」
そんなことはない、とは言えず、でもうまく言葉に出来なくて、ただ謝ってしまう。キュロス様はそれを、肯定と取ってしまったらしい。窓際に身体を寄せて、わたしとより距離を取る。
「言葉使いも、戻ってしまったな」
切ない声でそう言った。
御者のかけ声が聞こえ、馬車が動き出した。通行人のある市場だから、スピードは極端に遅い。心地いい振動の中で、わたしは俯いていた。顔が上げられない……けど、このままではいけない。ちゃんとお話ししなくてはと、声を絞り出した。
「あの――先ほどの、宝石。ありがとうございました」
「……ああ」
キュロス様は、ぶっきらぼうに頷いた。
「とても貴重で、高価なものなのですよね……」
「まあな。けど、君が気にすることは無いぞ。自分のための買い物でもあるから」
早口で、そんなこと言う。
「俺はもともと宝飾品は好きだし、商売上の興味もあった。それにほら、さっきルイフォンが言っただろ、王族は今、贅沢をひけらかすことが出来ないと。商売人は逆だ。うちは儲かっている、莫大な資産があり将来安泰で、うちの傘下につけばオイシイ思いができるぞと触れ回ることが何よりの企業広告になる」
「ああ……なるほど。そうだったのですね」
「君のためだけに買ったわけじゃないんだ。だから――」
「でも、わたしはとても嬉しかったです」
キュロス様はピタリと言葉を止めた。
わたしは顔を上げた。こっちを見つめたまま停止している彼に、もう一度、ちゃんと伝える。
「嬉しかったです。物の価値は、あまりにも大きすぎてまだ理解できてない……受け止めきれていないのですが。……わたしの髪と同じ色の石を、ずっと探しておられたと聞いて、とても嬉しかった」
「あ――ああ、うん」
今度は彼のほうが俯いた。大きな手で口元を隠し、呻くように、呟いた。
「そう、君に喜んでもらいたくて買った……」
「……ありがとうございます」
馬車はゆっくりと市場を進む。今日一日、キュロス様と手を繋いで歩いた道を辿って。
しばらく窓の外を見ていると、キュロス様が声をかけてきた。
「こちらこそ礼を言わないとな。一日中連れ回されて疲れただろう、面倒な友人の相手をしてもらったし」
「楽しかったですよ」
「そ、そうか? 本当に? 無理をしていないか」
「はい。ショッピングは楽しかったし、食べ物は美味しくて、ルイフォン様ともまたお会いしたいです」
「それなら、良かった」
ガタンと馬車が大きく揺れた。何か石でも踏んだらしい。わたしは慌てて窓枠を掴み、身体を支えた。向かい席でキュロス様も同じような姿勢になっていた。
咳払いして、座り直す。馬車はまた順調に進み出す。
「……ありがとうございました。今日だけじゃなく、キュロス様にはいつも、素晴らしい贈り物や、楽しい時間をいっぱいいただいています」
彼は一度、大きく首を振って、それから頷いた。
「君がそれを喜んだならば、俺は与えた以上の報酬をもらった」
「わたしはずっと、あなたがそうおっしゃるのは、わたしへの気遣いからだと思っていました。だからそう言われるたびに、なおのこと萎縮していました。でも今は……」
「今は?」
「…………共感、しています」
わたしは顔を伏せた。俯いたのではなく、腰元のポーチを開くためである。今日一日買った物、いろんな雑貨といっしょに折りたたんで入れていた、一枚の布を取り出す。
幅は細く、背丈くらいの長さがある。純白のシルク生地に金糸の刺繍。繊細だが龍を模しており、男性用の飾り布だと分かる。
わたしは顔を伏せたまま、キュロス様にそれを差し出した。
「これは?」
「キュロス様への、贈り物です。わたしから。色んな国の服を売っていたお店で、キュロス様が、お着替えの間に買いました」
「えっ!?」
大きな声を出されて、びくりと全身が震える。わたしはますます身を縮めて、神に奉納するように両手だけを高く上げた。
「あの、ごめんなさい! キュロス様が、お洒落にこだわりのある男性だっていうのは分かっています! そんなキュロス様に喜んでいただけそうな服はどうしてもやっぱり高くて買えないし、アクセサリーとかはわたしセンスが無くてどうしていいかわからなくて、でもこれなら何にでも使えるかなって、端切れを処理したものだからってすごく安くしてもらったし!」
「えっ、ああ、ええっ……」
「一応イプサンドロス製だから質もいいしキュロス様に似合う気がして、それにキュロス様、今日は髪を解いてらっしゃるけどもいつも括っているの、ときどきこういう、リボン布も使ってらっしゃるじゃない? 色々日替わりで遊んでいる小物だったらひとつくらい安物でちょっと好みに合わない物があっても、ご迷惑に、ならないのではと、思った……の…………」
捲し立てている途中で声が出なくなった、と思ったら、どうやら呼吸を忘れていたせいらしい。一度深呼吸してから、わたしは顔を上げた。
ぼんやり、わたしの手にあるものを見下ろす彼に、懇願する。
「受け取って頂けないでしょうか……?」
口にすると、改めてその厚かましさに戦慄する。
だって自分は、この髪留めの何倍――もとい何千万倍という価格のものを頂戴しているのに。そのお礼だって、差し出して許されるのだろうか。考えると手が震えてしまう。それでも引っ込めなかった。
だってわたしが喜んだのは、その宝石が稀少で高価だからではないもの。
キュロス様が、わたしのためにと考えて、探してくれた。わたしを喜ばせようとしてくださった。それが何より嬉しかった。
今日一日、楽しかった。庶民の格好をして、ヒールのない靴で地面に立ち、お世辞にも高級とは言えない店を巡って歩いたこの日が、グラナド城に来て一番楽しい日になった。
それはきっと、キュロス様が隣にいたから。繋いだ手から、彼もまた楽しんでいるのがずっと伝わってきていたから……だから。
……きっとこの贈り物を、彼は喜んでくれるような気がするの。
そう信じる気持ちと裏腹に、ガタガタと震え続ける手。キュロス様はそうっと摘まむようにして、飾り布を持ち上げた。
しばらく自身の手元で広げ、じっと見下ろす。それから唇で咥えた。黒髪に手で櫛を入れ、うなじでまとめ、布を巻き付けていく。
彼の肩に、金糸の龍が寝そべる。キュロス様は目を細め、それを見つめていた。
わたしに向き直ると、彼は言う。
「似合うだろう」
似合うか? とは聞かれなかった。わたしは笑って、頷いた。
「格好いいです。とても素敵です」
ふふっ、と声を出して笑うキュロス様。わたしも笑う。
「あの、実はさっきこんな物も買ってしまったのです」
またポーチに手を入れて、今度は小さな革袋を取り出した。逆さまにして、手のひらに宝石の粒を出す。もう手は震えていなかった。
キュロス様はまた指先で摘まもうとしたが、小さすぎて難しいようだった。わたしの手を見下ろして言う。
「エメラルドだな」
「あっやっぱり。色と名前は知っていたけど、実物を見たのは初めてで自信がなかったの」
「わりと量は取れるが、天然でジュエリーに出来るほど美しいものは珍しい。これは加工品の、工程途中で出た破片だろうな」
「はい、なのでこれも、安物なんですけど……」
わたしは粒をひとつ摘まんで、髪を結ぶ布の、端の辺りに当ててみた。
「これを、このあたりに天蚕糸で縫い付けておけば、揺れるたびに輝いて素敵なんじゃないかなって……どうでしょうか?」
「それも俺のために買ったのか!?」
わたしは慌ててぶんぶん首を振った。
「い、いえ、あっはい、そうです、けどもそれだけじゃなく自分用に。三つあるので、左右にひとつずつ使えばひとつ余るので」
「そうか……マリーはエメラルドが好きだったのか?」
「いえ、ただ、あなたの瞳に似ていると思ったから」
わたしが言うと、彼はシートから滑り落ちた。どうしたのかしら、馬車は揺れなかったと思うけど。
「……エメラルドを見て、俺の目に似ているから、欲しいと思ったのか……」
身を起こしながら、わたしを見上げるキュロス様。……うん、やっぱり、彼の瞳はこの石とよく似ている。
初めて出会った時から思っていた。キュロス様の瞳はとても綺麗だって。
貧しい男爵家には、宝飾品なんて数えるほどしかなく、それもわたしには触らせてもらえなかった。わたしは宝石の色と名前を、すべて本から知り得ていた。
宝石店なんて生まれて初めて行った。そして実物を見れたけど、正直、そんなに衝撃はなかったの。値段に恐れおののいただけで、なんて美しいのかと感動はしなかった。
キュロス様の瞳のほうが、ずっと綺麗で、魅力的だと思ってしまった。
その破片を見つけたら、欲しくなった。二つはキュロス様のために、残りひとつは自分のため……ワイヤーを通して、小さな指輪にでもして、身につけておきたいって。
わたしのものにしたくなったの。
そう、お話ししようとしたけども言葉にならなくて、わたしはまた俯いてしまった。な、なんだろう、体温が上がってる。頬が火照り、耳のそばまで熱を持って、じんじんと疼くような感覚。わたし今、赤面してる?
キュロス様は、三粒のエメラルドを丁重に革袋へ入れて、わたしのポーチへ戻してくれた。そしてわたしの隣席を、ポンポン叩く。
「隣に座ってもいいか」
「え。……はい、ど、どうぞ」
わたしが頷くと、すぐにその場に腰掛けた。
「……ありがとう」
そのお礼は、贈り物に対してだろうか。隣に座れたことだろうか。
八人が乗れるベンチシートに、わたしたちは二人、隅っこに並んで座る。
服の裾が触れてしまうほど近く、キュロス様の体温がある。それだけで、広々して寒いくらいだった室内は温度をぐんと上げたようだった。
いつまで経っても、わたしの顔は火照ったままだった。




