キュロス様のご学友
二階で寝ていたはずの友人が、いつの間にやら一階に……。キュロス様はそれにいちいち驚きはしなかった。むしろいつものことだという顔で、笑いすらしないで嘆息する。
「またやったな。こういうイタズラは、板挟みになる店主が可哀想だからやめてやれ」
店主はカウンターの向こうで平身低頭といった様子。あっそうか、それであんなにわたしにサービスが良かったのね。ルイフォン様は肩をすくめた。
「だって、君がいないところで一回、マリーちゃんと喋ってみたかったんだもの。本当はもっと手前で声をかけるつもりだったけど、無関係なナンパ男に先を越されてしまった」
「……ナンパ男? お前、俺たちのあとをつけてたのか!」
「うん、君たちが馬車を預けたところからずっと。あそこはグラナド家の御用達だからね、朝から張ってれば必ず来ると思ってた」
えっ、それじゃあ本当に一日中!? 全然気づかなかった。ルイフォン様の容姿なら間違いなく、ものすごく目立つはずなのに……。
ルイフォン様はわたしの思考を察したか、ジャケットのポケットから、ずるりと茶髪の鬘を取り出した。同時に、きらきら輝く白銀色の髪を掻き上げる。
「こういう目立つ特徴があると、ひとはそこを注視する。逆にそこだけ隠してやればバレにくいものだよ」
「……手の込んだイタズラを……二十四の男がやることか?」
「それを言うなら、僕の尾行にちっとも気づかなかった自分を恥じたまえよ、キュロス君。まあ、あれだけ楽しそうに舞い上がってたら、視野が狭くなってても仕方ないけどねー」
そう言われて、キュロス様はウグッと呻いて口をつぐむ。あっそうか、ずっとついてきてたってことは、わたしたちが買い物をしたり、手をつないでいたのも見ていたということで……うわー。
今更ながらわたしも顔を紅潮させる。
キュロス様はコホンと咳払い。それから、ルイフォン様を手の平で指した。
「マリー、改めて紹介しよう。この男が俺の学生時代からの友人。職業は一応、騎士団長をやっている。フルネームは」
「ルイフォン・サンダルキア! 形だけの騎士団長、実体は木っ端の貧乏下級貴族だよ、よろしくどうぞマリーちゃん」
キュロス様の言葉を遮って、手を差し出してくるルイフォン様。わたしは目を剥いて、その手指と、お顔とを何度も確認し、聞こえたお名前とを反芻していた。
ルイフォン……騎士団長。握手などできるわけもなく、身を引く。
「下級って、で、でも、あの――王国の騎士団長は、確か歴代、王族が着任していて……。現在も確か、皇太子様のご兄弟が就いているはずで。ということは、ルイフォン様って、あの……」
「あっ、なんだ知ってるのか。残念」
あっさり手を引いて、あははと笑うルイフォン様――い、いや。ルイフォン・サンダルキア・ディルツ……王子様!
「ふぁっ……うあぁぁ……!」
王族との人生初遭遇に、全身から力が抜けていく。へにゃへにゃとその場にしゃがみ込むと、キュロス様が肩を抱いて支えてくれた。
「緊張しなくていい。今日この場所にいるあいだはただの男だ。王族相手と畏まる必要は無いし、騎士団長という職業柄、むしろルイフォンのほうがあんまり不埒なことは出来ない」
「そ、そうですか? そうですか……!?」
「ああ。むしろ問題は当人の性格、タチの悪いイタズラとクセの強いイジワルのほうだな」
そっちのほうも、どう捌けば良いのかわかりませんっ。
だけどとりあえず、作法については無礼講ということらしい。王子様も、わたしのカーテシーを遮った。そうそう、と爽やかに微笑んで、
「王子と言っても三番目だし、たいした権力なんて無い。僕は人畜無害だよ、イタズラとイジワルが好きなだけで」
「は、はあ……そうですか……」
「――ということで、さっき口説いたのも本気じゃないから気にしないでね」
「口説いた?」
キュロス様の眉がぴくりと動く。先ほどのやりとりは、ほとんど見ていなかったらしい。どう説明したものか……と思ったけど、キュロス様はすぐに状況を理解したらしかった。腰に手を当てると、今度こそ大きく嘆息する。
「またやったのか……もう必要ないというのに。俺だって、ひとを見る目くらいは育った。学生時代とは違うんだぞ」
「学生時代?」
「キュロス君は昔から、女の子にとぉってもよくモテたんだけどね。残念ながら『そういう娘』ばっかりで、女性不信になっちゃったのさ」
そういう娘、というのも分からない。わたしがキョトンとしているのを見て取って、ルイフォン様は丁寧に説明してくれた。
いわく……王侯貴族の子息と令嬢が集まる学園では、恋愛も、当人の想いよりも「条件」次第。端的に言えば、身分やお金目当ての政略結婚狙いばかりだった。
貴族同士でも、あまりにも身分が離れすぎると婚姻は結べない。男爵はもちろん、子爵や伯爵くらいだと王子であるルイフォン様は高嶺の花。しかし公爵の庶子であるキュロス様は、ルイフォン様に次ぐ上位でありながらもなんとか手が届く範囲。さらに美しい容姿と、すでに盤石となっていた母親の事業、グラナド商会の資産も受け継ぐ立場である。
これぞ狙い目――とばかりに、同級生も先輩も後輩も、女講師もが目をぎらつかせ、キュロス少年を追いかけ回した。キュロス少年は逃げ回った。
それはそれは、壮絶な学園生活だったという……。
「そ……それで女性不信に……?」
わたしが問うと、キュロス様は首を振った。
「いや。そういったことは、生まれてすぐからずっとあったから別に。……ただ、自分だけは違う、と言っていた娘や、少しいい仲になったひとがな……」
「試しに僕が声をかけたら、あっさり僕のほうに靡いたわけ。それがトドメだよね、はっはっは」
キュロス様の肩に肘をかけ、高笑いするルイフォン様。
そ、それはルイフォン様が、キュロス様の恋人を取ったということでは――いや、違う。あっさり王子様に鞍替えしたというなら、彼女たちは初めから、キュロス様のことを愛していなかったのだわ。
確かに、玉の輿狙いなら王子様より上は居ない。それにルイフォン様もとてもお美しい方だった。ディルツ王国人らしい色素の薄い肌に中性的な面差し、すらりと背が高くて、まさしく王子様と言ったお姿。異国の風貌に抵抗があるひとなら、キュロス様よりルイフォン様を好むだろう。
……けど。でも……。
「おやマリーちゃん。僕のほうがキュロス君よりモテたこと、納得いかないようだね」
「えっ!? そんなわたし、顔に出てました!?」
わたしが慌てて顔面を覆うと、ルイフォン様はブッと吹き出し、腹を抱えて笑い出した。な、なにかわたしおかしなことを言ったかしら? 解答を求めてキュロス様を見ると、こちらもそっくり同じ姿勢で、床にしゃがみ込んで震えていた。なぜ!?
しばらく笑い転げてから、やっと持ち直し、立ち上がったルイフォン様。まだ悶絶しているキュロス様をちらりと見て、ふと、憂いのある苦笑を浮かべた。
「……僕は、彼女らが下衆とまでは思わないけどね。貴族の男女に、恋愛結婚なんてめったにない。僕だって、顔も見たことない婚約者がいる。そういう義務を背負う代わりに、庶民がうらやむような生活をさせてもらっているんだ。キュロス君は、ロマンチストすぎるんだよ」
キュロス様は、ロマンチスト……。そう言われてしまうと、本当にその通りだと思う。帰宅するたびわたしに綺麗な花と甘い言葉を贈ってくれる。けどそれは、まず自分自身が楽しんでいるような気がするの。
キュロス様はきっと、綺麗なもの、いいにおいがするもの、美味しいものが大好きで、だからわたしを喜ばせるのにそれを差し出す。
今日のお出かけだってそう。キュロス様は、とても楽しそうだった。
ルイフォン様は深々と嘆息した。
「あげくに側妻も取りたくない、正妻ひとりに操を立てたいだなんて。……ばかじゃないか。政略結婚の義務だけ果たせば、あとは自由に恋愛すればいいのに。
……それだったら……それが叶うなら……。すぐ近くに、ずっとキュロス君のことを想っている人間が、そばにいたというのに……」
「え――?」
切なく、重い吐息。ルイフォン様の、アイスブルーの瞳がかすかに濡れてキラリと光る。彼はそれを慌てて拭い、わたしから隠すように背を向けた。
ま、まさかそんな。
どうしよう、わたし、気がついてしまった。気がついてしまったけどもどうしようもない。だって、キュロス様はもうわたしの婚約者だし、ルイフォン様にもお立場があるし、何よりキュロス様のお気持ちが。
そうだ、キュロス様は? まさかキュロス様も、ルイフォン様のことを!
わたしが蒼白になった顔を向けると、当のキュロス様は、キョトンとした顔。まあっ、このひとったらなんて鈍感なの。これじゃあルイフォン様が可哀想よ、せめて想いだけでも伝われば――ああでも、それで「そうだったのかルイフォン、実は俺も」ってなったら本当にどうしよう!? 十数年来の親友でキラキラ美形の王子様、性別の垣根を越えられたら、わたしなんて足下にも及ばない!
わたしはぶるぶる震える手を胸に当て、お二人の顔を見上げた。長身の彼らは同時にわたしを見下ろして、キュロス様は訝しげに、ルイフォン様は……これ以上ないほど、とってもいい笑顔だった。
「マリーちゃんって面白いね」
今度はわたしが床に突っ伏した。




