宝石を買ってしまいました……!
キュロス様の友人、ルイフォン様が指定した店は、職人街の中ほどにあった。
「宝石店……ですか?」
そう看板には書いてある。それほど大きくもない三階建てで、やけに堅牢な鋼鉄の扉は閉め切られていた。「いらっしゃいませ」という感じがしない。
職人街は、ここまでの市場とは雰囲気が違っていた。まず、人通りが少ない。みな建物の中で作業をしているのだ。基本的に、一般市民がショッピングでうろつくことはないらしい。それもそのはず、看板は「鍛冶屋」「製鉄」「釦屋」「硝子加工」「革靴仕立て」といったかんじで、用事のあるひとだけが訪れて、用が済んだら帰るようなお店ばかりだった。
だけどその中でもこの建物は異質だ。窓もないため、中のようすがまったく見えない。
「ここは王家も御用達の、単価が極端に高い店だからな。一見さんお断りくらいがちょうどいいんだ」
キュロス様はそう言って、扉口のノッカーを鳴らす。
案外、すぐに扉は開かれた。大柄な青年が、穏やかな笑みを浮かべて迎えてくれる。
「グラナド伯爵、ようこそお越し下さいました」
「やあ、ジョバンニ。久しぶりだな。ルイフォンから話は聞いているか?」
「はい。中で伯爵をお待ちですよ」
店主に導かれ、店内にはいる。キュロス様は肩をすくめた。
「なんだあいつめ、自分も来ているなら手紙にそう書いておけばいいのに。それなら買い物はあとにした」
「いえ、物は前日に預けられているのですが、今朝がた急に来られたのです。グラナド伯爵の、婚約者様のお顔が見たくなったのだと」
「相変わらず気まぐれだな。まあ、いい。ルイフォンはどこだ? 食事にでも出かけたのか」
店内を見回すキュロス様。
それほど広いお店ではない。四方を囲むようにショーケースが並べられ、奥に小さなカウンター。その横には細い階段があった。視界の範囲に、店主以外のひとはいない。
目が合うと、店主は何か苦笑いのような表情をした。
「ルイフォン様は、二階の応接ソファでお昼寝中です」
「寝てる? ひとを呼んでおいてか」
「早朝から詰めておりましたので、致し方ないかと。グラナド伯爵が来られたら起こしに来てくれと、伝言を承っております」
「全く、あいつの気まぐれは本当にどうしようもないな……」
そう言いながらも、キュロス様は階段に向かった。わたしもあとに続こうとしたが、一段目を上がったところで止められる。
「マリーは一階で待っていてくれ。この店なら、変な客は入ってこない」
「あ……そうか、さすがに、お休みのところに他人が入っていくのは不躾でしたね」
「それより、あの男は裸で寝るクセがある」
そ、それはだめだっ。わたしは慌てて階段を降りた。
「待ってる間、店内を眺めているといい。気に入ったものがあればジョバンニに言え。ケースにあるものならどれでも買ってやる」
「滅相もございませんっ」
わたしはぶんぶん首を振る。だってさっき、ちらっと見えた値札にはそのひとつだけで一家が一年間、食べていける額が書いてあったもの。
ここはどうやら宝飾品ではなく宝石そのものを取引するお店らしく、見たことも無い大粒の石が並んでいた。その輝きもお値段も、直視すると目眩がする。わたしは店の入り口まで戻り、ショーケースから距離を取った。代わりに、アンティーク風の木製キャビネットが目についた。上には小皿が並んでいる。
なんだろう……わたしは気になって、キャビネットに近づいてみた。小皿にあったのは色分けされたビーズだ。いや、これってもしかして、小さな宝石?
店主を振り向くと、すぐに教えてくれた。
「それはデザインカットのさいに出た欠片や、小さな傷がついたものですよ。元は良質のジュエルですが、当店で使用することは出来ないので格安でおわけしております」
へー……なるほど確かに、指で摘まみにくいほど小さいけど、色鮮やかで透きとおっててとても綺麗。さらに目をこらして見ると、真ん中に穴が開いている。
店主は、わたしがまじまじ眺めていると、そっとそばに寄ってきた。
「これを、ビーズとして衣服に縫い付けたり、天蚕糸に通してちょっとしたアクセサリをこしらえることもできます。奥様も、いかがでしょうか?」
「いえ……わたし本当に、あまりお金を持って無いんです」
「差し上げますよ。お好きなだけどうぞ」
「ええっ? そんな、だって小さいとはいえ宝石でしょう?」
わたしは慌てて値札を確認しようとしたが、見つからない。店主いわく、もともとお得意様にオマケでプレゼントしているものだとか。確かに、商品と比べればオマケ程度のサイズと相応の値段なのかもしれないけど……それでも宝石。それに、わたしはお得意様どころか何も買ってないわ。ただキュロス様にくっついてきただけだもの。
そう言って断ると、店主は何か、困ったような顔をした。
「うちは、王家が一番のお得意様ですが……グラナド商会から仕入れておりますし、今後とも、グラナド伯爵とは良きお付き合いをさせていただきたく……」
「それなら、キュロス様をもてなして差し上げて。わたしは彼のお仕事に口を出すことはないわ」
「い、いえいえ。グラナド伯爵の奥様とも、これからよろしくということで。どうぞどうぞ、そこにあるもの全てお持ちいただいても構いません」
ええっ、本当に? 宝石をお好きなだけどうぞだなんて、人生を何回やり直しても絶対聞くことがない言葉だと思ってたわ。
とんでもない状況に、わたしは思い切り恐縮していた。それに、なんだか怪しい。いくらなんでも気前が良すぎるのではないか。タダほど高いものはないというし、これもらっちゃったら、キュロス様に後々迷惑になるかもしれない。やっぱりだめ、もらえないわ。
それでも、「要りません」という言葉は出てこなかった。本心は……遠慮が先立って、とても言えないけど……欲しい。
白い皿の上で、キラキラと輝く小さな欠片。鮮やかな緑色……綺麗。とても綺麗だ。
この綺麗なものが欲しい。生まれて初めて、わたしは宝石が欲しいと思ったのだ。
「あの……。頂くことはできません、けど、買うとしたらおいくらですか……」
不思議な顔をしながら、店主が提示した金額は、思っていたよりは安価だった。二、三粒ならわたしの手持ちでも買える。わたしは慎重に摘まみ取り、何度もシャックリしながら、やっと「これ、ください」と口にした。
店主はわたしの手から粒を受け取った。
カウンターへ戻る後ろ姿を、わたしはまだドキドキしながら眺めていた。
心臓が高鳴り、足下がフワフワする。うわあ……やった。やってしまった。わたし、宝石を……買ってしまったわ!
なんだかワルイコトをしたみたいに挙動不審になって、キョロキョロするわたし。キュロス様は、まだ戻られないわよね? 帰って来ないうちに支払いを済ませないと。
やがて、石を小さな革袋に入れて戻ってきた店主。同時に、何か細々とした物をトレイに載せている。
「これで、何かアクセサリを作られますか? 宝石の代金を頂戴してしまったので、代わりに天蚕糸や留め金をお付けします。ミサンガ用の刺繍糸や、革紐などもございますよ」
「ありがとうございます。では天蚕糸と、もしあれば縫い針を……」
「ああ、布に縫い付けなさるんですね。少々お待ちください」
と、店主がまたカウンターへ戻っていく。わたしは、先に受け取った革袋をソローッと覗いた。暗い中で三つ、キラッと光る緑の粒。顔がほころぶ。
と――その視界から、不意に革袋が消えた。えっ、宝石が上に飛んだ? いやまさか、わたしの後ろから誰かの手が伸びて、革袋を摘まみ上げたのだ。
「えっ!?」
慌てて振り向く。そこに居たのは、知らない男だった。
キュロス様じゃない。年の頃は同じほどだけど、抜けるほど白い肌に、短く切った白銀色の髪。褐色の肌に黒く長い髪をしたキュロス様とは真逆のようだ。
何? 誰!?
いつの間に近くに……いや店内に入ってきたのだろう。
アイスブルーの目を細めて、白皙の美貌を持つ青年は、ククッと喉を鳴らして笑っていた。
「――やあお嬢さん。ずいぶん機嫌が良さそうだね。良い買い物が出来たのかな?」
馴れ馴れしく、キザな口調に既視感があった。つい先ほど、同じようにして絡まれたばかりだ。
もう騙されないわ。これが、ナンパというやつね? 大体セリフが一緒だからそうだと思う。目的がよく分からないけど、わたしだって学習する。すぐに革袋を取り返し、三歩ぶんさがって、他人行儀なお辞儀をした。
「ええ、お陰様で。では、連れがおりますので失礼します」
そう、こうして距離を取るのが一番いいはず。背を向けようとしたが、一瞬でまた革袋を奪われた。
「ツレって、男?」
むっ、と呻いてまたすぐ奪う。
「男性ですが何か」
「友達? それとも恋人?」
「婚約者ですっ」
また取られる。しまいには両手を高く上げ、わたしに取られないようにひょいひょい躱しだす。むううっ。
わたしは助けを求めようとしたが、カウンターにさっきまでいたはずの店主がいない。仕方なく自力で抗戦する。
このひとって背が高いのね。キュロス様ほどじゃないけど、男性平均並みのわたしが背伸びをしても、彼の手を捕まえられない。それにやけに俊敏なの。わたしは必死で手をばたつかせた。
そんな攻防のさなかでも白銀色の髪の男は涼しい顔。
「へー婚約者。どんな人? 君は彼の、見た目と資産とのどっちに惚れたの」
「どっちでもありませんっ」
「婚約ってアレかい、親が決めた政略結婚的なやつ。それとも相思相愛」
「どっちだってあなたには関係ないでしょっ。返してください!」
「関係あるね。嫌々つながってるだけの政略結婚なら破棄しちゃえばいい。僕にしなよ。自分で言うのもなんだけど、僕のほうが彼氏より格好良いだろう?」
まあっ、なんてこと言うのこのひと。
わたしは驚きのあまり絶句、あんぐり口を開けてしまった。まさかそれを同意だと思ったのか、男はニッコリ笑顔である。それこそ、確かに女性がみな蕩けそうなほど魅力的な笑顔だけど――もちろん、わたしは頷かない。
「違約金なら心配しないで。僕の家が払ってあげるよ。僕ならこんなクズ石じゃなく、大粒のダイヤモンドを買ってあげる」
「要りませんっ!」
わたしは即答すると、ジャンプしてやっと革袋を取り戻した。大事に胸に抱え、階段のほうへ逃げ込んでいく。
男は追ってこなかったが、まだこっちを見ている。わたしは叫んだ。
「わたしは、婚約したからって嫌々一緒にいるわけじゃないし、キュロス様のほうが、あなたより素敵だもの!」
……それは、あくまでも、ナンパを振り切るための口上だった。妙に自信満々なこの男に、ちょっと言ってやりたくなったのである。
……ただ、それだけなので。決して、キュロス様に聞かせるために言ったわけではなかったのだけど。
叫んだ直後、後ろで「グフッ」と呻き声。振り向くと、階段の上でキュロス様が口元を押さえていた。ブルブル震えながら、吐血をこらえるようしゃがみ込む。
「キ、キュロス様? どうしました!?」
「……マリー。……五十年前、ルハーブ島を開拓した英雄、ディボモフを知っているか?」
唐突に、何の脈絡もないことを話し出す。わたしが頷くと、静かな口調でそのまま続けた。
「ディボモフは五十六歳のとき、三十年下の美しい妻を娶った。その直後に病で死んだ」
「は、はい。知ってますけど……それが何か」
「病名はハッキリしていないが……もしかして。……『幸せ死』だったんじゃないかと、今、俺は思ったのだがどう思う?」
「え? えっと――意味が分かりません?」
「心臓が痛い」
やっぱり意味が分からないことを言うと、キュロス様はふらつきながら、階段を降りてきた。にやにやしているナンパ男に向かって歩き出す。わたしは彼を引き止めた。
「お待ちください、体調が悪いのに無理をなさらないで。わたしは大丈夫です。お店の人もいますから、キュロス様は二階へ戻ってください」
「ん? いや、でもルイフォンがいるし」
「はい、お友達と一緒に――あら、そういえばお友達は? 起きてくれなかったのですか?」
キュロス様の後ろには誰もいない。おかしいな。店主は、お友達は二階でお昼寝をしているといったのに。いつの間にか、カウンターには店主が戻っていた。眉を垂らし、わたしに向かって深々と頭を下げている。
わたしの問いかけに、キュロス様は緩慢な動作で腕を上げ、正面で笑っている、白銀色の髪をしたナンパ男を指さして。
「二階はもぬけのカラだった。ルイフォン、なんでお前、一階にいるんだよ」
「……へっ?」
キュロス様のうろんな視線と、わたしの素っ頓狂な声を受けても、その男は微笑みを絶やさない。
清涼さすら感じる繊細な美貌に、なんとも飄々とした、イジワルな笑み。純白の指をニギニギして、わたしに挨拶をしてくれる。
「やあ。初めまして、マリーちゃん。僕がルイフォンだよ。よろしく」




