新春あけおめ番外編 ~絶対に笑ってはいけないグラナド城~
本編の流れや時系列ぶったぎりの、純然たる番外編です。
キュロス様が、お休みの日。
二人きり、お話できる時間がたくさんあるのだけど……特にやることがあるわけではなく、話し合うべき用事もない。平たく言えば、話題がない。
広い広い食堂に、二人並んで食べる夕食の時間。
「……美味しいですね、キュロス様」
「ああ。とても美味しい」
「…………」
「……。マリー、今日は、少し冷えるな」
「そうですね。……」
そんな、中身のない会話も、途切れてしまう。
夕食を終え、そのまま食後の一服。気を利かせたトッポが、チャイルダンルックをテーブルに置いた。濃い目のお茶が出来上がるまで、席を離れることができない……だからこそ、その時間を楽しく過ごそうという気持ちになる。
「……マリーは……。……晴れの日と、曇りの日と雨の日はどれが一番好きだ?」
「ええと……晴れときどき曇り、くらいでしょうか」
「そうか。俺もだ」
「……そ、そうですか。気が……合いますね」
「そうだな。良かった」
……会話が終わる。わたしは内心、頭を抱えた。ああもう、わたしってどうしてこんなに雑談が下手なの?
ちらりと横を見ると、キュロス様が気を使って話題を考えてくださっているのが見て取れる。それじゃいけないわ、わたしのほうが彼を楽しませて差し上げなくては。ええと何か話題を、キュロス様が楽しめること、楽しいこと楽しいこと――
記憶を遡り、大笑いした記憶を思い出していく。脳裏に浮かんだのは三年前、父が七日間もシャックリをし続けたこと、五年前、飼育しているニワトリが生んだ卵が孵ったところでちょうど父が通りがかり、親と思い込まれたのか六羽のヒヨコが常に父を追いかけまわしていたこと、八年前、父がなんとなく髪型を変えたいと言い出し侍女に王都の流行りを口頭で伝えたものの、伝言ゲームのどこでトラブルが起きたのか頭皮が見えるほど短く刈り込まれてしまい、新春の社交界で「はげましておめでとうございます」とベタなイジリをされ半泣きで帰ってきたこと――ああだめ、ぜんぶ父の悪口だ。他人との雑談で、身内を笑いものにするなんて良くないわ。でもわたしがシャデラン家でおなかを抱えて笑ったことなんて、むしろ笑ってはいけない、父の恥部以外に思いつかない……
――マリー、マリー。笑っちゃ負けよ――
わたしはハッとなって、顔を上げた。
「キュロス様! にらめっこしましょ!」
「……にらめっこ? それって、子供同士でやる、お互いに変な顔をして笑ったほうが負けという勝負のことか」
あああああ。わたしはテーブルに突っ伏した。
しかし、キュロス様はお優しい。前回と同じく、決してわたしを子供っぽいと笑ったりせず、乗り気になってくれた。
――夜のグラナド城、広い食堂で二人きり。向かい合って座る、婚約した男女……公爵令息と男爵令嬢。両者、深呼吸。……そして。
「にーらめっこしましょっ!」
「あっぷっぷっ!!」
同時に叫ぶ。わたしは頬を両手で挟み、むぎゅっと潰した。キュロス様は逆に、思い切り横に引っ張った。
「うっ!! ……!」
思わずうめく。頬をつぶしてなければそのまま噴き出したかもしれない。すんでのところで何とかこらえる。いけない、あっという間に笑ってしまうところだったわ。
だってキュロス様ってば……凛々しく端正な顔面が可哀そうなくらい、容赦なく広げてるんだもの! いやでも、わたしだって負けてない。顔中のお肉を寄せて上げて集めて詰めて、自分でやっておいてちょっと後悔するくらい、渾身の変顔になってるはずよ!
その証拠に、キュロス様も目を細めている。いやもともと、左右に引っ張り伸ばされているからほとんど眼球が見えないほどに細いのだけど、ちらりと覗く緑の瞳が、きらきらと輝いて……
キュロス様は、その変な顔のまま、ささやいた。じっとわたしの顔を見つめて。
「……そうやって、すべてのパーツがセンターに集合した顔も可愛いな。マリー」
……。……ちょ、ちょっと。
これは――反則じゃありませんか?
「うッ、くっ!」
のどが痙攣する。わたしは慌てて、真上を向いた。しかしキュロス・グラナド伯爵は背が高い。座高の低いわたしが上を向くと、むしろばっちり、男前すぎる眼差しに変な顔をしたひとと向かい合ってしまう――
ああダメ、見てられない! わたしは思わず、目を閉じた。直後にコレは反則じゃないかという気がしたけども、また少しで視界に入れたら、もう絶対に笑ってしまう。
「……マ、マリー?」
キュロス様の声が、くすぐったい。わたしは耳をふさぐため、頬をつぶしていた手を放した。目を閉じたままじっとしておく。
「――マリー。マリー……」
呼びかけられても、返事ができない。無言のままのわたしを、キュロス様はやはり無言になって、そのまましばらく放置していた。……しまった。彼の変顔を見ないようにと目を閉じたせいで、彼が笑ってしまってもわからなくなってしまった。どうしよう。今、彼はどんな顔をしているのだろう?
――不意に、両腕に強い圧が来た。肩にほど近いあたりを、キュロス様に掴まれたのだ。耳をふさいでいるのを引きはがすつもり? と思ったが、キュロス様の手はとても優しく、ただ包み込むようだった。掌が熱い。それに指先が、わずかに震えて……
……そんな……まさか。キュロス様ってば、わたしの脇をくすぐるつもり!?
ひどい、反則だわ。にらめっことは己の顔面だけを用いての勝負。ああでも目を閉じてしまってるわたしに、キュロス様を批判する権利はない。
ど、どうしよう?
「……マリー」
ううっ、その甘くかすかに枯れた、セクシーな声も……。ちからがぬけて、身を任せてしまいそう……。だけど目を開けられない。
無言で、目を閉じたままのわたしを、キュロス様は自身のほうへ引き寄せる。
顔の前――くちびるのそばに、なにかが近づく気配がする――
「――だんなさま、あうとぉおおおおおおお!!!!」
耳をつんざく怒号で、思わずわたしは目を開けた。すぐそばで、どんがらがっしゃんと椅子ごとコケるキュロス様。真後ろには仁王立ちになったツェツィーリア。どうやらこの侍女見習いが、城主の椅子を蹴飛ばしたらしい。
よほど予想外の攻撃だったのだろう、キュロス様は床に這いつくばったまま、アワアワと言葉にならない反論をしていた。
「つ、つぇり、違う誤解だ、俺は別に何もマリーが目を閉じている隙に付け込んだとかそういう」
「なにが違うですか自白の通りじゃないですかー! あたし見てたもん、だんな様マリーが知らないうちに勝手にチューしようとしてたもん!」
「違う!」
「違わない! 犯罪! 強制わいせつ罪!!」
「本当に違う! なんで目を閉じたのか分からず、アレ? これもしかしてアレか? キタコレというやつなのか? と期待はしつつもいやきっと違うだろうなと冷静さは保ったままだったから、ちゃんと直前で止まって本当にしてもいいのか当人に確認をするつもりだったんだっ!!」
わあきゃあドタバタ、言い争う城主と幼女。
わたしは一応、大体の状況を理解した。……ええと。……こ、この状況は……。
視線を泳がせると、ちょうどそこに、ミオがいた。いつの間に、と彼女に聞くのはもはや野暮である。
わたしは彼女に教えを乞うた。
「……こんなとき、どんな顔をすればいいかわからないの」
「笑えばいいと思いますよ」
おっしゃる通り、わたしはとりあえず、苦笑した。
~~おまけのキュロス様~~
「ミオ。にらめっこの練習がしたい。付き合え」
「嫌ですが、なぜ?」
「……マリーが俺と向かい合って、目を閉じてじっとしてくれたの……初めてだったんだ……」
「……。はあ」
「もっと、面白い顔ができるようになりたい」
「……それで、旦那様が本望であるなら口出しは致しませんが……ただ模擬試合の相手には、私はお役に立てないと思いますよ」
「そうか? お前の変顔というのもちょっと見てみたい気がするが」
「というより――旦那様。『先に笑ったほうが負け』というゲームで、この私に勝てるとお思いで?」
「…………すまない。やっぱりいい」
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。




