楽しいことがいっぱいです
※ニヤニヤ回につき、屋外でお読みの方は周囲に注意。
生まれて初めて歩く、王都の市場。商品は女性向けが多いらしい。服や小物、可愛い雑貨のお店が立ち並んでいた。たいていは子どものお小遣いでも買える価格で、どこでも値引き交渉が出来る。
わたしは珍しいものが目にとまるたび、アレも見たいコレが欲しいと足を止め、キュロス様の手を引いた。
ツェリのためにレースのシュシュ、ヨハンには珍しい花の種。ウォルフガングにはハーブティー用の柑橘皮を買った。茶葉屋で会計をしていると、カウンターそばに謎のガラス瓶を発見。中身は、茶色い粉? 何かわからないけど、ラベルに洒落た文様が描かれていて、入れ物だけでも欲しくなる。
「ねえ、キュロス。これって何かしら?」
言葉使いも、だいぶ慣れてきた。キュロス様はガラス瓶を見ただけで分かったらしい。すぐに言った。
「スパイスだ。ほら、東部ではお茶にスパイスを入れるだろう?」
「じゃあこれもミオに買っていこうかな。それと、ジンジャーの単体が欲しいわ。トッポがそれで豚肉を焼いてみたいんだって」
キュロス様は、困ったように眉を寄せた。
「マリーが買うのは、他人の物ばかりだな。もっと自分のために使え」
「だって、それで楽しいんだもの」
わたしは反論した。そういうキュロス様だって、購入するのはわたしへの贈り物ばかり。わたしの手首にはもうブレスレットが五つ、ペンダントが二つ、小さな髪飾りが頭のあちこちに刺さっている。女性向けの店が多いから仕方ないけど、他人の物ばかり買っているのはキュロス様のほうよ?
「キュロスも、なにかお買い物をして。わたしばっかり楽しんでいるみたいだわ」
恨みがましくそう言うと、彼は大きく頷いた。
「じゃあもうすぐ昼だし、何か食べよう」
「食べ物じゃなくて」
「ちょうど腹が減ってたし、そろそろ飲食店が増える位置だ」
位置? と、首を傾げながら茶葉店を出ると、通りの向こうからフワリと香ばしい、食欲をそそる匂いがした。
見ると、食べ物を売っている店がチラホラ、さらに進むと飲食店ばかりになってきた。これまではほとんど無かったのに。そうか、商品のジャンルで区画分けがされていたのね。
「何にしようか……マリー、リクエストはあるか?」
キュロス様に問われ、首を振る。欲しいものがないのではなく、ありすぎて選べない。
歩いているだけで前後左右から漂う美味しそうな匂いと、ジュウジュウとその場で炙る音。そのおかげで、レストランらしい建物よりも、屋台のほうに惹かれてしまう。
わたしはずっとキョロキョロしていた。
串焼き屋だ。塩だけを振った肉と、甘辛い匂いを放つタレに漬け込んだものとが売られている。三本で一ユイロ。果物をその場でジュースにしてくれるお店もあり、その隣の軒先には、大きな干し魚がぶら下がっていた。わたしの身長くらいあって、三ユイロと値札がついている。
市場って雑貨もお手頃だったけど、食べ物は特にびっくりするほど安いみたいだ。
それに、面白い。初めて見る料理や食材も多い。
ああもうどれにしよう、決められないわ!
幸せな悩みを抱えていると、不意にグイッと腕を引かれた。キュロス様の緑の瞳が、子どもみたいにキラキラしている。
「見つけた! マリー、あれを食べよう!」
あれって……?
キュロス様が指さしたのは、ちょっと不思議な様子の露店だった。ごく小さな屋台で、テーブルの上にドンッと大きな、肉塊が立っている。……と思ったら、鉄の杭に薄い肉を重ねて刺し、固まりみたいにして焼いたものらしい。わたしたちが近づくと、店主はすこぶる明るい笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃィ! 三国一の色男に絶世の美女! 二つだねオーケーまいど!」
早口で言って問答無用、肉をナイフで削ぎ切りしていく店主。えーっまだ買うって言ってないのに。慌ててキュロス様を振り向いたが、彼は楽しそうに笑っていた。
「大丈夫、もしマリーの口に合わなければ俺が二つ食べる」
「キュロスは食べたことがあるの、これ……ええと」
「ドネルケバブ。イプス語でローストした肉のことで、パンに挟んで食べるのがドネルサンドだ」
イプサンドロスのドネルケバブと聞けば、わたしも知識があった。羊肉をたっぷりの香辛料やヨーグルトで味付けして串に刺し、回しながら焼いた物だって。辞書には絵がついていなかったので、実物を見るのは初めて。そうか、こんなにインパクトのある見た目だったのね。
店主は白いパンの真ん中を裂き、削いだ肉をこれでもかというほど詰めていく。肉でぎゅうぎゅうになったところに、千切りキャベツをまたぎゅぎゅっと。
「はい一丁上がりだよお嬢さん! 美味しいうちに食べてね! 冷めても美味しいけどね!」
やはりテンションの高い店主からドネルサンドを渡されて、とりあえず受け取ってみたわたし。
食べてねと言われても……えっ、こんなところで? 立ったまま?
しかもこのパン、片手で持てないくらい大きくて、わたしの口よりもずっと横幅がある。
「これ、どうやって食べればいいの?」
わたしが聞くと、キュロスは不思議そうな顔をした。
「どうやってって、普通にかぶりつけばいい」
「でも、屋外だし大勢の人前だわ。……女性がしても良いものなの?」
「なんだ、こういうのは初めてか。なんだかんだいってお嬢様だな、マリー」
そう言って、お手本を見せるみたいにガブリとかぶりつくキュロス様。な、なるほど。わたしは覚悟を決めて、えいやっと噛みついた。
口の中がいっぱいになって、まず感じたのはたっぷりのスパイス。そのあと羊肉の旨味が来て、最後にヨーグルトの酸味が爽やかに鼻から抜けていく。
「美味いか?」
キュロス様に問われ、わたしはコクコク頷いた。口の中が一杯なので、ジェスチャーで頷くしかない。本当に美味しい。
でもやっぱり大きいよー。口の周りを汚さないよう、頭を前後左右に振りながらチマチマと囓っていく。対して、キュロス様はたったの三口で、あっという間に平らげた。口の大きさのせいだけじゃなく、この料理を食べ慣れているんだわ。常連なのかしら。値段を聞くまでもなく、店主に小銭を渡していた。まいどあり、と受け取る店主。
「この店は、俺が学生時代、休日のたびに通っていた。寄宿舎の料理はどうにも上品で、味も量も物足りなくてな」
「学生時代……キュロスも、市井の学校に通っていたの?」
「言ってなかったか。市井ではなく王立、将校貴族や大富豪の令息だけがいくところだ。十二の年から十八まで、色んなことを学んだよ」
へえ……と相槌を打ちながら、またドネルサンドにかぶりつく。もぐもぐしながら、なんだか不思議な感じだなーと思っていた。キュロス様はわたしより六つ年上、大人の男性である。今はこんなに凜々しくて、何でも知ってて何でも出来るキュロス様も、幼い頃があったのね……。
ぼんやりしていると、トントン、と肩を叩かれた。
「マリー。デザートに、ドンドゥルマも買うぞ」
どんどぅるま? ……イプス語で『凍らせた物』……だけど、食べ物の名前なのかしら。何か分からないけど興味はある。わたしが頷くと、キュロス様は店主にそれを注文する。
店主はニヤーッと、なんだかとても楽しそうな笑顔になった。
「坊ちゃん、運がいいよ。ホントだったらこの時期、昼には溶けちまうんだけど、今朝はちょっと冷え込んだからね。ちょうど売れ残ってたんだ」
ニコニコしたまま、屋台の陰、足下から大きな寸胴鍋を取り出してくる。ぱかりと蓋を開けると、中には白い物体が。何だろう、生クリーム?
そこへ、店主は金属で出来た長いヘラを差しこんだ。ぐるぐるぐる、と力強くかき混ぜていく。そしてヘラを持ち上げると……。
ぐにょぉーん。
!?
覗き込んでいたわたしの前に、白い物体が細長く伸び、鍋とヘラとで糸を引いていた。
えっ、なにこれ!? 伸びた!
「ドンドゥルマは、名前の通り凍らせたお菓子。主な原料は砂糖と羊乳で、いわゆるアイスクリームだな」
そう、キュロス様が言ってるそばからまたぐにょーん。うわわわわ、わたしの身長くらいまで伸びちゃった。すごい。
「牛乳のアイスクリームなら、うちで作ったこともあるわ。冬に氷室に入れておけば、夏の始めまで保つし。だけど伸びたりしないわ!?」
「伸びるのはサーレップという、東部共和国の植物から取れたデンプンのおかげだ。粉末を湯に溶かして混ぜるらしい。溶けにくくするためだが、副産物であんなことになる。味は普通に美味しいから安心しろ」
店主がヘラを出し入れするたび、オモチャみたいに伸びたり縮んだり。びよーんぺったんぐにょーんぺたん、すごく面白いけど、こんなに混ぜる意味ってあるのかしら。
まだかな……と焦れるころ。ヘラに張り付いたアイスの塊に、ワッフルコーンがくっつけられた。ヘラからぶら下げた状態で、眼前に差し出される。粘り気が糊のようになって、逆さまでも落ちないのね。
「おまちどうさま、どうぞ召し上がれ」
「い、いただきます」
と、取ろうとしたところでヒョイッと真上に躱された。あれ? 思わず追いかけてまた取ろうとするも、今度は横にヒョイッ、手を伸ばすたびに前後上下左右、ヒョイヒョイヒョイと逃げるアイスクリーム。あれ? どうして食べさせてくれないの!?
店主はわたしより小柄だったけど、ヘラが長いしとにかく機敏。高く上げられたら手が届かない。わたしは手をバタバタさせて、跳んだり跳ねたり大忙し、とうとう汗まで浮かんでくる。
何これ儀式? それともイジワル? なんだかわからないけど、せっかくのアイスが落ちてしまわないか気が気じゃない。何より早く食べたーい!
「もぉーっ、いい加減にしてっ!」
つい大きな声を出したところで、店主はコーンを取り、手渡ししてくれた。その表情は、満面の笑み。どうやらただのイタズラだったらしい。わたしはホッとして受け取……ろうとしたところでクルリッと逆さまにされて、空振りする。もー!
それでやっと、ほんとのほんとに手に入れた。もう奪られてたまるものかと、大急ぎで齧りつく。
「んっ……もちもち!」
あっという間に機嫌が直る。味は知っているミルクアイスとほぼ同じだけど、もっちりとした弾力がある。それでいて、口の中に入ればすぐに溶けて無くなるの。なんて不思議で面白い食べ物だろう。焦らされたぶんだけ余計に美味しい。紹介してくれたキュロス様に、わたしは振り向いてお礼を言った。
「キュロス、ありがとう! これとっても美味しいわ!」
キュロス様は、いつものように余裕の笑みで、どういたしましてなんて言わなかった。いったいいつからだろう、地面にしゃがみ込み顔面を押さえ、肩をふるわせて笑っていた。
「か……可愛さで死ぬ……」
もー!!




