男爵令嬢は溺愛されている
ガタゴトガタゴト、来た時と同じ道を、馬車に揺られる。
言葉が出てこなかった。それでも沈黙し続けているのに耐えかねて、僕は呻くように吐き出した。
「……マリー様のお母さんは、おかしくなってしまったんですね……」
ミオ様は無言だった。僕は自分の気持ちを落ち着かせるためだけに呟く。
「……シャデラン夫人は、人形をアナスタジアさんだと思い込んでいるんだ。……きっと、娘を亡くしたショックで」
「いいえ。正気でしょう」
ミオ様は断言した。僕が驚いて聞き返すと、窓の外を見つめたまま、やはり独白のように言った。
「アレは、アナスタジア様の部屋ではなく夫人のベッドに置かれていました。そして部屋から一度も出したことがない。セドリック君が、姉が生きて帰ってきたと誤解したのは、現物を見たことがないからかと」
……そういえば。さっき家族で外出する時も、『アナスタジア』は一人で留守番をさせられていた。普通なら一緒に連れて行くだろう。食卓や風呂など日常生活に持ち出してもいないなら、セドリックはまだ六歳、母親がおかしくなったのではなんて疑わない。
「じゃあ、あれはただの人形遊び?」
「とりあえず人間でないことは理解していると思いますよ」
「夫人は、人形を娘だと思い込んでるわけじゃないってことですよね」
ミオ様は、笑った。
「そうですね。アナスタジア様が生きていた頃から、何も、変わってないでしょう」
おお、そうかー。僕はホッとした。いや大人がああして人形に話しかけるのが「おかしくない」と言っていいかは分からないが、想定よりもかなりマシにはなった。
やっと肩の緊張が解ける僕。ミオ様は、そんな僕に優しく語る。
「あの人形はごく最近、おそらくは夫人自身の手で作られた物です。髪が本物の人毛――亡きアナスタジア様のものでした」
「ぃえっ……!?」
「土台は既製品でしたが、金髪の人毛が結びつけられていました。普通、人毛を鬘にするときは丁寧に洗浄しなくてはいけませんが、粗雑なものでした」
「え、え。えっ――じゃ、あ、まさか。遺体から切り取ってっ!?」
「……あの髪の長さで、砂が付いていたあたり、そうとしか思えないのですが……」
眉をひそめるミオ様。あっそうか。アナスタジアさんは馬車ごと川に流されて行方不明。遺髪なんて取れるわけがない。
じゃあ他のひとの? あんなに見事な金髪、そうはいないと思うけど。でもアレがアナスタジアさんの遺髪だとしたら、夫人は一体どうやって……?
えっ――待てよ、そんなまさか。僕はものすごく怖い想像をした。いやそんなはずがない、だって夫人は長女を溺愛していたって。でもそれじゃあ――
思考がグルグルしてわけが分からない。目を回している僕の隣で、ミオ様は小さく、呟いた。
「……やれやれ。私としては、アナスタジア様の生還が誤情報と分かれば、それで良かったんですけどね……」
呟くと、狭い車内で立ち上がる。身を乗り出し、前の御者に指示をした。
「城へ帰る前にもう一人、お会いしたいひとがいます。おそらくは中心部に勤め先があるのでそちらへ向かって下さい」
「どなたですか?」
「真犯人。『アナスタジア・シャデラン殺害事件』の」
ぎょっとして、御者も思わず手綱を引いた。馬が停まって激しく揺れる。ひっくり返った車内で逆さまになった僕。なぜか変わりなく腰掛けているミオ様は、あっけらかんと言った。
「謎が解けたからには、放っておくわけにもいかないでしょう。ここまで少々、ワルイコトをしすぎましたからね。悪役にならないために、アナスタジア様の無念を少しでも晴らしてさしあげないと」
「謎って――いやそれ以前にアナスタジア様は、殺されたんですか!?」
「どこまで意図的だったかはまだわかりませんけどね。そのあたりも、彼に聞けば明らかになるでしょう」
彼? 一体誰だ。これまで出会った人物のなかに、怪しい男性なんていただろうか。困惑しながらミオ様に問う。
アナスタジア・シャデランは殺された。そして髪と衣装だけが、シャデラン夫人のもとに返された。なぜ、誰に。
……誰もが心を奪われるという、美しき男爵令嬢アナスタジア。虐げられてきた妹と違い、彼女の人生は幸福に満ちていたはずだ。両親から溺愛され、輝く髪とドレスを纏い、屋敷の中ではお姫様。そんな彼女から、何もかも奪ったのは、一体。
「状況を考えると、この男しかありえません」
ミオ様は答えた。
「貸し馬車屋の、雇われ御者ですよ」
◇◆◇◆◇◆◇
「わあっ可愛い! キュロス様、これは何で出来ているのでしょうか?」
白く、小さな珠が連なるブレスレットを右手に取って、わたしは左手を握る、キュロス様を振り向いた。彼はまず、貝を加工したものだと解答をくれてから、そっと囁く。
「様付けと敬語は禁止」
「あっ、そ、そうで――だ、った、わねキュロス。すみませ、ごめ、ええと」
ああっ上手く言語変換できない! 言いつけが守れず叱られるかと思ったが、キュロス様は微笑みを浮かべただけだった。わたしは赤面して、商品のほうへ目をそらす。露店の店主は不思議そうな顔をしながらも、商売用の笑顔になった。
「いらっしゃい。うちは群島諸国から直接買い付けてるから、質が良くてお値段控えめ。ここで買えば間違いないよ」
「群島諸国……そういえば、貝を加工した宝飾が特産品だったわね」
「よく知ってるねお嬢さん、お目が高い。特別に安くしとくよ。定価三十ユイロのところを二十五にマケるぜ」
二十五ユイロ? 一般家庭の、一日分の食費くらいね。んんー輸入品だから仕方ないのかもしれないけど、ちょっと高いような。
隣のキュロス様を見上げると、彼は何か、イタズラっぽい表情をした。通りの向こうを指さして、わたしの手を引く。
「マリー、さっきの店に戻ろう。同じ物が十五で売ってた」
「え……ええ、そうね! そうしましょ!」
「おおーっと待て待て、そいつはきっと模造品だ、安物買いの銭失いをするだけだよ!」
店主に引き止められる。わたしはコホンと咳払い。よーし、やってみようかなっ。
「でもわたし、そんなに目が利かないの。見分けが付かないわ、どっちもとても可愛いとしか」
「分かる人には分かるもんさ。いいだろう、二十で売ってあげよう。これでワンランク上の女になれば、そこの男前もメロメロに」
「その売り文句は無理だな、俺はもう惚れている」
これには店主も苦笑い。彼のほうが上手と見て取ったか、わたしのほうに向き直る。
「こんなイイモノ、二十で買わない理由があるかい?」
「ええと……ごめんなさい、他にも色々欲しいものがあるし……買ったらお小遣いが無くなってしまうわ」
「あーそうかそうか、わかったよ。十五にしてやろう。それなら残りで髪留めも買えるね、良かった良かったマイドアリ」
「わたし今日はどうしてもショールが欲しいのよ。十三ユイロにしてもらえない?」
ピクッと店主の眉が動く。肩をすくめて苦笑い、嘆息しながら「めんどくせえなあ」という顔をする。
「しょうがないね、負けたよお嬢さん。十四で決まりだ」
「十四ね、それなら買うわ、ありがとう」
「はいこちらこそどうも、では十四」
「ところで友達のお土産にもう一つ、同じ物が欲しいのだけど、二つ買ったらおいくらかしら」
「えっ? そ――そうだねえ、じゃあ……二つで二十六ユイロ」
「キリよく二十五でいい?」
「あー、いいよいいよ二つで二十五」
「ありがとう! 本当に素敵なブレスレットね。とても嬉しい! ちなみにもう一つ買ったらいくらにして頂ける?」
「ええっ!?」
とうとう、キュロス様が吹き出した。
結局三つで三十ユイロまで値切って成立。二つは袋に包んでもらう。店主が梱包作業をしている間に、わたしたちはコソコソ小声で話した。
「うふふっ、やった、ミオとチュニカのお土産にしよう。ツェリには髪留めかなあ」
「意外だな、結構やるじゃないか」
「ふふっ。実家でも出入り商人や、小作人の賃金交渉はしていたもの。こういう露店では初めてだから、本で読んだのを真似してみました」
「なるほどな。楽しんでいるならいいが、それほど粘る必要はないぞ。金は持ってきている」
と、ずっしり重そうな革袋を揺らして見せる。わたしは首を振り、自分のポーチから銅貨を出した。
「今日は自分で買わせてください。たくさんではないけど、わたしも手持ちがありますから」
「ん? シャデラン家から、そんなに持ってきていたか?」
「実はリュー・リュー夫人から、お小遣いをもらっていたんです。施しじゃなく仕事の報酬だって。手紙の代筆と、他にも何度か翻訳をお手伝いして」
「……そうか。そうだな」
キュロス様は頷き、財布を引いてくれた。彼の厚意はとても嬉しいけど、わたしは物をねだるのにどうしても遠慮してしまうのだ。気兼ねなくショッピングを楽しむには、自分の財布を自分で持っている必要がある。
キュロス様はそれを理解してくれているようだった。握っていた手を一度解き、わたしの頭にポンッと載せる。
「では、それで足りないときは言え。俺はマリーが欲しいものを与えたい。俺が買いたいものなのだから、俺のために教えて欲しい」
「……わ、わかりました。ありがとうございます……」
「あとまた敬語」
「はわっ!?」
慌てて口をつぐむ。
支払いが済むと、わたしは左手に買ったばかりのブレスレットを装着した。そしてまた、キュロス様と手をつなぐ。
わたしたちが歩くたび、貝のブレスレットが小さく鳴った。
 




